簪(かんざし)は、髪を飾るだけではない《こな落語》
2021/09/20/公開
記事:山田将治(READING LIFE編集部公認ライター)
相も変らぬ世情が続いて居りまして。
毎年秋、特に九月の末と為る頃には、落語界でも『真打昇進披露』等という、一世一代の御披露目があるものですが、こう窮屈な状況では、祝う方も今一つ盛り上がりが欠けてしまいます。
毎度お馴染みの町内でも、夏祭りや花火を始め、いつもはパッと金遣いが荒くなる催しが、今年も軒並み中止と相成りました。
普段は、御上(おかみ)の言い付けを素直に聞いている長屋の連中も、不自由が続くとどこかで発散したくなるものです。
今回の噺(はなし)に出て来るのは、食いしん坊で有名な美人妻・なつきさんです。
久し振りに何やら買い物をしたようで、ウキウキした足取りでいつもの大家さんの前にやって来ました。
目聡(めざと)く、なつきさんを見付けた大家が声を掛けます。
「おや、そこを通るのは、おなつさんかい?」
「はい、大家さんこんにちは」
「おなつさん、今日は随分とご機嫌じゃないか」
「はい、橋向こうで素敵なものを見付けたんです」
「ほう、そりゃ一体何だい?」
「美味しそうな、簪です」
「何だい、美味しそうな簪って?」
「それがこれなんです」
「その、抱えている大きな包みのことかい?」
「そうです。これです」
「簪にしちゃ、大層な大きさだねぇ。髪に付けたら馘(くび)が捥(も)げちまいそうな大きさだ」
「嫌ですよう、大家さん。この“かんざし”は髪に付ける簪じゃなくて、お口に入るものなんです。御飯(おまんま)の代わりに」
「あぁ、その“かんざし”のことかい。ちょいと見せてごらん」
「はい、どうぞ。よかったら、大家さんにも少しお分けしましょうか?」
「いやいや、それには及ばないよ。この“かんざし”が本物かどうかを見てあげようと思ってね」
「“かんざし”に本物と偽物が有るんですか?」
「本物てぇ程の物(もん)じゃ無(ね)ぇがな、ま、“かんざし”は『端』の片方なんだよ」
「えッ! 御飯頂く箸に一本ずつ名前が有るんですか?」
「そうじゃない。おなつさんが、与太郎みてぇなこと言ってどうする。私が言いたいのは端っこのことだ。よく御聞きよ」
「はい、あいすみません」
「先ずな、“かんざし”てぇ呼び名は、素麺の端っこの切り落としのことを言うのは、おなつさんも御存知だな」
「はい、存じ上げています」
「おっ、存じ上げるなんてぇ、流石におなつさん、単なる食いしん坊じゃなくて、文(ふみ)を書くのも御上手と御見受けするな。しかも、こいつは本物の“かんざし”だ」
「嫌ですよ、大家さん。煽(おだ)てたって何も出ませんよ」
「いいから、いいから。“かんざし”の続きを聞きなさい」
「はいはい」
「素麺には、大きく二種類あるのは御存知だろ」
「はい、普通の素麺と手延べ素麵ですよね」
「そうそう。手延べ素麺といえば、小豆島も島原も三輪も高級品は総じて手延べ作りだ」
「どうやって見分けるんですか」
「あぁ、そこを教えてなかったねぇ。大まかにいうと、普通の素麺には丸麺じゃない極細の饂飩(うどん)みてぇな素麺が有るはなぁ。その点、手延べ素麺は全部丸麺だ」
「あらまぁ、どうしてですか?」
「それはな、手延べ素麺は、その名の通り人間の手で延ばして作るからだ。延ばすって言うと解かり辛いが、引っ張ると考えた方が解り易いよ」
「引っ張って、延ばして細い麺にするから丸麺に為るんですね」
「ま、正確に話すてぇと、一晩掛かっちまうから、今ん処はそれでいい」
「それで、何で素麺の端っこに二種類の名が有るんです?」
