メディアグランプリ

希望のひかりを灯し続ける


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:井村ゆうこ(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「うわっ、停電?」
 
6歳の娘といっしょに入浴中、突然風呂場の電気が消えた。季節は夏。時刻は午後6時。外では台風による強い雨と風が、渦巻いていた。
寝る時も、小さな電気を点けたままにしておかないと眠れない娘が、こわがって泣き出した。娘を落ちつかせながら、風呂場のドアを開け、バスタオルを体に巻き付けて、私は懐中電灯を取りに、廊下へと出た。
納戸の扉をひらき、懐中電灯に手を伸ばしたところで、電気が戻り、明るくなった。
ものの3分程度の停電。念のため懐中電灯を脱衣場の床に置いて、手早く入浴を済ませた。
 
「懐中電灯」と「風呂場」
 
この2つのキーワードが、私に、遠い過去の記憶を、呼び起こした。
 
それは、私がちょうど、今の娘と同じ、幼稚園の年長のときのことだ。
両親とふたつ上の姉といっしょに、私はアパートで暮らしていた。
古いボロボロのアパート。部屋に風呂場はなく、敷地内の共同の浴場を使っていた。
 
その共同浴場には、照明がついていなかった。
照明器具が壊れていたのか、単に大家が電球の交換を怠っていたのかは、分からない。どちらにしても、そこで入浴するには、懐中電灯持参でなければならなかったことだけは、鮮明に覚えている。
母と姉と私の3人は、毎晩、懐中電灯の弱いひかりだけを頼りに、髪と体を洗った。
今振り返ってみると、なんとも心細い場面ではあるが、当時の私はむしろ、楽しくて仕方がなかった。
 
和室が二間しかない、そのボロボロのアパートには、夜逃げ同然、着の身着のままたどり着いていた。母が当時同居していた姑、私の祖母から逃れたい一心で、何も持たず、娘ふたりを連れて飛び出したのだ。いつもなら、祖母の肩をもち、母に家に帰るよう説得する父も、この時は、母がホームの端まで追い詰められているのを感じ取ったのか、黙って合流してくれた。
 
初めての親子水いらず、4人だけの生活は、幼心にも自由で輝いていた。
おもちゃはなく、友だちもいなくなってしまったが、それでもうきうきと、こころが躍った。
その頃は、その理由を、認識も理解もしていなかったが、大人になり、ひとの親となった今ならわかる。
笑っている母がいて、リラックスしている父がいて、うれしそうな姉がいたから、私は楽しくて仕方なかったのだ。
 
「もうすぐ、新しいきれいなお家に引っ越せるからね。お風呂場もちゃんとあるお家だよ。あとちょっとの辛抱だからね」
懐中電灯が放つ頼りないひかりの中、自分に言い聞かせるように話す母の姿が、忘れられない。
風呂なしのおんぼろアパートで暮らすこと半年。念願かなって、父の勤務先が建てた新しい社宅に、一家そろって入居することができた。
 
「新しい自分たちだけの城」という希望があったからこそ、母はひかりのない暗い風呂場で、笑顔をみせることができたのだろう。
「家族4人での暮らし」という希望があったからこそ、私たち親子は、狭くきたないアパートで、微笑みあえたに、違いない。
 
希望とは、暗闇を照らすひかりだ。
希望さえ失わなければ、どんなに先の見えない未来にも、ひかりを灯すことができる。
そのことを、母が教えてくれた。
 
そして、その数年後、姉もまた、私に教えてくれた。
 
「大変なことになっちゃった」
 
母が慌てた様子で、ひとり暮らしをしている私に、電話をしてきたのは、今からおよそ20年前のことだ。はじめは母が何を言っているか、よく聞き取れなかった。そのうち、話の内容がはっきり見えてくると、今度は私が言うべき言葉を失った。
 
当時25歳だった姉に、乳がんがみつかったのだ。
 
それからの日々のことは、正直言って、記憶が断片的だ。
まだ若い姉のことを思い、母が必死で探した病院で、乳房温存手術を受けた姉。放射線治療によって、髪がごっそり抜け落ちた姉の姿を、忘れるはずはないのだが、なぜかその姿は、ぼやけている。
それよりも、退院し、ウィッグをつけて職場復帰した、凛々しい姉の姿を、より鮮明に思い出す。
 
リンパ節に転移が見つかって再入院、乳房全摘の再手術を受けたときの姉の姿も、よく思い出すことができない。
それよりも、母に当時付き合っていた彼と、いっしょに住みたいと訴えたときの、姉の真剣なまなざしを思い出す。
 
次から次へと転移がみつかり、手術ができない状態となった姉の姿も、記憶の奥底に隠れてしまっている。
それよりも、姉が望み、病院の許可を得て行った旅先で、母と3人いっしょにお風呂に入ったときの、姉の気持ちよさそうな表情を思い出す。
 
どんなに痛みに襲われようとも、どんなに姿かたちが変わろうとも、どんなに運命に翻弄されようとも、最後まで姉は、希望を失わなかった。
 
28歳で死ぬその日まで、希望というひかりを灯し続けた。
 
人生は思い通りにならないことの方が、圧倒的に多い。思わぬ試練や不幸が、突然襲い掛かってくる。
しかし、どんな状況に追い込まれようと、希望だけは失ってはならない。
希望さえ持ち続けることができれば、手探りでも前へ進むことができる。
 
きれいごとに聞こえるだろうか。
 
もし今、困難な状況に置かれているひとや、進むべき道を見失ってしまっているひとには、赤の他人の戯言に聞こえるかもしれない。
 
それでも、構わない。
それでも、私は言い続ける。
 
希望を失ってはならない。
 
希望を失ってはならない。
 
この言葉が、この言葉を必要としている人に、届くことを信じたい。
きっと届くはずだ。私が、希望のひかりを灯し続ける限り。
 
 
 
 
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2019-10-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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