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イベント情報

【4/15 天狼院LIVEスペシャル】行列がとぎれない“幻の羊羹”吉祥寺小ざさ『1坪の奇跡』稲垣篤子社長に学ぶ奇跡のスーパーライブ!


天狼院書店店主の三浦でございます。
おかげさまで、天狼院書店は開店から6ヶ月を迎えることができました。

僕が天狼院を創る上で、バイブルにした本が幾つかありますが、その中でも一つあげろと言われれば、間違いなくこの本をあげることでしょう。

吉祥寺小ざさ社長稲垣篤子さんの『1坪の奇跡』(ダイヤモンド社)。

帯にはこうあります。

「たった1坪で年商3億円」
「40年以上早朝からとぎれない行列」

こう見ると、単にマーケティングの本と思えるやも知れませんが、実はこの本は、マーケティングは元より、アートやデザイン、そして何よりアントレプレナーシップといったビジネスで必要な全てが学べるまさに「奇跡の1冊」なのです。

僕はこの本に書かれている、この一行を繰り返し胸中で唱えながら、会社を運営してきました。

「事業でもなんでも、事を始めるときに大方の人は、『資金や設備がないからできない』という。潤沢に揃えてからする事業なら、誰でもできる。なければ頭を使えばいい」

これは稲垣篤子さんの実父にして、日本の元祖アントレプレナー伊神照男氏が稲垣さんにかけた言葉です。

なければ頭を使えばいい。

苦しい時は胸中でこの言葉を唱えながら、天狼院を創り上げてきました。

また、この本は運命的な出会いをもたらしてくれた本でした。
まだ天狼院をオープンする前に、他の書店で働いていた際、新刊として1冊、ダンボールに紛れ込むようにして入っていたのがこの本でした。
僕はこの本の装丁の美しさに惹かれて、作業をする手を止めて本をめくりました。知らず知らずのうちに本の世界にのめり込んでいました。読むに連れて、焦燥感に駆られました。

「この本をひとりでも多くの人のお手元に届けなければならない」

おそらくその感覚は、合理性というよりもむしろ直感的なものだったように思えます。1冊しか入荷しなかったこの本ですが、すぐに追加で100冊入れることを決めました。小ざさの模型を作り、レジ前で大展開して手売りするように1冊1冊売って行きました。
そうして、狂ったように売っていると、担当編集者の方、そしてこの本の装丁を担当した装丁デザイナーの方にも、「どうも、おかしな書店人がいる」という話が伝わったらしく、お二人はそれぞれ、僕が担当していた売り場に来てくださいました。

それが、当時も業界では有名だった名編集者、ダイヤモンド社の寺田庸二さんと、ベストセラー装丁デザイナーとして常に第一線で活躍されていた石間淳さんでした。

お二人がすごい方々だと知ったのは、ずいぶん後になってからのことで、そのときには旧知のように仲良くされて頂いていました。そして、その親交は今でも続いています。

僕にとって、この本は素晴らしい出会いとそして天狼院をもたらしてくれた「奇跡の1冊」です。

今回、天狼院では、この本の著者であり、吉祥寺小ざさの社長である稲垣篤子さんをお迎えしてトークイベントを開催することになりました。
そして、さらにすごいことには、僕だけでなく、寺田庸二さんと石間淳さんもこのLIVEに加わってくれることになりました。

主に僕が尊敬するアントレプレナー伊神照男氏について、そして伝説の名著『ザ・コピーライティング』や『ザ・マーケティング』、神田昌典さんや勝間和代さんの担当編集でもある寺田庸二さんが主にマーケティングについて、そして奇遇にも小ざさの卒業生であり、『置かれた場所で咲きなさい』でミリオン装丁デザイナーとなった石間淳さんが小ざさのデザイン性について、稲垣さんに伺おうと思っております。

4月15日。
その日、天狼院という小さな空間で、間違いなく新しい何かが生まれるだろうと思います。
ぜひとも、ライブに参加していただき、その目撃者となって頂ければと思います。

【吉祥寺小ざさ『1坪の奇跡』稲垣篤子社長に学ぶ奇跡のスーパーライブ概要】
日時:4月15日(火)
18:30 開場
19:00 トークイベント
21:00 閉会
場所:天狼院書店「東京天狼院」
参加費:5,000円(学生3,000円)
*もちろん『1坪の奇跡』を当日も販売いたしますが、参加される方はできればその日までお読み頂けると当日の会がより充実したものになるだろうと思います。
定員:25名様

【稲垣篤子さんプロフィール】
東京・吉祥寺にある和菓子店、「小ざさ」社長。
1932年、東京都生まれ。1956年、東京写真短期大学(現東京工芸大学)卒。
1951年11月19日に吉祥寺で父が「小ざさ」を創業。当時、畳1畳の屋台の店で、19歳の時から1日12時間、365日休みなく、団子を売り始める。
1954年、現在の店舗がある吉祥寺のダイヤ街に移転後、品数を羊羹ともなかの2品に絞る。依頼、現在も羊羹を練り続けている。
40年以上早朝から行列がとぎれない、1日限定150本の“幻の羊羹”は吉祥寺名物の一つとなっている。
たった1坪、1店舗の店ながら、年商は3億円超。

