メディアグランプリ

何色でもない空の色


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:ひでさん(ライティング・ゼミ特講)
 
 
「では、このインクの色に名前をつけてもらえますか?」
インクブレンダーさんは、完成したその色をインク瓶に詰める作業をしながら尋ねてきた。
 
ここは、デパートの中にある催事スペースの一区画。
万年筆関連のイベントが行われており、2日間限定で、インクブレンダーと呼ばれるその道のプロフェッショナルな方が万年筆のインクをブレンドし、好みの色を作って販売してくれるという企画だった。
 
しばらく待ち行列に並んでおり、前の人の様子を見ていたので、そのプロセスがあるのは理解していた。
「完成した色に自分で名前をつけられるんだ」
自分の望む色が出来上がるだけでもうれしいのに、さらに命名までできることに感激し、前の人の色が出来上がる工程を興味深く眺めながらも、待ち時間の間に自分なりに考えていた。
 
色に名前をつけるなんて、思えば不思議なものだ。
色は、それこそ無数にあるものだ。その微妙な違いを考慮してきちんと判別すれば、同じ色なんてあり得ないように思う。
 
秋に行った紅葉狩りを思い出す。
真っ赤に染まった紅葉だったが、その葉の一枚一枚をよく見ると形はもちろん、他の葉の色とは異なっており、その一枚の葉の中でも無限のグラデーションが表れていた。
「みんな違う。だから美しいんだ」
 
それはそうだろう。
陰影もなく単色の紅葉。色の変化がないのっぺりとした紅一色の紅葉など想像できないし、したくない。
それぞれが、複雑な色彩を持っており、それぞれが美しく、神秘的で、時には奇妙さを感じさせるものが重なり合う。そこで生まれる絶妙なコンビネーションが見る者を惹きつけ、心を揺さぶる、というものだ。
 
だけど、私たちは、複雑怪奇な色の様相を赤、青、黄色のようにシンプルな言葉に一般化して、それを理解した気になってしまう。
もちろん、それはそれで理にかなっている面もある。
いちいち厳密に表現していたら、限られた時間での円滑なコミュニケーションの妨げになるだろうし、記憶して再利用することにも支障をきたすだろう。
 
ただ、言葉にすることで、失われてしまうこともある。
例えば、道端で見かけたコスモスの花。
「ああ、コスモスが咲いている」
そう思うことで、コスモスを見ているのに、コスモスを見ることができなくなる。それは、自分の記憶の中のコスモスという知識につなげているだけで、今、目の前のコスモスを見ているわけではないからだ。
 
「コスモス」という言葉に存在を回収されてしまったコスモスは気の毒だ。
頭の中に知識として単純化され、理想状態にされてしまったコスモスは、きっと生気を失い、花びらの枚数も数えられないくらい干からびて、平凡な姿になっているのではないだろうか。
 
「ああ、コスモスが咲いている。きれいだな」
以上、思考停止。
 
そこに、輝きを放ち、風に揺られながら、瑞々しくコスモスが咲いているというのに……。
 
眼前のリアル、多様性、そしてそれらが織りなす美しさ。
これは人間も同じだと思う。
誰一人、同じ人はいないというのも、紅葉の葉より理解しやすいだろう。
それが難しければ、自分と同じ人間がこの世界に居るかどうか想像すればいい。
「いるわけがない」と容易に納得できるのではないだろうか。
すなわち、それぞれが異なった人であること自体がすでに大きな価値であり、そして、貴重な存在ではないか。
 
それを「〇〇な人」と単純化して、一般化して、自分の記憶に収め、それで分かった気になる。
そして、それ以上理解しようとしなくなる。
 
吟味することなく好き、嫌いと二分する。
苦手と思って、避けようとする。
昨日と今日の違いを見つけようともせず、古い記憶を更新しようともしない。
 
一輪挿しの花をゆっくり愛でるように、人と向き合えないのはなぜだろう。
「〇〇な人」と勝手に解釈して、勝手に名前をつけて、自分の中で固定化して、動きのないものにして完結させてしまう。
目の前の人は、こんなにも豊かで、複雑で、活動的で、奇妙で、美しいのに。
誰一人、同じ色なんてないのに……。
 
そして、先ほどから、私が注文した万年筆のインクが調合されている。
私は、ブルー系をベースに、突き抜けるような青空をイメージする色を希望した。
 
私は、自分の中のリアルな空の色を言葉で伝えた。
伝えきれないもどかしさを感じながらもコミュニケーションは進み、その色はできあがっていく。
インクブレンダーさんは、色の魔術師のようだった。
その数滴の色がどんな作用をして、どんな結果をもたらすのか、予め分かっているような迷いのない機敏な動きだった。
 
「こんな感じでしょうか」
 
そのインクと使って、試し書きをする。
紙面に空色の線が描かれていく。
「もう少し、明るい感じで」
 
そんなやり取りを数回経て、ようやく完成した。
宇宙が透けて見えるような、美貌の青空を。
 
「では、このインクの色に名前をつけてもらえますか?」
 
この色の命名に対する、私の心は決まっていた。
でも、それを口にするのは、ためらいがあった。
だから、少し沈黙の時間をおいて、こう答えた。
 
「何色でもない空の色」
 
インクブレンダーさんは、「いい名前ですね」と言うと、私の顔を見てにっこり微笑んだ。
 
 
 
 
***
 
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2019-09-16 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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