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小説『ゴッドマザーの成功法則』

小説『ゴッドマザーの成功法則』西城潤著/プロローグ 行方不明の女子大生が残した唯一の言葉「サイレンス・ヘル」


〔プロローグ〕 サイレンス・ヘル

たったひとつの言葉だった。
真奈美が、たぶん身体を犠牲にしてまで手に入れてくれた情報は、意味がわからない本当に短い言葉でしかなかった。
昨晩、あの場所から私だけ無事に帰されたのは、彼らの言葉をそのまま借りれば、私が「後がめんどくさそう」だったからだ。

「まずは男に抱かれてから来いよ」

そう言って、私の頭を小突いた男の、ニヤついた顔は一生忘れない。時代の寵児だか、IT業界に旋風を巻き起こす男だかしらないけれども、女子に対してそんな言い方をする男は、絶対にろくなことにはならない。

「本当に頭にくる!」

思わずそう叫ぶと、周りを歩いていた学生たちが、一斉に私のほうを見る。「なにあの子」と囁きあって、笑いながら足早に私から離れていく。

どうせまた田舎者って馬鹿にするんでしょ、もう慣れているからいいけど。

学内の案内板を確認して、先を急ぐ。この大学に通って3年目だけれども、そのラボに行くのは今日が初めてだった。
心配なのは真奈美のことだった。
「私は平気だから」と明らかに怯えた顔で、VIPルームと呼ばれたあの薄暗い個室に消えた後すぐに、男たちの「シャンパンファイト!」という歓声が聞こえてきた。
真奈美の他にも、モデルのような子やテレビや雑誌で見たことのあるタレントも何人かいたようなので、その場で何かあるようなことはないだろうけれども、その後、いくら電話をしても真奈美は出なかった。
ただ、朝になって、真奈美からLINEでこんなメッセージがきただけだった。

「私は大丈夫。それより『サイレンス・ヘル』って言葉を調べてみて。たぶん、渋沢学部長に関係していることだと思う」

すぐに電話をしたけれど、真奈美はやはり電話に出なかった。
いくら探しても、友達に聞いても、大学にも来ていないようだった。それで、思い切ってあの場所に行こうと決めた。
思えば、真奈美が「平気」というのはいつも緊張しているときだった。
そして、「大丈夫」というときは私にも知られたくない何かがあったときだ。

確かに、私たちはあそこに行くのが危険だということは知っていた。
日本初の本格的なファイナルクラブ「SIGRE HIKO」のメンバーになるには、現在のメンバー全員から「承認」される必要があって、そのためには「儀式」を経なければならないという。
「儀式」の内容が完全に秘密にされていたから、どんなことをされるのか、憶測が憶測を読んで、学内では様々な噂が飛び交っていた。
ましなのでは、IQが140以上なら合格だとか、Facebookの友達が1000人以上でなければならないとか。
中くらいのでは、保証金1千万円をクラブの口座に振り込まなければならないとか、夜の東京を、裸でハイキングしなければならないとか。
ひどいのでは、記憶を失うまで酔わされて、無人島に置き去りにされて自力で東京に戻ってこなければならないとか。戦闘地域で、傭兵になって生き延びて帰ってこなければならないとか。
とくに、今まで女性は一人もメンバーになったことはなかったから、その憶測はひどくて、メンバー全員に抱かれて満足させなければならないとか。
これはきっと、トム・ハンクスが主演して映画にもなったベストセラー小説『ダヴィンチコード』の影響によるものだろうけれども。

