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ガイドブック

小道を抜けたら、あの日が見えた《湘南ウォーク・トリップ》


*この記事は、《湘南ウォーク・トリップ》にご参加のお客様に書いていただいたものです。

湘南天狼院【5/4(水祝)】湘南ガイドブックを創る1DAY旅行〜人と出会い、リトル旅行を楽しみ、取材し、旅行案内を創作し、発表する1日完結旅行!【9名様限定】

 

 

記事:河瀬佳代子(湘南ウォーク・トリップ)

 

※これはフィクションです

 

 

ゴールデンウィークの江ノ島なんて、本当は行きたくなかったのかもしれない。

海が、気持ちいい。

風も、あの日と同じように、気持ちがいい。

……こんなに天気がいい日だったら、やっぱりやめておけばよかったかもしれない。そんなことを思いながらも、足は勝手に岩場の先に進んでいく。

「ねえ、こっち来て! 写真撮ってあげる」

あの日の彼の言葉が蘇ってくる。岩場の先端まで進んで、振り返った。目の前には、ただただ青い海だけが広がっている。

(あの日と、同じ……)

しばらく言葉もなく、私は立ち尽くしていた。

 

 

3年前、私はベトナムから国費の留学生として来日した。理系の大学院でグラフィックを学ぶためだ。同じ研究室で学んでいたのが、彼だった。

彼は異国から来た私にいろいろと教えてくれた。不慣れな言葉、日本の習慣、そういうことを優しく教えてくれた。

同じ日本に来た留学生でも、辛い目に遭っている人も多いと聞く。でも彼のおかげで私は不自由することや、交渉ごとにも困らずに日本で生活することができた。

私たちは急速に仲良くなっていった。そんな状況で彼のことを意識しないでいる方が無理というものじゃない? だって、私も1人の女性なのだから。でも、彼は将来を嘱望された日本の優秀な学生で、私はいずれ国に帰る身。いつか離れる日が来るのだろうからそんなに好きになってはいけないとわかっていても、頭とは裏腹に心はどんどん彼のとりこになっていった。

「日本にはゴールデンウィークっていう長い休みがあるんだけど、予定、空いてる?」

「特に、ないけど」

「そしたら、江ノ島っていうところがあるんだけど、よかったら行かない? いろんなお店があって楽しいと思うよ」

そう彼に誘われて、初めて江ノ島に来たのだった。

 

長い休日、雲ひとつない晴天ということもあって、江ノ島というところはとても混んでいた。ベトナムにも、繁華街だったら混んでいるところはあるけど、こんなに海に囲まれたところにぎっしり人が集まっているなんて、ちょっと不思議な光景だった。

「どう? 江ノ島って、狭いところにいろいろあるから面白いんだよ」

「ほんとね。……あれは、なあに?」

真正面に見える、赤い大きな棒のようなものが気になったので彼に訊いてみた。

「あれは、神社っていうんだよ。日本の神様をお祭りしているところだよ」

「ベトナムにも、神様はいるわ。ông địa(オン ディア)は土地を守ってくれる神様で、thần tài(タン タイ)はお金や商売繁盛の神様なの。2つ揃って、祭壇に飾られているのよ」

「そうなんだ。じゃあベトナムの神様の方が身近だね、日本の神様も、家の中にもいるけど、こうして大きくお祭りしているところが多いかな」

彼はそう言ってから、私の手を引いた。

「神社は後から行けるんだけど、こっち、来てみてよ。いいものを見せてあげる」

彼はそのまま、神社の手前の横道に私を連れていった。何があるのかな。

細い小道をどんどん進んでいく。途中に食べ物屋さんがあった。こんなに狭いところに、食べ物屋さんがあるのね。ちょっと感心しながらもそのまま彼について進んでいった。

 

 

進んだ先に、海が見えた。

「わあ、海!」

「きれいだろう? みんな、メインの通りばかり進んでいくけど、ここを見せてあげたかったんだ。ベトナムの海も綺麗だと思うけど、江ノ島の海も綺麗だから」

深みのある群青色の沖合や、きらきらと寄せては返す近くの白い波。こんなにくっきりとコントラストのある海を見たのは初めてだった。

「どう?」

「うん、とっても綺麗。すごく綺麗」

「君も、綺麗だよ」

私は戸惑っていた。綺麗だなんて。綺麗って言葉はわかっていたけど、そんなこと言われるとは思ってなかったから。

「君のことが、好きになったんだ。なんでも一生懸命な君がね」

「え……」

「……よかったら、付き合わないか。僕たち」

「え……、いいの?」

「いいよ」

「……嬉しい。すごく、嬉しい」

「やった! そしたら、僕たちは今日から恋人だね」

私は彼にもたれかかった。いい人だな、素敵な人だなって思っていたから、そんなふうに言ってくれたことが本当に嬉しかったから。

「ねえ、写真撮ってあげる」

「ほんと?」

「今日の服、とっても綺麗だから。そこに立って、振り向いて」

私は彼に微笑んだ。岩場の先端に立って、潮風を全身で受け止めていた。太陽はとても明るくて、なんて素敵な日なんだろう。好きな人から好きだと言われるなんて。

今日ほど幸せな日は、これまでも、これからも、ないのかもしれないな。なんとなくだけど、そう思っていた。

 

その日から1年が過ぎた。

あの時、付き合い始めた私たちだったけど、その日々は長くは続かなかった。

世界中を震撼させた、あのパンデミックが、私たちの壁となったのだった。

ベトナムに住む家族が軒並み感染して、まず父が死去した。そして家督を継ぐはずだった一番上の兄がこの世を去った。母は私に言った。

「ねえ、お願い。日本での勉強が終わったら、すぐ帰国して。生活が成り立たなくなったのよ」

「でも……」

国費留学の期間は1年間だったが、もう1年延長できるかもしれないと国からは言われていた。彼と私が過ごす時間は、次第に勉強以外のところでも多くなっていった。私は彼との時間を失いたくはなかったのだ。

