大連のガチョウと父
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記事:河上弥生(ライティング・ゼミ日曜コース)
「弥生、乗れたよ!」
父が笑顔で振り返った。それは父が生まれて初めてエスカレータに乗れた瞬間だった。亡くなる数年前のことだったので、40代後半だったとおもう。
私の父は、左脚が不自由だった。家の中では何もつかわず、足をひきずるようにして歩いていたが、外出するときには必ず杖を使っていた。杖といっても、棒タイプではなく、上腕を通す輪のような支えがあり、肘をがっちり支えるタイプのものだ。
戦時中、父は少年時代を満州の大連で過ごした。日本への帰国後、結核性関節炎で股関節をわずらい、障害を持つ身となった。文字通り、その杖と、成人後は車とが足代わりで、駐車禁止の場所にも車を停めることのできる許可証が交付されていた。
この文章に添えた写真は、私が小学生のころ、父を描いた絵を撮ったものだ。父の左のわきの下に杖が描かれ、家の前に車が停まっている。
「こんなの、正直に描かなくて、いいのに」
この絵を見て、父はそう言い放った。私は、最初、父の言葉の意味がわからず、とまどった。父の表情を見ているうち、杖を描いてはいけなかったのだ、と、わかった。
父は、自分の脚のことを恥じていたのだった。
その時まで、私はそのことに気づいていなかった。私に対し、怒りこそしなかったが、みるみる不機嫌になる父を見て、私はとても悲しい気持ちになった。
お父さんを、傷つけてしまった……。
父と買い物に出かけるときは、父が荷物を持てるのは右手だけなので、私もがんばって荷物を持って歩いた。そして父は、目的の場所がビルの何階であろうとも、たとえばそれが5階だろうが8階だろうが、エスカレータもエレベータも使わず、階段を使っていた。一段一段、きざむようにのぼり、私も、同じペースで歩いた。
父はエスカレータに乗るのを怖がっていて、上りも下りも決して乗ろうとしなかった。エレベータを使わなかったのは、私が描いた絵をいやがったことを考えると、おそらく、エレベータで乗り合わせた人々に自分の姿を見られたくなかったからではないかと思う。
父との記憶。私は、さかあがりのできない子どもだった。それを知った父は、ある日、夕方の小学校の校庭に私を連れていった。週末だったのだろう、いつもとちがって、静かでひとけのない校庭が、初めて訪れる場所のようだった。
父は、杖をはずして鉄棒にもたせかけた。そして、
「こう、やるんだよ」
と言い、くるりとさかあがりをしてみせた。
私はびっくりした。あっけにとられていたかもしれない。ふだんの、たどたどしい歩き方の父とはまるで別人のような、なめらかな動きだったからだ。
私も、必死に真似をしてやってみたけれど、空へ向かって投げだす両脚は、いつものように、むなしく地面に落ちてしまい、土ぼこりが立つばかりだった。
父は、何度もやってみせた。
くるり。くるり。
きれいな、さかあがり。
私は半泣きになっていたかもしれない。
「なんで、できないかねえ」
苦笑しながら、父は私の体を片腕で支えた。私の視界がぐるっと回転して、気づくと私は鉄棒の上で身を浮かせていた。いつもとちがう視界が目の前に広がったのを覚えている。
父は、酔うと、時々、大連に住んでいたときのことを話した。
まだ足を病む前の、少年だった父が地元の大きなお屋敷の庭に勝手にはいりこみ、弟たちと遊んでいた時のこと。
大きなガチョウが出現した。
当時、現地では、番犬代わりにガチョウを飼っていたらしい。
ガチョウは猛然と少年たちに向かってきた。そのうち、ほかにも何羽かガチョウが現れて、追撃してきた。
ガアガア!
ガアガア!
何をしている、おまえたち!
子どもたちは青くなって逃げだした。
「もう、生きた心地がしなかったよ」
と父。
また、ある時、父が私に中国語の数のかぞえかたを教えてくれたこともあった。
「いー、ある、さん、すう、うー、りゅー、ちー、ぱー、ちゅー、しい」
一、二、三、四、五、六、七、八、九、十。
「中国語、使っていたのに、忘れちゃったなあ。もう一度、大連に行きたいなあ」
と、懐かしそうに言っていたが、その夢は果たせなかった。
お父さん。
あのとき、杖を描いてごめんなさい。
でも、わたしは、お父さんの脚のこと、恥ずかしいだなんて、一度も、これっぽっちも、思ったことなんてなかったの。
あの絵、教室のうしろの壁に貼られて、とても嬉しかったの。
お父さんがどんな体でも、きっと、わたしは、そのまま描いていたでしょう。
エスカレータに乗れて、良かったね。本当に、子どもみたいに笑っていたね。
あんなに怖がっていたのに、なぜかあの時、
「乗ってみようかな」
って、向かっていったよね。
お父さんが、もし転びそうになったら支えられるかな、ってちょっと不安はあったけれど、無事に乗れて、無事に降りられて、うれしかった。忘れられないよ。
時々、道を歩いていると、元気いっぱいの男の子たちが、私の両脇を風のように駆け抜けていくことがある。
あっという間に遠ざかる彼らの後ろ姿を見送りながら、少年のころの父がガチョウから一目散に逃げたときも、あんなふうに軽やかに駆けていっただろうか、と思い浮かべてみる。
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