READING LIFE EXTRA

トップクリエーターたちが観た『アナと雪の女王』《READING LIFE EXTRA》


**ネタバレ注意**

ちょうど一週間前のことでございます。

今をときめく、そして間違いなくこれからの出版界をリードしていく2人と僕は会食をしておりました。

『僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?』、『カイジ「命より重い!」お金の話』などのベストセラーの著者木暮太一さんと、『僕いつ』、『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』、『就活のバカヤロー』、『非属の才能』、堀江貴文著『ゼロ』、『武器としての決断思考』、『嫌われる勇気』など、常に時代を切り拓いているミリオンズ柿内芳文さんです。

僕らは同世代であり、それぞれ立場は違いますが、同じ業界にいて、業界をより良い方向へと導こうという志を共に胸に抱いている同志であり、友人同士です。

3人で会うのは久しぶりでしたが、すぐに「超」前向きな話になります。

そう、時間を惜しむかのように、面白い話が畳み掛けるようにみんなの口から溢れ出す。

その個室はまさに異空間であり、予測不可能な化学反応が絶え間なく起きる「場」へと化しました。

 

その中で出てきたのが、今話題となっていたディズニー映画『アナと雪の女王』でした。

2人は、この映画を観ておりました。そして、絶賛しておりました。ところが、僕はまだ観ておりませんでした。

特に柿内さんはこう言う。

 

「三浦さんは絶対に観たほうがいい」

 

柿内さんとはもう数年前からの付き合いで、天狼院を作る上でもできてからも、重要なポイントポイントでアドバイスをもらっていました。また、動いてもらっていました。

彼のアドバイスは常に的確で、本質をついている。

柿内さんは、この作品の冒頭の畳み掛けるようなシーンの早さに大ヒット映画『スピード』を思い出したと言います。

 

「本来、子どもが大人に成長するというのは、ストーリーの中でキーとなるじゃないですか。それがあんな早さで描かれていて。感情移入する暇もなく、親が死んで、そして大人になっている。子どもから大人へと一足飛びに成長するのを上手く描いた作品といえば『ニューシネマ・パラダイス』がありますが、『アナと雪の女王』の冒頭はすごい」

 

それについては木暮太一さんも大いに賛同します。

 

「後々、主題歌の歌詞を見てみると、物語にはない部分が描かれているんですよ。そうだとすれば、もしかして、元々あったシーンが削られていたんじゃないかと」

「それ、あるかも知れませんね。最後、クレジットに連なっていた脚本家の名前が少なくとも10人はいたと思います」

「トップの脚本家たちに書かせて、いい部分だけを残した。その過程の中で、削られた部分が多くあったのかも知れませんね。だから、主題歌には残って、物語にはない部分があった。いい部分だけを残したので、冒頭の疾走感に繋がったのかも」

 

その翌日はちょうど、また現在この業界で最も乗っていると言っていいかも知れません、アスコム編集長の黒川さんが別の用事で天狼院にいらっしゃいました。黒川さんはミリオン行った『医者に殺されない生き方』と、すでに93万部を超えている『長生きしたけりゃふくらはぎをもみなさい』の編集者で、業界が誇るトップクリエーターの一人です。

昨日、木暮さんと柿内さんと会って、『アナと雪の女王』の話になったんですよ、と言うと、黒川さんも最高だったと言います、絶対に観たほうがいいと。また、黒川さんは別の視点でアナを観ていました。

 

「おかしいんですよね。今回のディズニーの動きをみていると。ディズニーって二次使用にうるさいはずなのに、今回は完全に放置しているんですよ。YouTubeで検索するとわかりますが、主題歌の替え歌が無数に出ている」

「つまり、それはディズニーが戦略的にやったと?」

黒川さんは頷きます。

「そうとしか思えませんよね」

 

振り返って考えてみると、僕も、今回のディズニーはおかしいな、と思っていた点がございました。

あれは『アナと雪の女王』が公開される前、僕は福岡に行った際に別の映画を観ていたのですが、予告編で流れた『アナと雪の女王』に強い違和感を覚えたのです。

通常、トレーラー(予告編)は短い中でも、簡単なあらすじや登場人物の概略が出てきて、じらしてじらして、「近日公開」へと持ってくるという仕掛けになっています。ディズニー映画のほとんどもそうでしょう。

けれども、『アナと雪の女王』はまるで違っていました。

 

雪の女王が今、大ヒットしているあの主題歌『Let it go』を奏でながら、雪の城を創っていくシーンだけが切り取られている。たしか、アナすらも出ていなかったのではないでしょうか。

妙なトレーラーだな、と思いつつ、主題歌だけはやけに耳に残ったのでした。

 

そして、昨日のことですが、また別件で、もう一人の業界のトップクリエーター、上下巻合わせて190万部を越えた『海賊とよばれた男』の担当編集、講談社の加藤晴之さんに会ったときも『アナと雪の女王』の話になりました。

加藤さんはまだ観ていませんでしたが、関連書籍を集めてこれから研究しようと思っていたと仰る。

 

「やはり、誰にでも届く、ああいう作品が求められている。ディズニーは本気ですごい」

 

この一週間で立て続けに、トップクリエーターたちに言われたら、もう観ざるを得ないでしょう。

本日の朝イチで、ついに僕は『アナと雪の女王』を体験して参りました。

 

冒頭の氷を切り出すシーンに、まずは圧倒されます。切りだされた氷が実に美しいのです。

映像が、もはやアニメとは思えないほどに美しいのです。

 

それで、柿内さんや木暮さんが言っていたように、疾走感の中で、物語が進行していく、そして、あのトレーラーにあったあのシーンへと連なる。

 