でも、これらの噂があながち嘘ではなかったということだ。
真奈美があの後、電話をくれなかったのはただ単に疲れただけだとは考えにくい。私には言いたくない出来事があのVIPルームの中であったのだろう。綺麗で男子学生にも人気がある真奈美に、あのニヤついた男が興味を持たないはずがない。
ちなみに、日本ではあまり馴染みのないファイナルクラブとは、アメリカの大学生なら誰もが知っているものだ。
選ばれた者だけが入れる秘密結社で、秘密結社というと、日本では何だか怪しげな宗教団体のように聞こえるかもしれないけれど、イメージとしては超エリートたちのサロンといえば近いかもしれない。
ハーバード大学で一番権威のある「ポーセリアン」には、ルーズベルト大統領やロックフェラー家も在籍していたこともあるらしいし、イェール大学の「スカル・アンド・ボーンズ」にはブッシュ大統領親子が入っていたことで有名。
その絆は大学卒業後にこそ威力を発揮し、様々な業界でメンバーに引き上げられることになる。つまり、一度そのメンバーになると、社会に出てからも様々なことで有利になるということだ。
歴史の浅い日本のファイナルクラブ「SIGRE HIKO」では、さすがにまだ大統領とかは出てないけれど、メンバーの多くがベンチャー企業を設立し、瞬く間に成功して、特にIT業界では、このクラブのメンバーが一大勢力を築きつつあった。
それだから、「SIGRE HIKO」では、門外不出の「成功の法則」が共有されているというまことしやかな噂が立っていた。
噂だけでなく、実際に雑誌でもテレビでも「ゴッドマザーの成功法則」として特集されるようになった。その中身は、ライターや構成作家が憶測で描いたもので、本物とはまるで違う、完全なまがいものだったということが後でわかったのだけれど。
それは、ビジネス書を読んでも、ビジネススクールに通っても決して手に入れることができないものだろうと、なんとなく想像がつくが、そんな秘密の成功法則なんて、本当にあるんだろうか。

私は目的の建物の前に立っていた。
その奇抜な造形をしたラボには、きっと、気が遠くなるほどに膨大な資金が投入されて作られたんだろう。
モデルとなったMITメディア・ラボとも違い、研究所というよりはむしろ、近未来の美術館といったほうが近いかもしれない。まるで、ルーブル美術館の広場の前にあるガラスのピラミッドのような外観をしていて、入り口は周囲の壁と同化していて一見するとわからない。地上部分だけを見ると、大した広いようにも見えないが、地下に広大な施設をもっているという、もっぱらの噂だ。大学の研究所という扱いだけれども、授業で使われることはほとんどなく、限られた学生しか入れないようになっている。もちろん、私も入ったことがない。
この建物がファイナルクラブ「SIGRE HIKO」のモニュメントであり、総本山でもある。
しばらく、入り口を探すのに行ったり来たりしていたけれども、小さなプレートを見つけた。それにはこう書かれている。

「早慶メディア・ラボ」

早慶大学経営学部学部長であり、ファイナルクラブ「SIGRE HIKO」の創設者でもある、渋沢恭子が設立した最新鋭の研究所だった。
そう、渋沢恭子こそが「ゴッドマザー」と呼ばれる人である。
なんだか、不時着したUFOに足を踏み入れるみたいで、さすがに入るのを少し躊躇したが、真奈美のことを考えるとためらっている場合ではなかった。
『アリババの40人の盗賊』の「開けゴマ」って合言葉でもあるまいし、真奈美がもたらした「サイレンス・ヘル」という言葉だけでは、ファイナルクラブの分厚い扉が開くとも思えなかったけど、行くしかなかった。

中は想像以上に広かった。エントランスから、らせん状になだらかな下りになっていて、階段を使わずに地下へと迎えるようになっていた。自動ドアを抜けると、小さな部屋があり、メガネをかけた受付の女性がいた。
彼女は、下から上まで私を見て、露骨に嫌な顔をした。垢抜けていないのは、自分でもわかってる。でも、そんな顔をしなくたって、とちょっと怯みかけたけど、「何かご用ですか?」と問われてこう答えた。

「渋沢学部長にご相談したいことがあるんですけど」

受付の女性は、今度は上から下まで私を見て、訝しそうにこう言った。

「あなた、うちの学生さん?」

彼女がそういうのも無理はない。
わかる、そう言いたい気持ち。
それはきっと私が学内にいる女子大生たちとは似ても似つかない格好をしているからだろう。
正直言うと、私には「ファッション」という感覚がなく、代わりに「被服」という概念があるだけだ。 つまり、それは寒ければ服を着る、暑ければ服を脱ぐという意味であり、おしゃれをするなんて、そんな大それた、となぜかどうしても思ってしまうのだ。
だから、着るのはいつもUNIQLOで、数年前からUNIQLOもおしゃれになってくれているからちょっとは助かっているけれども、その中でも選ぶのは地味なものだったし、美容院にも行っていなかったから、周りのステキ女子との差は日に日に開く一方だった。
高校の時はとりあえず制服があったし、田舎の進学校だったから、おしゃれをそんなにしている子も多くはなく、おしゃれじゃなくてもあまり目立たなかったんだけどと言い訳してもどうしようもない。正直、完全にデビューをする機会を逃したのだ。
そう思うと急にテンションが下がった。

