メディアグランプリ

令和の今、看護師のアイデンティティを再定義しよう


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事: 村山結実(ライティング・ゼミGW特講)
 
 
「循環器の看護師は皆エリートだね」
「こんなに大きな病院に就職できるなんて、エリートなのね」
 
こんな風に言われることがある。
「エリート看護師」とは? いつも疑問に思う。
 
日本では、保健師助産師看護師法で
・患者への療養上の世話
・診療の補助
この二つが看護業務として定められている。
 
「本当に患者さんの身の回りの世話がよくできる子ね。さすがエリート!」
これならわかる。
法律で定められた、看護師の業務を正当に評価されているからだ。
 
しかし、世の中では、
「大きな病院で働けるってすごい」
「心臓を扱っているなんて、エリートだよね」
 
こんな風に書き換えられてしまう。
 
「大きい病院(大企業)に所属している」から、
「循環器科という緊急性や専門性が高い科を専門にしている」から「エリート」?
看護の質と全く無関係の尺度で定義された「エリート」看護師は、
果たして真の「エリート」なのだろうか?
 
看護師には名刺がない。
入院病棟には24時間365日、常に看護師がいる。
日に2,3回の勤務交代のタイミングで引き継がれていく仕事のため、自分がいなくても必ず現場は回っていく。
同じ白衣を身にまとい、暗い色の髪の毛を一つにまとめ、マスクで顔を覆い、同じ靴でせわしなく歩き回る。
「看護師さん、この間はありがとう、助かったわ」
患者に感謝されても、身に覚えがないことがしばしば。
無理もない、皆同じ格好で見分けがつかないのだ。
「わたし」は、看護師さんの1人に過ぎなくて、
「わたし」は「わたし」じゃなくて、他の誰かでも事足りるのかもしれない。
そう感じ始める。
 
加えて、看護師は昇給が少ない、ともすればほとんどない。
初任給が高いからしょうがない、と思うかもしれない。
でも、そうではない。
昇給がないということは、
激務の中で積み重ねた知識、経験、技術が全く認められていないのと同義である。
何年働いても認めてもらえない、入職したてのあの子と経験を積んだ「わたし」は同じ価値。
ここにいるのは「わたし」じゃなくてもいいのかもしれない。
そう感じ始める。
 
だから、
「わたし」を「わたし」たらしめるために、
所属の科や病院自体の規模、経験年数で自身を定義づけようとする。
その結果、看護の質とは無関係な優劣がつけられた、エセ「エリート」看護師が誕生する。
 
看護とは、あらゆる場であらゆる年代の個人および家族、集団、コミュニティを対象に、対象がどのような健康状態であっても、独自にまたは他と協働して行われるケアの総体である。看護には、健康増進および疾病予防、病気や障害を有する人々あるいは死に臨む人々のケアが含まれる。(ICN看護の定義、日本看護協会訳より抜粋)
 
看護師である以上、身体的なケアにとどまらず、精神的、社会的にも包括したケアができることが求められる。
人と本気でぶつかり、真剣に向き合う仕事だ。
人の人生の重大な一場面を共に戦う仕事だ。
その分、体力や経験、人としての成熟、そしてなにより人間性が必要となってくる。
 
でも、その看護師が、「わたし」じゃなくても代わりはいくらでもいる、と常に感じながら働いていたら?
実は、その看護師が「わたし」自身を持っていない、白衣の抜け殻だったとしたら?
想像するだけでぞっとする。
でも、その現実がここには、ある。
 
「看護師さん」を定義してくれる病院はいくらでもあるが、
残念ながら、看護師としての「わたし」を正しい尺度で定義してくれる病院はない。
 
日々必死に働いて、「でもこれって私じゃなくてもできるよね」ふと虚しさをおぼえる。
突然誰かが離職しても、何事もなかったかのように次の日から同じ日常が過ぎていく。
そんな日々は、抜け殻はもう卒業しよう。
 
看護師としての「わたし」の役割ってなんだろう。
「わたし」にしかできない看護ってなんだろう。
「わたし」が「わたし」として働くために、必要なことはなんだろう。
自分たちで探すしかない。自分たちで見つけるしかない。
手探りでもいい、間違っていてもいい。
わからなくて当然だ。
それでも泥臭く求め続け、答えのかけらが見えたその先に、
真の「エリート」看護師がいるのではないだろうか。
 
今一度、自分に問い直そう。
立ち止まって、何もしてくれない師長に文句を言っている場合ではない。
超高齢社会と称され久しい今日、悲鳴をあげながら現場で働くのは紛れもなくわたしであり、あなただ。
令和の時代はもう、始まっている。
 
 
 
 
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2019-05-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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