『Let it go』を歌う、解き放たれた雪の女王エルサ。

 

その美しさに、息を呑み、鳥肌が立ち、涙が止まらなくなる。

音楽に、歌声に、そして、自分は自分のままでいいんだ、とこれまで秘していた力を開放して出来上がる氷の結晶たちの美しさに声を失います。

あの冒頭のシーンで、切り出した氷の美しさを魅せたのは、このためかと思います。あの切り出した氷の美しさが、氷の城の規模でさらなる美しさをスクリーンいっぱいに魅せられたとき、人はもはや、感動せざるを得ない。

あの伸びやかな歌に、身を委ねてしまって、あとはもう泣くしかない。

人は、感動のある一定の閾値を超えると、涙が溢れるのだと、久しぶりに思い出した人も多いのではないかと思う。

 

物語の比重として、あまりにはやくクライマックスを迎えてしまうのではないかと、一瞬、心配しないでもなかったのですが、これからはディズニーのストーリーメイカーたちは素晴らしい仕事を見せてくれるのです。

 

気づけば、誰が「悪役」なのか、見えてこない。

 

アナが主人公なのはわかりますが、雪の女王エルサが悪役なのか、それとも貿易相手の国の某公爵が悪役なのか、まるでわからない。

 

「悪役」は突如として、姿を現します。

 

ピンチを救われると、ほっと仕掛けたその瞬間に姿を現します。

 

そこからは、また怒涛の展開で、クライマックスへと一気にブーストをきかせて登り詰めていきます。

 

見せかけの王子と、本当の王子。

キスの相手の変更で、物語が終わってしまっては、それはきっと陳腐になっていたでしょう。

けれども、ディズニーのクリエーター陣はそんな生半可な仕事はしませんでした。

 

「悪役」の推移と、「救世主」の推移という、二重のある意味「ミスディレクション」を用意していたのございます。

すなわち、観る者は、いい意味で二重に騙されることになります。

 

圧巻です。もはや、圧巻です。

 

素晴らしいのは、歌とストーリーラインばかりではありまえん。

脇役のキャラクターも素晴らしい。

今回は、雪だるまのキャラクター、オラフが抜群にいい。

 

それが、どこか、ジブリを思わせるのです。

 

たとえば、『ハウルの動く城』のカカシのような、たとえば、『千と千尋の神隠し』のねずみとなった坊のような、節々に笑いをもたらしてくれる愛すべき脇役が心をつかむ。

 

観終わっても、ほとんどの人が席を立たない。エンドロールを見つめている。

それで、聞こえてきた声に、なるほど、と思う。

 

「面白かったね」

 

それは幼い子どもの声でした。

大人が泣くほど楽しめて、しかも、子どももエンドロールを静かに見てなお「面白い」という作品。

 

僕は、手塚治虫や宮﨑駿のような、天才が苦悩しながら創り上げていくかたちの作品を愛してきました。もちろん、チームプレイで創り上げられていくことはあるとは思いますが、コアとして天才が独断で組み上げていく創作方法を素晴らしい、それこそがクリエイティブだと思ってきました。もっといえば、そちらの方がロマンがあると思っていました。

けれども、今回、『アナと雪の女王』を観たとき、その考えに変化がありました。

もしかして、一人の天才ではなくて、ストーリーの職人たちがチームで組み上げていくという方法論が、これからは主流になっていくのではないか。

正直いってしまえば、去年観た『風立ちぬ』には、『アナと雪の女王』ほどの興奮と感動、そして衝撃を覚えませんでした。

そう考えると、ふと、ある名作のワンシーンを思い出しました。

それは百田尚樹著の『永遠のゼロ』でした。

 

おそらく、ラバウル戦役の場面だったでしょう。

 

日本は精神論や個人の技能に頼って作戦を立案していたが、アメリカは人は弱いもの、失敗するものという前提の元に作戦を立てていた。

それが合理的で結局は日本は戦争に負けた。

 

というようなことが書かれていました。

それと同じようなことを、『アナと雪の女王』で僕は感じました。

危機感、と言っていいかも知れません。

 

たとえば、日本の方法論の場合、手塚治虫や宮﨑駿という巨大な天才が去ったあとは、また同じような天才の登場を待たなければなりません。

けれども、ディズニーの方法論の場合は、その必要がないのです。

チームで天才になればいい。チームで天才を超える「超天才」になればいい。

 

実は、これは天狼院においても、言えることなのだろうと思います。

 

天狼院の部活やラボは基本的に「オープンソース」形式をとっています。

つまり、公開し、お客様と共に創りあげることによって、一人では生み出せなかった次元のものを生み出そうと考えております。

 

「天狼院雑誌編集部」はその方式で雑誌『READING LIFE』を創りだそうとしておりますし、「劇団天狼院」もこの方式で今までにない演劇を皆様と共に創りあげようと考えております。

そして、これから公開を控えている「THE READ」というサービスもそうです。

チームでしかできないことを、やろうとしている。

 

そういった意味においても、今回、ディズニーが示してくれた道筋は、これからの天狼院にも大いに役立つだろうと思うのです。

また、この方向性で良かったのだとある意味、安心もしました。

 

それにしても、『アナと雪の女王』、観ない理由は見当たりません。

また、何度か見に行きそうです。

 

まずは、サントラを買いに行き、そして、版元さんに発注して、遅ればせながら『アナと雪の女王』コーナーを作れればと思っています。

 

天狼院への行き方詳細はこちら

 


2014-06-04 | Posted in READING LIFE EXTRA, 天狼院通信, 記事

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