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崖っぷち派遣社員、ホームランを打つ


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記事:山谷里緒(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「山谷ちゃん、これヤバいよ、クビだよ!!」
部長の声がフロアに響いた。
周囲は一瞬シーーンと水を打ったように静かになった。
 
大学を2年で中退した後、大好きだったレコード屋にフリーターとして働いていたが、中古レコードが放つ大量の埃でアレルギーを発症し、やむなく辞めることとなった。
そんな私が派遣社員として入社した会社で3年目になろうとしていた時のことだ。
 
勤めていた会社は、ポイント会社。
提携する会社で貯まったポイントの数を、日々システムを使い集計し、まとめていくのが主な仕事だった。
提携する会社は営業チームの頑張りもあり、どの会社もいわゆる上場企業で、大手。
扱うデータは機密情報そのものだったが、いち派遣社員にとってはただの数字の羅列だ。粛々とルーティンの作業をこなす。
 
「派遣社員のままじゃいけないよな、でも生活のためには仕事しないとだし、フリーターあがりなんて正社員なんてどこも採用しないだろう……」
 
周りの社員は輝いて見えた。派遣社員なんてボーナスも出ない、アルバイト感覚で雑用、同じ仕事を繰り返すだけ。
大学中退したのは間違いだったのかな……。もう25歳なのに、何やっているんだろう……。
一人暮らしの狭い1Kのアパートで、くすんだ生活を送っていた。
 
そんな私に、ある社員が仕事を依頼してきた。
よく人に仕事を丸投げする上に責任は取りたがらない、体格だけはいい(太っている)社員である。
 
「山谷さん、僕さ、ちょっと来週1週間休みを取ろうと思うんだけど。毎日のポイントのデータを取引先の常務に、僕の代わりにメールで送ってほしいんだ。お願いできる?」
 
完全に派遣社員の仕事の範疇を超えているじゃん。他の社員に頼めば? とは思ったけれど、私は引き受けた。
メールを送るだけだし。なんとなくただの派遣社員が頼られることが気持ちよかったのだ。
これが取り返しのつかないミスに繋がるとも知らずに……。
 
頼まれた仕事は順調にこなしていたが、ある日事件は起きた。
いつものように、全提携企業分のデータをデスクトップに保存する。
そして、依頼された企業だけのデータだけを取り出して、保存。
 
ここで重大なミスをやらかす。
いつもはやらないのに、その二つを同じ名前のファイル名にして別の場所に保存してしまったのだ。
 
もうすでに想像はついただろうか。
依頼された企業の常務に、間違えて全提携企業のデータを添付して送信してしまったのだ。
同じファイル名だったので何の迷いもなく。
送る前にデータの中身が合っているかも、その時はなぜか確認しなかった。
全提携企業の機密情報を、特定の企業にまるっと全部送るという、前代未聞のやらかしをした。
 
メールを送った後に、なんとなく、データ合っているよな? と見返した。遅いけど。
気づいたときは、一気に血の気が引いた。嫌な脇汗がツーっと落ちてくる。
目の前が真っ白とか、走馬灯のように景色がゆっくり流れていくとか、全部いっぺんにやってきた。
 
「どうしよう……。これはマズイ。会社全体の信用を揺るがすミスだ。誰に相談しよう?」
 
体格だけはいい社員は休暇中。上司は外出中。
イチ派遣社員が、常務に謝罪メールを送るか? いや、それこそ火に油か?
 
外出中だった上司にとりあえず電話で報告すると、意外な答えが返ってくる。
「そんなん、ごめんなさい、メール破棄してください、でええんちゃう? 別に上に報告せんでええって」何とも気軽なノリ。
 
「え……。本当に? そんなノリ? 他の企業の機密情報も全部流れちゃってるんだけど……」
ここで、上司が言うのだから「そうですね、では謝罪のメールをお願いできますか?」で私の責任は終わっていたかもしれない。でもなんだか胸騒ぎがした。
「もっと上に報告した方がいい」そう思った。
 
部長に経緯を報告したところ、第一声が冒頭の一言。
「山谷ちゃん、これヤバいよ、クビだよ!!」
 
同僚達が、さっと目線を下に向けて目を逸らすのが分かった。
私が派遣社員だから? トラブルには関わりたくないから?
部長に叱責されるより、見て見ぬふりを決め込む同僚達の反応の方がつらかった。
 
部長はすぐに、謝罪しに行くために車の用意を秘書に伝えていた。
私に指示されたことはただ一つ、送ってしまったデータを全て印刷すること。
流出してしまったデータを書面にして謝罪するらしい。
 
派遣社員には、謝罪に出向く事すら許されない。責任を取りたくても、取れない。
それが歯がゆかった。
全企業のデータは200ページ以上になったが、コピー機と自席を何往復もして、必死にデータを印刷した。その時は、無我夢中。ただ出来る限りのことはしようととにかく必死だった。
部長はそれを手に、取引先の常務のもとへすっ飛んで行った。
 
その行動の速さと部長の誠実さもあって、常務は「データは見なかったことにします」とその場で破棄してくれたと後から聞いた。
「むしろこんな夜遅くにわざわざお越しいただきすみません」と。
 
もうすぐ派遣で3年を迎える私は、これを機に契約は切られるだろうな。と確信した。
体格だけはいい社員は、休暇明けに顛末を知ると、なんとなくすまなそうな、ぎこちない笑顔を少し見せるだけだった。
 
こんな仕事を受けたのが間違いだったのだ。
派遣社員なんだから、ミスしても影響のない範囲の仕事だけやっていればよかったのだ。
 
3か月後、派遣契約の満期を迎える時、部長から呼び出しを受けた。
あわよくば、他部署でもう3年更新してもらえたら御の字だな……。
でもやっぱりクビかな。足取りはこれでもかというくらい重い。
 
「山谷ちゃん、社員にならない?」
「……はい??」私、フリーズ。
 
「山谷ちゃん、社員になってさ、一緒に頑張ろうよ。自分のミスをきちんと報告できて、出来る限り対応できる誠意ある人と仕事がしたいと思うんだよ」
 
「ええええええーー!!」
崖っぷち派遣社員、まさかの一発逆転サヨナラホームランである。
 
思わぬ形で派遣としての契約は終了した。
取り返しのつかないミスは、なんと逆に仕事に対する姿勢を最大限アピールする材料となったのだ。部長は、そこを見てくれていた。
同僚達のように下を向くのではなく、一緒に前を見てくれたのだ。
 
取り返しのつかないミスなんて、したくもないし、そうそう起きることではないけれど、
極力誠実に、嘘はつかずに、出来うることを最大限やる。
そして最後の9回裏2アウトまで諦めない。
そんな執念だけが、きっとホームランを生むのだ。
 
今、その部長は社長に。
私は、部署は異動になったけれど、正社員として働いている――
 
 
 
 
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2019-06-06 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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