「ええ、一応」

と、か細く答えていると、自分でも不思議なことに、本当にここの学生なのか不安になってきた。

「アポイントはとってあるの?」

「いえ、急だったものですから」

「だったら、アポを取ってから出直してちょうだい」

受付の女性は、もはや私の方を見ようとせずに、ハエを払うように手をヒラヒラさせた。
仕方ない、退散するか、と振り向きかけたとき、ふと先ほどの言葉を思い出した。

「あの、サイレンス・ヘルって知ってますか?」

この言葉を発した瞬間、気のせいか、その部屋の音という音が全てなくなったような気がした。いや、この部屋だけではなく、周囲の部屋からも。
目の前の受付の女性も、固まったまま止まっているようだった。
まるで、時間を止める魔法をかけてしまったかのようだ。

「あの、サイレンス……」

と、言い直そうとした私の言葉を打ち消すように受付の女性の言葉が覆いかぶさった。

「それ以上、言わないで!」

言葉、というより、それは叫びに近かった。
あの、と言おうとするのを、手のひらを向けられて今度は囁くように私を制した。

「わかったから、その言葉は二度と口にしないで」

何が起きているのか、私には皆目見当もつかなかったが、どうやら、何らかの扉が開かれそうな予感はした。
真奈美が身を挺して掴んだ言葉には、何か、意味があるらしい。そして、口にするのも憚られるような言葉らしい。
まもなく、奥のドアが乱暴に開けられた。
息を切らせて現れたのは、耳に白いイヤフォンをつけ、白衣を着た若い男だった。
あ、と私とその男は同時にお互いの顔を指した。そして同時にこう言った。

「どうして、ここに?」

学生たちからのあだ名は「イヤフォン」。または「アップル」。
それは通勤最中や休憩中だけではなく、その男が四六時中耳にアップルの白い純正イヤフォンをつけているからだ。その音の響きを聞いただけで、およそ、学生たちから少なくとも尊敬はされていないということは推し測れるだろうと思う。
事実、経営学部の講師「イヤフォン」こと保科秋は、生徒から人気がなかった。ただ人気がないだけでなく、ダントツに人気がなかった。
その理由は簡単だった。
講義がめちゃくちゃに難しいのだ。その上、めちゃくちゃにつまらない。しかも、最悪なことに、単位が取りにくい。
毎年、春に出回る講義のオススメランキングでは、常に最下位をキープしていて、今年はそれが殿堂入りになったようで、イヤフォンは、通勤途中に、アメフト部のみんなに校門のところで唐突に胴上げされて、いたく困っていた。
それでクビにならないのは、実は渋沢学部長の男だからではないかとの噂もあったが、それは単なる噂に過ぎないと思う。
40歳を超えているといっても、渋沢恭子は豪奢で美しく、一方の保科は典型的なうだつがあがらない男だからだ。
まえに、一度、保科先生本人に、理系の研究者でもないのになぜいつも白衣を着ているのか聞いたことがあった。その答えは単純だった。

「いや、だって毎日着替えるの、面倒だろう」

そう言って、実に面倒くさそうに頭をかいた。
その答えを聞いて、私はとても安心感を覚えた。それなので、私は保科先生のゼミを受けることにしたのだ。ちなみに、保科先生のゼミ生は私一人だった。

「私一人なんですか!?」

驚く私に対して、保科先生はこう言った。

「いや、いない年もあるんだよ」

とんでもないことになったと一瞬思ったけれども、考えてもみれば、ゼミ生の飲み会とか、煩わしいこともないし、気楽でいいということにすぐに気づいた。
そう、保科先生も私も、似たもの同士で私にしてみれば案外居心地がいいのだ。それに、先生の授業はいわれているように難しくも単位を取りにくくもなかった。でも、そしたら、どうしてあんな噂が流れているんだろう。