【編集者寺田庸二さんが稲垣さんに聞きたいこと】
私の方からは野武士的な観点から!
■18歳か19歳のとき、一家を背負え!と
屋台から、だんご商売でスタートしたとき、
いまの東急百貨店の脇で朝から晩まで
ほとんど休みなく働いたときいています。
そのとき、卒業した学校が店のすぐそばにあったので、
同級生や先輩、後輩からいろいろいわれたかもしれません
そのとき、くじけないでやれたのはなぜですか?
吹雪の日も雨の日も、いまでいう、うつにならずに
商売をやり続けられた秘訣、なんだったのか、聞きたい!

■天才的嗅覚の持ち主、伊神照男氏。
吉祥寺のダイヤ街のあの土地。
戦後すぐ闇市のところを手に入れたそうですが、
なぜ、あそこと、嗅覚が働いたんでしょう?
また、当時としてもけっこうお金がかかったでしょうし、
そこで働いている方の生活の面倒もみた、
とおっしゃっていた記憶があります。
なぜ、お父様はあの土地にこだわり続けたのでしょうか。
私は、小ざさ繁栄の裏には、ものづくりや時代に即応する
稲垣流マーケティングがあるかと思いますが、
土台として、あの最高の立地がものを
いっている気がします。そこをゲットできたとき、
お父様はどんな表情をしていたか。
これからの世の中はどうなると予言していたか。
伊神流の読みを聞きたい!!

■あの1坪の店の2Fにあがるときの衝撃が忘れない!
1段1段はしごをのぼるたびに、ギシーギシーと
鳴り響いた年輪。あれが小ざさの真骨頂ではないかと。
あのはしごで、2Fをみたとき、本当に1坪だ!と実感。
しかも、ガムテープかなんかで、つぎはぎが何度もされた形跡が!
新品を買わずに、なぜ、あのはしごを使い続けているのか
そして、何年前にどういうきっかけであのはしごを設定し
あのはしごは、稲垣さんとお父様をつなぐ、なにか
象徴的なものなのかどうか。
どういうきっかけであのはしごをつくったのか、お聞きしたい!

■銀座で露天商をされていたお父様。
そのとき、日本の元祖起業家、として、
朝日新聞にも掲載されたそうですが、
お父様はなぜ、人が誰もやっていないことを
誰よりも先に手がけられたのでしょうか。
そのために、読書や映画、芸術展など、
どんな「準備」をまえもってやられたのでしょうか?

■なぜ、1951年11月19日に開業したのか?同じ誕生日としてもう一度聞きたい。
その日はどんな天気で、どんなことがあったのか?

■これから会社にいることがリスク、という時代に突入するかもしれません。
フリーランスとして独立、法人化して起業、を考えている人へ
今年82歳の稲垣さんから、熱いメッセージを聞きたい。

■東日本大震災という大きな出来事を経たからこそ、見えてきたものはなにか。
日本古来の美意識を世界に輸出する時代を考えたとき、
日本人の強みをどう世界に主張し、どう世界と共存&戦っていったらいいか。
小ざさ流世界戦略とともに聞きたい!

■人生でいちばん感動した出来事はなにか。聞きたい!

■生涯現役!125歳までにこれだけはやっておきたいことは?

■一度だけ、紫の輝きをつくる現場を取材したとき、
それまでの温厚な稲垣さんから、戦士・稲垣篤子にスイッチオン!
あの幻の羊羹をつくっていた15分間だけは、
とっても声をかけられる状況ではなかった。
もなか、ようかん、2品に通じる、あんこへの想い、こだわりを最後に聞きたい!

【装丁デザイナー石間淳さんから】
変わらない、そしてまた、変わり続ける、小ざさ。

いわずもがな、変わらないのは、味。
そして仕事。
店内の1階2階を行き来するハシゴや、最中を(工場から店に)運ぶ箱、その人力手間ぶりなど、私がアルバイトをしていた頃からあまり変わらない様子です。

でも、「お客が目にするところ、手にするところ」だけは、ものすごく進化しているんです。
最近の手提げ袋は、大きい箱にも小さい箱にも対応できるような、複雑な特殊折り加工でできているとか。
お客の便のいいように、でも、その変化をお客に気づかれないように、そーっと、確実に。変化しているというか、稲垣さんが開発・研究を続けていらしたご成果ではと。

看板、ランプ、ステンドグラスなど店頭ディスプレイから、包装紙、手提げ袋にいたり、ほとんどすべてを、稲垣さんがデザイン・設計していらっしゃる旨、伺ったことがあります、そのあたりのことを聞きたいと思っています。


2014-03-31 | Posted in イベント情報

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