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小さな命が与えてくれた大きなこと


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:山本和輝 (ライティング・ゼミ 夏休み集中コース)
 
 
2007年秋のある日のこと、妻と一緒に近所のペット屋にふと立ち寄った。
妻はそこに居た1匹の子猫が、やたらと気に入った様子だった。
 
妻は、家に帰ってからも子猫のことを何かと話題にだした。
そして、なぜか1回見ただけの雌の子猫に「リサ」と名前をつけていた。
 
「なぜリサなのよ?」
 
妻は何も答えなかったが、ニヤニヤ笑って上機嫌ではあった。
すでに飼う気満々だったのだ。

ペットの居る生活は、久しぶりだったので少しためらいがあった。
でも、妻も40歳を過ぎていて、子どもはもうできないかと半分諦めていたし、
人間の子どもではないが、小さな家族を向かえるのも悪くないと思った。
 
私たちは、翌週ペットショップを訪れ子猫を自宅へ迎えたのだった。
 
わが家に来た生後三ヶ月のリサはとてもキュートで、すぐにわが家のアイドルとなった。特に妻の入れ込みようは半端ではなかった。
しかし、その幸せな時間はそう長くは続かなかった。
 
生後1年を迎える直前、そろそろリサに避妊手術を受けさせようと、知り合いの動物病院を訪れた時だった。
 
先生は言った
 
「残念だけど避妊手術はできない。この子はコロナウイルスに感染しているみたい」
 
「え、それって何なんですか」
 
「たぶん持って2ヶ月か3ヶ月だね。手術するともっと早まるかも」
 
あまりの突然の宣告に私たちは戸惑った。
 
「何か手はないんですか? ワクチンとか?」
 
「残念ながら、治療法はないんです」
 
先生は、本を開いて見せてくれた。
不治の病であることが書いてあった。
 
どうしたらいいか一通り先生に相談した後、リサの免疫力を上げる可能性のある猫用のインターフェロンを投与し様子を見てみようという事になった。
 
「インターキャット」という薬は、アンプル1本で7日分、12000円だ。これだけで月に約5万円の治療費がかかることになる。冷静に考えるととてもかなり重い負担だ。
これを毎日、自分でリサの背中に皮下注射しなければいけない。
妻と相談し、費用や注射作業の不安はあったが、治療を行うことを選択した。
命がかかっているのだ。それしか選べなかったというのが実情だった。
 
それが、長い長い闘病生活の始まりだった。
 
それから2ヶ月、3ヶ月となんとか体調はひどくならずに過ごしていた。このまま持ちこたえてくれれば…… そう願っていたが、そうは行かなかった。
 
1歳を超えたリサは避妊をしていなかったため、春が近づくとともに発情期に入ったのだ。それをきっかけに、子宮に感染症を発症して化膿してまっていた。
 
お腹を開いて子宮を摘出しなくてはならなかった。
しかし一旦手術をすると、コロナウイルスの症状が一気に進むリスクがあった。
しかし選択肢はもうない、手術するしかなかったのだ。
 
術後は明らかに様子が変わってしまった。
日に日に体が衰えほとんどケージの中で寝て過ごすようになった。
 
やがて、流動食しか食べられなくなり、それを与える作業も心の負担となった。
いやがるリサを動かないように布袋に入れ首だけを出す。
そして流動食専用の注射器でのどの奥に押し込むのだ。
流動食や注射をする時、私は心を固く閉ざし、機械のように作業を行っていた。
妻はその作業を見るのを嫌がった。
いったい何時までこの作業は続くのだろう、そう自分に問いかけ、すぐに掻き消す。
そんな日が続いた。
 
そして5月のある日、ついにその日が来た。
 
リサが痙攣を起こし、手足が震えている。左手は宙に浮きプルプルと震えているのだ。
病院に連れて行くと、先生は「もう今夜が山かも知れないね」と言った。
最後は家で見取ってあげようと、連れて帰った。
 
私たちは、リサの容態を診ながら、リビングで過ごした。
この後きっと来る何か、それを心に感じながらも、リサが苦しそうに身をよじる度に、体を撫ぜ「よしよし」「大丈夫だよ」と声をかけた。
 
何が大丈夫なものか!
でも、早く楽に往かせてあげたいなんてとても言えない。
いや考えられない。私の心は押しつぶされそうになった。
 
「ねえ、ちょっと来て」
朝方、夜通し看病していた妻が声をかけてきた。
私は力尽きソファーで寝てしまっていた。
外は明るくなり、東向きのリビングの窓から朝日が差し込んでいた。
 
リサは痙攣している、苦しそうだ。
私は声をかけ、痙攣した手を軽く握った。
そしてその直後、大きく全身をこわばらせたあと……
 
空気が抜けたようにすーっと動かなくなった。
 
不思議だった、命の消えたリサの体は、それまであった生気が失せた。
綿の抜けたぬいぐるみの様にぺシャッとした、ただの物になっていた。
わずか17ヶ月の短い命だった。
 
私たちは、泣いた。
ひたすら、こみ上げてくる感情を吐き出すように、泣き続けた。
 
その後、寂しくなったわが家に変化が訪れた。
 
8ヶ月後に妻が子どもを授かったのだ。
43歳という高齢での出産だったので、ダウン症や身体障害などの心配もあった。
妊娠中に羊水検査をすれば、そのリスクを事前に知ることができるという。
 
多少悩んだが、私たち夫婦の意思はすぐにまとまった。
 
どんな状態で生まれてきても、
成長の途中にどんな病気になっても、
あるがままを受け入れよう。
 
その考えに至った時、私の心の中で、それまでの約2年半の出来事が次々と浮かび上がり、一筋のラインで貫かれた。
きっとリサはその事を伝えるために、私達のもとに来てくれたのではないか?
 
命と向き合う時の覚悟。
病気との向き合い方。
ぬものと死を見取るものの心の変化。
 
それを教えに来てくれたに違いない。
 
そして、奇しくも17ヶ月の命であったリサが死んだ17ヵ月後、私達の娘が生まれた。

 
 
 
 
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2019-08-18 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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