その保科先生が、いつもとは違った緊張した面持ちで、私の前に座っていた。私も、それに合わせてきちんと座り、膝の上に手を置いて言葉を待った。

「あのさっきの言葉だけど」

ああ、と私がその言葉を言おうとするのを、保科先生は、いや、いいんだ、と慌てて制した。
ええ、と呼吸を飲んで、私は頷く。

「あれ、どこで聞いた? 誰に聞いた? そして、誰と誰に話した?」

と、保科先生は徐々に興奮し、早口になって言った。それに自分でも気づいたのだろう。
あ、すみません、と言って聞き直した。

「どこで聞いた?」

それで、私はあの言葉を聞くことになった経緯を正直に話すことにした。

「六本木の、たしか、オーパス・ズィーいう名前のクラブです」

それを聞くと、保科先生は何ら反応を示さなかった。知らないからではなく、あえて無反応にしているように見えた。

「なぜそこに?」

なぜそこに私たちは行ってしまったのか。それはとても重要なポイントだった。

私も真奈美も、早慶大学の三年生だ。
ふたりとも、就職活動なんか絶対にしないということで意見が一致していた。

「つまらない人生なんて送りたくないよね」

会うたびにふたりでそう話していた。
真奈美には女優になりたいというちゃんとした夢があって、日本でも有名な学内の演劇サークルに入っていた。
けれども、見た目は華があるんだけれど、演技力が足りずにエースの座には付けなくて、壁に突き当たっていた。このまま女優を目指してもいいのだろうか。それとも親がいうように就職活動を始めなければならないのか。彼女はいつもそんな悩みを抱えていた。
私は、もっとひどくて、なりたいものすら見つからなくて、でもせっかく東京に来たからには普通に就職だけはしたくなくて、必ず何かで成功したいと思っていた。何で成功したいのかって聞かれると困るけど。

3年生になり、就活の解禁日があと8ヶ月、7ヶ月、6ヶ月と徐々に近づいてくるにつれて、不安が膨らんできて、ちょうどそのとき発売されていた雑誌の特集を見て、私たちはついに噂の「SIGRE HIKO」に飛び込むことにした。
都市伝説よりはきっと可能性は高いよね、などと言ってふたりで笑っていたが、ファイナルクラブの特集記事を見たときには、唯一残された希望のような気がした。
きっと、成功者は自分たちだけが知っている「成功の法則」を知っているに違いない。それを手に入れることができれば、私達も成功して幸せを勝ち取ることができる。少なくとも、一生蟹工船で働くような惨めな生活を送らなくて済むはず。
飛び込むと言っても、メンバーへのつては全然なくて、同じ早慶生だし、女子大生だし、真奈美は綺麗だから何とかなるだろうと思い、卒業してITベンチャー企業で大成功をしている西條宗介のパーティーに潜入した。まあ、私は潜入に失敗したのだけれども。
潜入した、真奈美が手に入れた手がかりは、「サイレンス・ヘル」という言葉だけだった。

「ということは」

と、保科先生は言った。

「そこであの言葉を聞いたのは、君とその子だけだったということだね」

私はこくりと頷いた。正確にはそこで西條宗介から直接その言葉を聞いたのは真奈美だけで、私は今朝LINEで知らされただけだけど。

「それで、その子は今どこに?」

「連絡がつかないんです。朝にメッセージをもらったきり」

すると、保科先生は携帯電話を操作しながらひとりごとのようにこう言った。

「あいつ、イエローカードって言ったのに」

「イエローカード?」

私のほうをチラリと見て言った。

「あ、もちろん、さっきの言葉については忘れるように。友達のことは心配ない。僕が何とかするよ」

そう言って立ち上がり、携帯電話を耳に押し当てながらどこかに行こうとする保科先生の手を、慌てて掴んで引き止めた。これが最後のチャンスのような気がした。

「あの、私もファイナルクラブに入りたいんですけど!」

保科先生は、携帯電話を一度下ろし、きょとんとした顔でしばらく私を見つめて、やがて大笑いした。

「君がSIGRE HIKOに入りたいだって? それ、本当にウケるよ」

ひとりしきり笑うと、保科先生は思い出したように「あ、悪い、僕だ」と電話に出て、その部屋を後にした。
私は、なんだかとても恥ずかしい気持ちになって、しばらくの間、ひとり、その席に座っていた。

