「43年間、書店人をしてきて最も後悔していること」加藤敦子さんに聞く《書店をゆく番外編》
先日、12月1日、仙台にて、ある方の「お疲れさま会」が開かれました。そこに集い来たのは、仙台書店人、出版人の皆様、また中央からも、紀伊国屋書店本部長様など、錚々たる方々。
僕は、なーんにも知らずに参加させてもらったのであります。
時間を間違えていち早く会場に来ていた、僕とジュンク堂の三塚さん(←美人)が話していると、白髪で見るからに品のよいご婦人が、きさくに声をかけてくれます。
「あの、どなたですか?」
と、何も知らない僕は、そう聞くと、三塚さんが慌ててフォロー。
「今日の会の主賓ですよ!」
あ、しまった!と思うのも、束の間、その日の主賓、加藤敦子さんは上品に笑っていらっしゃいます。
とにかく、品が良くて、気さくで、話しやすく、すぐに打ち解けてしまう。それだから、すごい方だなんて全く思ってなかったのですが、会が進んでいき、ひとりひとりから挨拶があると、いかにこの方が書店業界のために尽くされてきたかが、様々な方の口を通して明らかになってきます。
実は、僕は、この日、営業をしようと企んで、ゲラや小冊子、注文書などを持ち込んでいたのですが、いや、そんな雰囲気ではなかったのです。
本当に、感動的ないい会でした。僕はとても勉強になりました。
加藤敦子さんは、僕が初めてお会いしたこの日の前日、43年間勤めた紀伊國屋書店を退職されました。今、65歳だと仰っていたので、本当に若い時から、紀伊國屋さん一筋、書店人一筋でやってこられたんですね。
しかも、売上高において日本有数の紀伊國屋書店梅田店にオープンから30年近くいて、売場のみならず、書店全体を構築して来た人なんですね。今の紀伊國屋書店の本部長さんも、加藤さんに弟子入りしていた口で、頭が上がらないご様子。
仙台に来たのは、14年前。ちょうど、長町モールのオープンに合わせて、紀伊國屋書店さんが仙台に初めてできたのを機に、加藤さんは故郷に帰ることを決意したと言います。
加藤さん、気仙沼の出身だったんですね。
みんなが来る前に、加藤さんが「気仙沼出身なのよ」というと、三塚さんが「小牛田出身なんです」と言い、そして僕が「若柳出身です」となって、みんな一気に打ち解けました。みんな、宮城県北出身者なんです。
皆さんがひとりひとり挨拶したんですが、みんな何かしら加藤さんに恩を受けていました。
特に、元アイエ書店の店長だった岩崎さんはこんな思い出話をしてくれました。
「アイエの仙台駅前店で、絵画の展覧会をしたときに、全然売れなくて、弱っていたんです。そのときに、ご婦人がご来店して、『私、買うわ』と高価な絵を2作品購入されたんです。その方が領収書のお名前を言った時にはじめて誰かわかって、この方が音に聞く紀伊國屋さんの加藤さんなんだと感動しました。本当に温かい人で、私はそのときの恩を一生忘れないつもりです」
そう、温かく、懐が広く、人望がある方だと、少し話させてもらっただけでもわかりました。
そして、クライマックス、花束を受け取った加藤さんは、こんなエピソードをお話くださいました。
「43年間、私は書店人をやってきました」
加藤さん、ご自身を「書店員」ではなく、「書店人」と称されるんです。
「その中で、一度だけ後悔したことがあるんです」
それは大阪の紀伊國屋書店梅田店にいらしたときのことでした。
簡単に言えば、「ヤンキー」としか言いようない風体の若い男性が、一枚の紙切れを持って、加藤さんに「この本ありますか?」と聞いてきたそうです。
そこに書いてあったのは、『正法眼蔵』。これ、これ、と指さしていたのを見ると、この男性は本の読み方さえも知らないようなのです。
『正法眼蔵』は道元が書いた、仏教書で、読書に慣れている人でも簡単に読めるものではありません。
加藤さんは、そんな風体だし、題名も読めないようでは、きっとこの本を読めないだろうと思い、もちろん、親切心で仏教の入門書から読んだほうがいいのではないかと、様々な入門書をおすすめして実際に買ってもらいました。
ところが、どうも、そのときのこと後々になっても気にかかるのです。
なぜ、あの人は、『正法眼蔵』なんて難しい本の題名を書いた紙を持ってきたのだろう。
何度も思い返しているうちに、加藤さんは、はっとして気づくんですね。
もしかして、あの人は、刑務所か少年院から出て、指導員や保護士の人から、この本を読めと言われたのではないだろうか。
実際に、そういう人たちが、聖書や仏教書を読むように言われて来るのを、何度か見かけたことも、話に聞いたこともありました。
「だとすれば、私は、とんでもないことをしたのではないだろうか」
恐らく、彼にその紙片を渡した方は、こんな想いだったのではないだろうか。
何年も、何十年もかけて、その難しい本を読み、少しずつでもいいから人生を通して理解していきなさい。
そう思ったとき、加藤さんは、とてつもなくお節介なことをしたのだと後悔します。
「私が、親切だと思ってやったことは、その紙片を渡した人の気持ちを踏みにじることだったのです。もし、彼に言われたとおりに、『正法眼蔵』をお売りしていれば、そうはならなかったはずです。彼は、人生を通して、その本を読み、何かを掴んだかも知れない。私はそのときのことを今でも後悔しているんです」
とても、深い話で、考えさせられました。
とかく、我々書店人は、いかにいい本をすすめるか、ということにプライドをかけて取り組み、ともすれば、それで得意げになってしまう場合もあります。
本のことなら、プロの自分のほうが知っているに違いないと思う、ある種の傲慢さを多かれ少なかれ、抱いているのではないでしょうか。
我々は、本来、本を届けるための「媒体」に過ぎないのに、「媒体」以外の何ものかにならなければならないと、焦っているのかも知れません。
とても、考えさせられたお話でした。
また、加藤さんは、僕と三塚さんのところに来て、こんな話もしてくれました。
「これからは、体が弱って書店に来られない高齢者のために、本を届ける仕組みを考えなければならないと思うのよ。まだ体が動いたり、インターネットを使える人はいいんだけれども、本を読みたくても、書店に行けない人が大勢出てくると思う。そのための仕組みがあるといい」
これは、我々みんなで考えるべき、加藤さんからの宿題です。
書店界のゴッドファーザーもそうですが、長らく、書店人として生きてこられた方々から学ぶべきことは無数にあります。
新しきとは、こう言った方々の言葉に耳を傾け、真剣に考えることからしか、始まらないのではないでしょうか。
そう改めて思った、仙台の夜でした。