メディアグランプリ

子どもは待ってもらえることを愛と感じる存在である


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:山本周(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「思うんだけど、運動会ってほんとにやりたい人っているのかな?」
久松奏拓君は、マイク片手にそんな話題から話し始めた。
ちょうど世間は、秋の運動会シーズン。まあなんとタイムリーな話題だ。
 
今回、トークライブの会場として借りたのは、京都市内、左京区にある平安教会だ。
朝10時から、私たち夫婦を含む、このトークライブ実行委員の3名と、その他お手伝いで来てくださっている方々で設営した会場は、午後1時半の開演に、70名の来場者で埋まっていた。
 
「そうたは、どう思うの? 」
もう一人の登壇者、浅井智子さんは久松奏拓君のことを、そうた、と呼ぶ。
二人の、このトークライブは、各地で反響を呼び、今回の京都開催で12回目となる。掛け合いもリズムも心地よく、なにより浅井さんの、そうた君の言葉を待つ間が、まさにプロだ。
 
「どうして先生はあんなに怒るのかな」そうた君は続ける。「命令口調だし。子どもが先生に、ロボットのように動かされているだけだよね。ずっと昔から、運動会は続けられてきて、おかしいとか、変えようとか、もう止めようとか、言えなくなってるんじゃないかな」
 
久松奏拓君は、三重県四日市市に住む、小学3年生である。
このトークライブは、そうた君が、もっと子どもの気持ちを大人に知って欲しい、でも大人たちも忙しくて耳を傾けられていない、じゃあ、自分が話そうと、彼が小学校1年生の時から始めたものだ。
彼は自分を「こどもの気持ち届け隊 隊長」と称している。
 
登壇のもうお一方、浅井智子さんは、岐阜県の「自然育児 森のわらべ多治見園」園長だ。
私たち夫婦が、このお二人のトークライブの京都開催を企画したきっかけは、そうた君の、物おじせず、的確に相手に自分の気持ちを表現できる能力に感銘を受けたことだ。
が、この浅井智子さんの、育児に対する考え方にとても共感できたことも非常に大きい。
 
彼女は2009年6月、多治見市内の緑豊かな緑地公園や野外施設、森林や川、里山において、園舎を持たずに保育を行う「森のようちえん」を開園した。
この3月に初めての自著、『お母ちゃん革命』(ポプラ社)を出版している。
本を読んだ親御さんが、多治見園の入園を希望する例も増えているとのことだ。
 
わたしたち夫婦には、現在、9歳、7歳の子どもがおり、ご多分に漏れず、育児の苦労には事欠かかない。わたしは、育児に当初からよくかかわってきたとは思うが、妻が第一子誕生後、産後うつになったため、否が応でも深くかかわらざるを得なくなった。
 
浅井さんは言う。子どもは生まれた時から、より良くありたい、幸せでありたいと願っている。そこに向かう原動力を兼ね備えて生まれてきている。だから、その子どもたちの、その原初の力のようなものを、われわれ大人は信じて待てばよいのだと。
 
長男が生まれた時、母親のお腹の中でのトラブルで、彼は保育器に入れられ、NICU(新生児集中治療室)がある病院に救急搬送された。その後の退院までの2週間、妻が母乳を搾乳したものを冷凍し、わたしが彼の病院に運んだ。その際、わたしは何度か「元気でいてくれたらいい。他は何も望まない」と思ったものだ。
 
そんな子どもへの純粋な願いは、時を経ると記憶から薄れていくのだろう。気づかないうちに、子どもを大人の枠にはめようと、あれこれ考えてしまっている自分がいる。わたしは彼の先回りをして、何でもやってしまう親ではないけれど、ついつい、彼の本当の思いを聞かずに、自分のこだわりを彼に推すようなことをしてしまっている。
 
浅井さんの「森のわらべ多治見園」の第一の理念は、「信じて待つ」だ。
前提としてあるのは、子どもは、放っておいても、自分をより高めようとする生き物であるということだ。大人はそれを信じ切らねばならない。
すると、子どもは、待っていてもらえるんだということを実感し、安心感を得て、その大人を「信頼する」。この関係性がなにより大切なのだ。
 
京都のトークライブには、そうた君のご両親も来てくださっていて、会場からの質問に答えてくれた。そうた君のお母さんは、自分の子育てについて、「とにかく、そうたが今、何を見ているのか、何を感じ、どうしたいのかをいつも彼の斜め後ろぐらいから見守っていました。それぐらいなんです、わたしがやっていることと言えば」と語った。
彼のお母さんも、信じて待ったのだ。
 
思い返せば、昨年10月、この二人のトークライブを、子連れで福井県まで聞きに行ったのが、全ての始まりだった。福井のトーク後の懇親会で、「京都にも来てください」と妻は口走っていた。わたしは、その後ろで目を点にしていたが。
登壇のお二人には、それほどまでに、わたしたちを動かすだけの原動力があったのだろう。
 
 
 
 
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この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。 「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿して


2019-09-19 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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