メディアグランプリ

人生やってみなけりゃわからない


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記事:齋藤絹子(ライティングゼミ・日曜コース)
 
 
「だからさ、やってみなくちゃわからないでしょ!」
「先のことはわからないけど、自分で何とかするから!」
これで一体何回目? と半ばうんざりしながら、両親を説得するための決まり文句を吐いた。
 
私は26歳の時、会社を辞めて、外務省傘下の国際協力機構がやっている、海外ボランティアプログラムに参加することに決めた。当時働いていた会社は、かなり恵まれた環境で、人間関係も給料も待遇も比較的良いし、仕事もそれなりに面白く、まさに申し分のない職場。
 
私が会社を辞めてボランティアプログラムに参加したい、と言った時点で、親からすると、バブル崩壊後の不況のご時世で、そんな恵まれた環境を辞めてまで、しかも開発途上国などという、訳の分からない所に行って一体何を考えているんだ? プログラムが終わって帰国したら無一文の無職じゃないか、この不景気にその後の生活設計はどうするんだ? せっかく苦労して大学まで出してやったのに、何ということだ! ということが頭の中を渦巻いていたに違いない。だから、あの手この手で将来の不安を煽るような質問をぶつけ、何とか娘の私を思いとどまらせようとした。
今振り返ると、それも親の愛ゆえの行動で、子供が無茶をして痛い目に合わないよう、思いやってくれていたことなのだろう。自分も人の親になった今になって、当時の両親の想いや心配もよくわかる。
 
が、私はどうしても未知の世界へ行ってみたかったのだ。そこに一点の曇りも迷いもなかった。
 
仕事はやりがいもあったし、たくさんのことを学ばせてもらうことができた。でも一方、期間限定とわかっているとはいえ、忙しさが続くと、一体何のための仕事なのか? という疑問も湧いてきてしまっていた。そんな時に、電車のつり革広告でボランティア募集の案内を目にしてしまったのが運の尽きだったのかもしれない。
 
私の場合、どうも先進国への留学やワーキングホリデーは全く興味がなく、選択肢に考えられなかった。だからと言って、開発途上国に対して、特段熱い想いを持っていたわけでもない。
きっかけはただ、「途上国の方がなんか面白そう」 というちょっと風変わりな好奇心からだった。
どうせ行くなら生活環境も文化もかなり日本と違うだろう、と予想されるところで暮らしながら、自分に一体何ができるのかという、自分の未知の可能性を試したかったのだと思う。
一度決めたら何をやっても止められない私の性格をよく知っている両親も、ボランティア派遣への試験に合格した時点でしぶしぶ承知してくれた。職場の上司や同僚にも最後まで良くしていただいた。
 
そんな訳で、無事マーシャル諸島という太平洋の小さな島国にボランティアとして他の仲間数名と一緒に赴任することになった。最初は目に入るものすべて新鮮でワクワクする一方、配属先になった短大のボスは特に押しの強いアメリカ人だったので、英語でのコミュニケーションが苦痛で、神経性胃炎になった。思っていることをうまく伝えられないストレス、ちょっと威圧的な彼女の雰囲気に負けずに、言うべきことを言わなければならないプレッシャーから、胃薬なしではご飯が食べられない時期がしばらく続いた。
 
そして、赴任してからたくさんの「目からウロコ」 の異文化ビックリ現象にも慣れてきて半年ぐらいたつと、今度はマーシャル人や彼らの言動の嫌なところが目につくようになり、うんざりして日本が恋しくなったりした。が、一方で気が付けば、神経が図太くなり、胃薬ともおさらばして、アメリカ人ボスに言いたいことを伝え、仕事ぶりも少しずつ認められるようになっていた。
 
さらに2年の任期のうち残り1年を切ると、マーシャルの文化をありのまま受けいれ、郷に入っては郷に従え、でマーシャル人の同僚とも仲良く、彼らのやり方を尊重しつつ、アメリカ人ボスにアメリカ式では現地になじまない改善点も提案しながら仕事も進められるようになった。まさに異文化適応の見本をたどった、という感じだ。思い返せば当時はとてもつらいと思ったことも、その結果英語やコミュニケーション力が鍛えられることになったし、人生無駄になることは何一つないなぁ、とつくづく思う。
 
気が付けば、こういう仕事が性に合っていたようで、マーシャルでの最初の経験から、20年以上たった今も、同じ業界で途上国の人達と一緒に働く仕事を続けている。やはりあの時、周りの反対を押し切ってもボランティアに参加したことが、その後の自分の人生を180度変え、人一倍面白いこともつらいこともたくさん経験し、有難いことに仕事を通して自分の知らないことを学び続けさせてもらっている。そして今、また50歳を過ぎて、これから再び大転換するために、こうやって新たな学びもいくつか始めている。
 
先のことなど今だってわからない。ただ何とかなるし、何とかするさ、という妙に確信めいた自信はある。
だって自分の人生は誰のものでもない、自分のもの、自分が主人公なのだ。
思うだけ、考えるだけでは時間に流されるだけで、何も変わらないまま後悔だけが残ると思う。
時に迷いながら、不安を抱えながらでも、自分で決めて何か小さくてもいいから行動すれば、そこから何かが始まるのではないだろうか? と私は信じている。
 
人生を「長い旅路を車で移動すること」 に例えるとすれば、自分の人生の車の運転手は自分。
どんな車で誰と一緒に何をして、どこに行きたいのか、決めるのも、そして運転するのも、責任を取るのも自分なのだ。それは他の誰のものでもない、かけがえのない自分の人生なのだから。
 
 
 
 

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2019-09-19 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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