裸の木
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
【6月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:海風 凪(ライティング・ゼミ日曜コース)
*このお話はフィクションです。
「大事な話があるの」
いつものカフェ。席に着くなり彼女が口を開く。
「結婚してほしいっていわれているの」
突然彼女がつぶやくように話す。
うつむいたままで。
冬の柔らかい日差しが、彼女の髪を明るく浮き上がらせる。
窓の外には銀杏の並木。葉をほとんど落とし、幹の姿があらわになっている。
こんな冬の日に父は逝った。
僕の父は小学校の教師だった。僕の通う小学校に勤めていた。家でも、学校でも父と一緒だなんて嫌じゃないかと思われるかもしれないが、僕が父の顔を見るのは学校でだけだった。父は家を出ていたから。母と僕たち兄弟が住む家を出て、別の女性と暮らしていた。
学校で会う父は、教師の顔をしていた。
田舎の教師としては珍しく、いつも背広を着ていた。ネクタイも締めて、ワイシャツもアイロンがかかったパリッとしたものだったと思う。7:3に分けた髪型で、セルロイドの縁のメガネをかけ、心持ち猫背で歩く姿は、どう見ても地方のお堅い公務員に見えた。学校では、「廊下を走るな」とか、「ちゃんとあいさつしなさい」なんて言う、教師然とした人だった。
「先生」って子供たちに呼びかけられると、「はい、なんですか」って、いかにも自分は教育者って顔で返事をする。
だけど僕には話しかけなかった。話しかけるなとも言われていた。公私の別を分けると言って。
公私ってなんだ。「私」の部分は、僕の母の夫で、僕たち兄弟の父で、でも家を出て、愛人と暮らす40過ぎの男。
その「私」の部分を学校で出すなってことか。それは父の都合だろう。僕にとっては、「父でありながら、僕らを捨てて愛人と暮らす冷たい男」にすぎない。
話しかけるなといわれるまでもなく、僕は父に話しかけたくなんかなかった
父の目は、いつも僕なんて見ていなかった。父のメガネには、いつも僕でない誰かが写っていたのだろう。
生活は苦しかった。母は必死で働いてくれていたのだろうが、当時、手に職のない女性が働いて得られる稼ぎはたかがしれていた。
公立の小学校とはいえ、学校に収めるお金はある。給食費が払えなかった。
5月の初めだった。放課後残るようにと担任に言われた。
机をはさんで先生と向かい合う。先生の後ろの窓から、緑があふれていた。
「水木君、給食費はどうしたの」先生が僕に聞く。
いつもはクルクル動く先生の大きな目が、じっと僕を見つめる。
「忘れました」そう答えるしかなかった。
毎日疲れて帰ってくる母に、「おかずがこれしかなくてごめんね」って僕たちに謝る母に、給食費のことなんて言えなかった。
先生は、父が別の女性と暮らしていることを多分知っていたと思う。
「給食費のこと水木先生に言おうか? 」
僕は先生の顔が見られなかった。
なんで僕は給食費が払えないんだ。なんで僕の家はお金がないんだ。
父と母は離婚はしていない。まだ子供だったぼくは知るすべもなかったが、そんな状況だから生活保護も受けることはできなかったのだ。
父が憎かった。僕がこんな惨めな思いをするのは、すべて父のせいだ。
ようやく僕は言葉を絞り出した。
「お父さんにもらってください」それしか言えなかった。
緑の葉が太陽に照らされて輝いていたあの日から、僕は新緑の季節が嫌いになった。
そんな父が病にかかり、母の元に戻ってきたのは僕が大学2年の時だった。
僕が小学校を卒業してから、父に会うことはほとんどなかった。何年かぶりにあった父は、病のせいなのか、年齢のせいなのか、記憶の中の父よりも一回り小さくなっていた。母の元に戻り、半年余りで父は逝った。母に見送られながら。
僕は父を許せない。
僕は男女の愛情など信じられない。
永遠に続く愛などあるはずがないと思っている。
僕にとって、女性との付き合いは一時のなぐさみにすぎない。
人は変わっていく。年月とともに。体験し、知識を得え、感じ、それがその人の中に蓄積され、人は変わっていく。それが当然だと思う。自分も変わるし、周囲も変わる。そんな中で、結婚した二人だけが変わらずに同じ思いを持ち続けることなんてできるのだろうか。僕は信じられない。僕には自信がない。
僕は家庭を持ちたくない。永遠に変わらない男女の愛情なんてないことを知っている。父のようになるのが怖い。
「おめでとう」
僕は彼女に言う。
彼女は何も言わない。
うつむいたまま。
空気が鉛のようだ。だけど僕には何もできない。
彼女が顔をあげる。前髪が目にかかっている。髪を払う手が目尻に触れたのは僕の見間違いだろう。
一呼吸して彼女が口を開いた。
「ありがとう。それでね、友人として結婚式でスピーチしてほしいの」
僕は呆けたような顔をしていたと思う。
はじけたように笑いながら彼女が言う。
「なに、その顔? びっくりした?」
「どこかで先に進まないとね。じゃあまた連絡するね」
そう言って彼女は立ち上がって去っていった。
彼女が何を考えていたのか、僕にはわからない。
彼女がどんな気持ちで言ったのか、僕にはわからない。
いくつか残っていた銀杏の葉が落ちてくる。
下から銀杏を見上げる。キーンとした冷たい空気の中、直立した幹から枝が広がる。空に箒を広げた様だ。風に揺られてしがみついていた葉が落ちる。銀杏は飾りを捨て、身一つになっていく。裸になる。すがすがしいまでの裸だ。
僕には何もない。そして何もいらない。いつか、この銀杏のように、静かに一人、身一つで夕暮れを迎えられればいい。
冬の空は、青く高い。
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