「そこだよ、問題なのは。手延べ素麺は、普通の素麺と比べるとより麺が細くて、少し短めだよな。それは、少しでも無駄な端っこを少なくしようとしての苦心なんだ」
「そうなんですか」
「それにな、手延べ素麺は、ホセてぇ細い竿二本使って手で引っ張るんだ」
「普通のは一本なんですか?」
「そうそう。冷や麦とか乾麺の饂飩と同じ一本だ」
「へぇ、手延べ素麺って手間が掛かってるんですね」
「そうだよ、何せ人力で全部作業すんだからな」
「だから、少しでも端っこを短くするんですね」
「そうなんだよ。そいでもってな、もう一つ考えなくちゃならねぇのは、素麺を拵(こしら)える時の練り水の量と塩分の濃度だ」
「どうちがうんです?」
「それも、細かく話すと一晩掛かるから……」
「大家さんは、蘊蓄が多く為るから一晩掛かるんですね」
「いらんこと言わんでヨロシ。手延べ素麺は、加水が多いし塩分も高い。ってぇことは、端っこはそのまんま‘おやつ’にしてポリポリ食べることが出来るんだ。但しな、食べられるったてぇ所詮は生だ。喰い過ぎると腹痛起こすことに為るってぇこった」
「それで“かんざし”にするんですか?」
「そうじゃない。素麺の端っこは、ちょいと口寂しい時に喰うものなんだ。
ところがだ、普通の、冷や麦と同じ製法の素麺な、こいつは生で喰うには、ちょいとばっかり塩分が足りなくて‘おふ’みてぇな感じに為っちまうんだ」
「そうなんですね。それで、そっちはどうやって食べたらいいんです?」
「おなつさんは、この“かんざし”をどうやって召し上がるおつもりだい?」
「えぇ、“かんざし”を素麺と同じ様に茹でて汁にしっかり付けて頂きます」
「それよりな、汁を少し薄めて拵えて、それで“かんざし”を茹でるんだ。そうすると、丁度いい加減の塩っけになるから。腹壊す心配もないし」
「そうなんですね。私は“かんざし”もポリポリ食べたくて……」
「だから、ちょいとだったら構わんよ。ただ、子供みてぇに際限なく食べるもんじゃないんだ」
「それで、子供が手を出さない様に“かんざし”って名にして売ってるんですね」
「そうそう、おなつさん、いいとこに気が付いたねぇ」
「有難う御座います」
「それとな、さっき言い掛けたが、普通製法の素麺はどうしても塩分が手延べに比べると低くしなきゃいかんのだ。それに、麺の長さの関係、これも詳しく話すと一晩掛かるからまたの機会だな。そいで、麺を裁断する時に普通の素麺は端が長く為っちまうんだ」
「何とかならないんですか?」
「何ともならないから、女性受けを狙って洒落た名を付けてるんじゃないか。しかも、ちょいと端っこが長いから“簪”みてぇな形に為ってるし」
「私はまた、子供が手を出さない様に“簪”にしたのかと」
「んな訳なかろーが」
「そうですよね。でも、この次はウチの宿六(亭主のこと)に本物の“簪”を強請(ねだ)っちゃおうかしら。私も子供じゃないんだし」
「はい、そうしなさい。そうしなさい」
≪お後が宜しいようで≫
*諸説有ります
【監修協力】
落語立川流真打 立川小談志
❏ライタープロフィール
山田将治(天狼院ライターズ倶楽部湘南編集部所属 READING LIFE公認ライター)
1959年生まれ 東京生まれ東京育ち
天狼院落語部見習い
家業が麺類製造工場だった為、麺及び小麦に関する知識が豊富で蘊蓄が面倒。
また、東京下町生まれの為、無類の落語好き。普段から、江戸弁で捲し立て喧しいところが最大の欠点。
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