(この人と、今、離れるのは、辛い……)

「ママ、もう1年、日本にいてはいけないの? まだ研究したいことがあるの」

「お願い。こちらのこともわかって欲しいの」

研究を建前にはしていたけど、結局彼といたかった気持ちの方が強かった。でも故郷の家族のことも考えないといけない。まだ高校や中学に通っている弟や妹もいる。学費が出せなければ彼らは学業をドロップアウトしないといけないのだった。みんな大学まで出してやりたい。そのためには私が戻って働かないといけないのだ。

「わかった。帰る」

断腸の思いで私は決断した。

帰国しないといけないと告げた時の彼の顔は、今でもはっきりとおぼえている。

どうして? 信じられない! と繰り返す彼に、故郷の家族のことを告げた。

「稼ぎ手がいなくなってしまったの。私は故郷に帰らないといけない」

「そんな……。せっかく君のことをわかってきたのに。どうしても行かないといけないんだ」

「そう。みんなが食べていけなくなるから。私は働かないといけないの。日本では、こんなことないのかもしれないけど、ベトナムではみんなが必死で働いているのよ」

「そうなんだ。悲しいけど、僕にはどうすることもできない」

「ごめん。本当に、ごめん」

彼はしばらく黙ったままだった。

「そしたら、僕たち、誓いをしないか?」

「誓い?」

「最初に江ノ島に行っただろ? あの島のフェンスに鍵をつけると、恋人たちは永遠に結ばれるっていう話があるんだ。行こうよ」

誓い……。彼がそう言ってくれることが嬉しかった。私たちは再び江ノ島に向かった。あの小道を曲がって、赤い橋の下をくぐってどんどん坂を登ると、見晴らしのいいフェンスが見えた。

「ここだよ」

彼はそう言って、ハート型の鍵を用意した。

「南京錠って言って、一度つけたら取れないんだ。だから恋人たちがつけにくるんだ」

鍵には私たちの名前が書いてあった。

「ほら、つけたよ。これでもう僕たちは離れない。たとえ離れていても、一緒だよ」

「……ありがとう。今日のことは、忘れないから」

彼がくれた精一杯の心だったのかもしれない。それ以上、私たちに何ができたのだろう。今考えてもわからないけど、とにかく彼は私に優しくしてくれた。その思い出を胸に私は帰国した。

そこからさらに1年が過ぎた。

彼とはメールやSkype、zoomもしていたけど、その頻度はだんだん少なくなっていった。私は私でベトナムの家族の生活を支えることに精一杯だった。一家の大黒柱となって、IT企業に勤めていた。日本での研究の成果は大きかったため、すぐに重要なプロジェクトにはいることになったからだ。

家族のことはどうにかなりそうだけど、あまりにも仕事が忙しくて彼との便りも途絶えがちになっていた。そしてパンデミックも終息せずに、日本に渡ることもほぼできなくなっていた。

これでいいのだろうか。そう思わなくもなかったけど、目の前のことをこなすことに必死だった。時々彼と一緒にいられたらどんなにいいだろうと思ったけど、現実、それは叶うことはなかった。

叶わないことを考えていても仕方がない。そう思い始めた時に日本から知らせが来た。

「ねえ、大変。落ち着いて、よく聞いて。……彼、今度結婚するんだって」

「えっ?」

「同じ研究室の、後輩の子と仲良くなってしまったの。どうなのかと思っていたけど、2人の間も進んでしまって。なんて言っていいのかわからないけど……」

結局そういうことなのかもしれない。距離が離れて、行き来もできないなら、無理もないかも。パンデミックは止まないし。

「わかった。悲しいけど、とても悲しいけど、しょうがないよ。教えてくれてありがとう」

知らせてくれた日本の友達にお礼を言ったあと、私は思い切り泣いた。もうどうしようもなかったのだ。

世界的にパンデミックが落ち着いたのは、さらにそこから1年後のことだった。

日本とベトナムをつなぐ仕事をしていた私に、訪日の機会が訪れた。日本に行くのか……。少し気が重かったが仕方がない。仕事だから。そう割り切って日本に行く支度をした。

ふと、江ノ島に行ってみようかなと思った。

なんでそんなことを考えてしまったのだろう……。思い出があり過ぎて、行ったら辛いはずなのに、わけもなく行きたくなった。

(3年前につけた、あの鍵はどうなっているのかな)

誓いって言ってたよね。誓ったのに、それを破ったんだもんね。あの鍵、壊れているといいけど。なくなっちゃってたらもっといいかもしれない。その行く末を、見たかった。

手を引かれて上がった小道を再び登る。鍵のついたフェンスはどうなっているんだろう。

どれだったかな。忘れかけた記憶を引っ張り出す。

……あった。

鍵に書いた名前はもう、色褪せて、消えてしまっていた。

名前、ないじゃない。消えてるじゃない。思わず笑いたくなった。そんなものなのかな。そんな程度のものだったのかな。誓っても、どうにもならない。雨に晒されたマジックのように、消えてしまう運命だったのかもしれない。

会えなくて、思い切り泣いて、恨んだりもしたけど、全ては最初から決まっていたのかもしれない。これでよかったんだ。これでよかったんだ。自分に言い聞かせながら、笑いたいような、泣きたいような、ないまぜの気持ちになった。江ノ島の小道を思い切って抜けて見たら、あの日の自分がそこにいた。そう思ったら、晴れた空を見上げて、また泣きたくなった。

《終わり》


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