急転直下。
そう、あとになってその日のことを思い出すと、あそこを境に、まさに急転直下に人生が変わったのだと思うようになった。
そのターニングポイントとなったのは、まちがいない、「サイレンス・ヘル」という言葉を、私が発したあのシーンだ。
あれ以来、私の周りの時間が、急に速度を増し、私が見える景色が変わっていったように思う。
保科先生と早慶メディア・ラボで妙な対面をした翌日、なんだか気乗りがしなくて、1限目をさぼってベッドの上でうだうだしていると、何気なくつけていたテレビから、気になる言葉が聞こえてきた。

『たった今入った情報です! 今話題のIT企業オートクラシー本社に東京地検特捜部が強制捜査に入りました。インサイダー取引の容疑で、CEOの西條宗介氏が逮捕された模様です。繰り返します、オートクラシー本社に強制捜査が入りました』

……オートクラシー、……西條宗介?

「えっ!?」

私はベッドから飛び起きて、なぜかテレビの前に正座した。
ビルのエントランスから捜査員に挟まれて連行されてくるのは、一昨日の夜、私に「まずは男に抱かれてから来いよ」と言った、あの男だった。
しかも、少しも悪びれた様子もなく、顔を隠すこともなく、あのときのようにニヤついていた。今テレビに映っているのは、まちがいない、あの嫌な顔だった。
ふと、昨日の保科先生の言葉が耳に蘇った。

あいつ、イエローカードって言ったのに。

サッカーに詳しくない私でも、ワールドカップはテレビで何度か観たからいくらかルールはわかる。イエローカードの次はレッドカードだ。

「もし、これがレッドカードだとしたら……」

それからまもなく、携帯が振動し始めた。LINEのメッセージの受信。
真奈美からだった。

『遥香へ。心配かけてごめんね。急なんだけど、私、九州の田舎に帰ることにした。実家の文房具屋、やってみようと思って。相談もせずにごめんね。私は大丈夫だから』

すぐに私は真奈美に電話をした。何かの冗談かと思った。
着信音が鳴らずに、すぐに通話に変わった。

「もしもし、真奈美!? あなた、本当に……」

そうまくし立てるように携帯電話に向かっていう私に応答したのは、録音された無機質な音声だった。

この電話番号は現在使われておりません……。

いったい、どういうことだろうか。何が起きているんだろう。
西條宗介はインサイダーの容疑で逮捕され、真奈美は急に九州の実家に帰る?
あの夜、共に過ごしたふたりが、東京での居場所を失おうとしている。とても偶然だとは思えない。誰かの意図が介在しているはずだ。とても力を持った誰かだ。
保科先生は、昨日、こうも言っていた。
友達のことは心配ない。僕が何とかする。
何とかするって、こういうことなの?
でも、あの保科にそんなことができるとも思えない。保科はそもそも助手に過ぎないのだ。だとすれば、このすべてを命じているのは――。

「ゴッドマザー」

その言葉を口にすると、一瞬、背筋が寒ったような気がした。
まちがいない、「ゴッドマザー」の異名を持つ渋沢恭子が裏で手を回しているのだ。

「こうしてはいられない」

私は大慌てで着替えを済ませて、マンションを後にした。すっぴんなのはいつものことだ。

早慶メディア・ラボに行き、また昨日の受付の女性の前に立つと、今日は打って変わって怯えたような表情を見せた。
私はほくそ笑んで、あえてゆっくりと大きく呼吸を吸って、あの言葉の頭文字、「さ」の発声の口をして見せると、待って、と彼女は制した。

「わかったから、それ以上は言わないで! すぐに呼ぶから!」

まもなく、出てきたのは、思ったとおり、今日も保科先生だった。
ただし、昨日と違って、全然慌てたそぶりは見せなかった。
しかも、事件への関与をてっきりとぼけるものと思っていたが、意外にも相手はこう切り出した。

「さて、穏便に話し合おう。君の望みはなんだ?」

それは自分たちが事件に関わっていることを暗に認めたも同然だった。変に突っぱねて、学内で噂になってしまったり、最悪ネットやマスコミに情報を流されるよりも、ここで処理してしまったほうがいいと考えたのだろう。と、いうことは、逆に考えると私は有効なカードを握っているということになる。

「直接お伝えしたいので、まずは渋沢学部長に会わせてもらえますか」

どうせカードを使うなら、ボスに使ったほうがいい。

「それはできない。僕が学部長の全権代理だと思ってもらっていい。もちろん、学部長へは君のことも含めて僕のほうから全て説明しておく。つまり、僕がこれから君に約束することは、すべて学部長本人が言ったとみなしていいということだ」

「なら、すぐに長瀬真奈美を連れ戻してください。確かに、首を突っ込みすぎたかも知れませんが、九州に帰って夢を諦めるだなんて、あんまりです」

「何か、君は勘違いしているようだ。長瀬君が君に何を言ったか知れないけれど、事実はそうじゃない。あの夜、彼女はSIGRE HIKOのテストを受けて、その先のテストを受けることを自ら辞退したんだ。こんなことに巻き込まれるんなら、もう東京にはいたくない、もう成功なんかしたくないと」

その言葉に、私はちょっとショックを受けた。

「真奈美がファイナルクラブの入会テストを受けたんですか? ひとりで?」

「テスト、といっても、本当の入会テストを受ける前の、度胸試しみたいなものさ。これで、彼女には『成功する覚悟』ができていないということがわかった。そして、そのことを自覚した彼女は、自ら九州の家族の元に帰ることを選んだ。ただ、それだけのことだ」

あの場所で何があったのかはわからない。
どんな状況からそんな話になったのかはわからないけれども、私は真奈美に抜け駆けされて寂しいような、悲しいような、複雑な気持ちになった。やっぱり、真奈美みたいな華やかな女子はVIPルームに通されて、私みたいな垢抜けない女子は帰される――。それが世の中の仕組みなのかと思うと、悔しかった。とても悔しかった。

「保科先生、私の望みは何かってさっき聞きましたよね?」

「ああ、それがどうかしたか?」

そういう保科先生の目に、怯えのようなものが一瞬見えた。

「私をファイナルクラブ『SIGRE HIKO』に入会させてください。入会テストを受けさせてください」

まだわからないようだね、と保科先生は心底呆れたように言った。

「それはできないんだよ。なぜなら、はい、どうぞ入会を許します、といえるほどSIGRE HIKOは簡単じゃない。僕にはもちろん、学部長にだって入会させる権限はない。クラブのメンバー全員の承認が必要だからね」

だったら、と私は言った。

「学部長とクラブのメンバー全員の承認が得られるように、先生が私を鍛えてください。私、どうしても成功したいんです。このまま田舎に帰るわけにはいかないんです」

保科先生は、今までに見たことのないくらいの真剣な眼差しでじっと私の目を見つめた。
そのとき、保科先生がその一瞬で何を企んだのか、私にはわからない。けれども、この沈黙の一瞬で、彼は何らかの可能性を見出したんだろうと思う。保科先生の眼差しの奥に、微かな火が灯されたようにも思えた。なぜか、一気に風向きが変わった。
保科先生は、やがて、掠れるような声でこう私に言った。

「本気か?」

私はその眼差しをまっすぐに受け止めてこくりと頷いた。頷いた瞬間、これから起こることに対して、恐怖心を抱かないでもなかった。しかし、恐怖心や後悔よりも、期待のほうがはるかに大きかった。

「垢抜けない田舎娘を一流に仕上げるのも、面白いかもしれないな」

そう言った保科先生は、もしかして、私を鍛えることを単なる余興と考えているのか知れない。けれども、そのときの私にしてみれば、理由なんてどうでも良かった。秘密の成功法則への好奇心を止められなかった。
息をのんで、次の言葉を待った。

「わかった。僕が全力で君に『ゴッドマザーの成功法則』を叩きこもう。君が成功から逃げない限り、ちゃんと教えると約束するよ」

「やったー!」と思わず私は腕を突き上げて叫んでいた。

「成功したくて上京したんです。逃げるはずないじゃないですか!」

保科先生は耳から垂れていたイヤフォンのコードを指で弄びながら、それを鼻で笑った。

「はたしてそうかな」

 

【次回予告】第1講 成功者は誰にも明かさない「成功の秘密」を持っている。

怪しげな大学講師保科秋によって、「ゴッドマザーの成功法則」を叩き込まれることになった女子大生藤村遥香。次回から、本格的にマンツーマンの講義が始まります。

世の中にあまた出回る成功法則を書いた本を、保科はこう切り捨てます。

「あんなもの、味のなくなったチューイングガムみたいなもんさ」

 保科が教える成功法則とは何か?

そして、そもそも保科秋とはいったい何者なのか?

次回から、徐々に明らかになっていきます。

乞うご期待でございます。

 

小説『ゴッドマザーの成功法則』西城潤著 目次と配信日時

プロローグ 行方不明の女子大生が残した唯一の言葉「サイレンス・ヘル」
配信予定日時:7月16日(水)22:00 配信済み:本作

第1講 成功者は誰にも明かさない「成功の秘密」を持っている
配信予定日時:7月23日(水)22:00

第2講 あなたが成功できないたった1つの理由
配信予定日時:7月30日(水)22:00

第3講 成功リミッターを木っ端微塵に粉砕する方法
配信予定日時:8月6日(水)22:00

第4講 「ノブレス・オブリージュ」を身につける
配信予定日時:8月13日(水)22:00

第5講 成功の上昇螺旋の登り方
配信予定日時:8月20日(水)22:00

 

 

【登場人物】

□藤村遥香〔女子大生〕

「何か」で成功することを夢見て、田舎から上京する。田舎では成績優秀、地元の名士の娘だが、都会ではただの「田舎者」扱いされて、なかなか馴染めない。普通に就職活動するために上京したんじゃないと、成功するための秘密を探るべく、とあるパーティーに足を踏み入れる。

□保科秋〔イヤフォンの男・アップル・ファイナルクラブ「SIGRE HIKO」支配人〕

渋沢恭子によって見出された後、学術の道へと進む。その素性は明らかにされていない。講師として講義を担当するが、単位取得が最も難しい上につまらないということで、毎年、学生には全く人気がない。常にアップル純正のイヤフォンをつけているので、生徒たちの間からは「アップル」「イヤフォン」とあだ名される。渋沢が運営する組織のほぼ全てを実質的に取り仕切る。

□渋沢恭子〔ゴッドマザー・早慶大学経営学部学部長・早慶メディア・ラボ所長・ファイナルクラブ「SIGRE HIKO」主宰・フューチャリストファンド代表〕

母校である早慶大学経営学部で講師をしている際に、保科秋を見出し、彼を助手にする。それからめきめきと頭角をあらわす。助手の保科とともにアメリカの有名大学を渡り歩き、帰国後助教授(現在の准教授)、教授に進み、学部長に就任する。ハーバード大学のファイナルクラブを模して、早慶大学内にファイナルクラブ「SIGRE HIKO」を設立、自らその主宰となる。SIGRE HIKOのメンバーは各界で活躍し、特にIT業界においてその出身者が大きな影響力を担うようになり、いつしか渋沢恭子は「ゴッドマザー」と呼ばれるようになる。「SIGRE HIKO」のメンバーがスポンサーとなり、MITメディア・ラボの早慶版、早慶メディア・ラボを設立。同時に学部長選挙で圧勝して初の女性学部長となる。また、新しいベンチャー企業への投資を行う投資ファンド、「フューチャリストファンド」代表として、ファンドマネージャーの顔も持つ。

□長瀬真奈美〔女子大生・女優志望〕

藤村遥香の友人。遥香とともにとあるパーティーに潜入。その後、連絡がつかなくなる。

□西條宗介〔ITベンチャー企業「オートクラシー」CEO・ファイナルクラブ「SIGRE HIKO」メンバー〕

 

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