良いことへの序章かもしれないのに、愚痴るなんて勿体ない
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記事:春野そら(ライティング・ゼミ平日コース)
「ちゃんと、わかってるから……」
会社の上司だった増田さんは、穏やかな顔を私に向けて、微かに首を横に振り、「シーッ」とするように、人差し指を唇の前に立てた。
入社九年目、転勤して二ヶ月後の、忘年会の帰りだった。酔った勢いで、私はついつい愚痴を吐いた。
二ヶ月前の送別会では、本社栄転と揶揄されて、私はすっかりその気になっていた。それなのに、蓋を開けたら、とんでもない。全く意に沿わない業務だった。
それでも、愚痴は言わなかった。いや、言えなかった。転勤したばかりで、周囲に愚痴る相手すらいなかった。
忘年会で、たがが外れた。
「なんで私だけ、こんな仕事をさせられるんですか?」と、私は腹に溜まった鬱憤をはらそうとした。
「ちゃんと、わかってるから……」
増田さんはその一言で、私の暴走にストップをかけた。
「ふーん……」
私は口を尖らせながら、大きく肯いた。周囲がわかってくれているなら、それでいいや。妙にストンと腹に落ちた。
あの日から、私は、なるべく愚痴を吐かないと決めた。
でもたまに「なんで私だけ……」の被害者意識が頭を過ぎる。
「あいつ、なんであんな仕事してんの?」とみんなに思われてるんだろうなと、勘繰ったりもする。周囲の視線や言動が、妙に気になったりもする。
実際、馬鹿にしたように、鼻で嘲り笑う奴もいて、イラッとしたこともある。
その、〝イラッと〟しないためには、どうしたらいいのか。
まず、他人の言動に対して、感情的にならなければいい。
具体的にどうしたらいいかというと、例えば、「今、○○さんは、鼻をフッと鳴らして、笑ったな」という風に、自分の感情とは切り離して、他人の動作だけを、冷静に客観的に、ただ認識するようにする。
それだけで、他人の言動から生じる自分の感情は、結構抑えられる。
なぜなら、他人の言動にイラッとなるのは、ほんの一瞬だ。その瞬間をはぐらかしてやると、案外、感情をコントロールできるものだ。
ところが、イラッとしなくなっても、やっぱり誰かに愚痴りたくなる。
なぜだろうか?
それはきっと〝私は今、こういう状況にあって、とっても不満なんだ〟と、誰かに知って欲しいからだ。
もちろん、適切な相手に都度都度、ちゃんと〝希望〟を伝える必要はある。
希望を伝えられれば、今の状況に不満なことは、わかってくれるはずだ。その後はもう、状況が変わるのを、じっと待つしかない。
とは言うものの、待つ身は辛い。ついつい誰かに愚痴って、不満を解消したくなる。が、実は、愚痴を吐いても、不満は解消されないのだ。
愚痴は、自傷行為だ。
誰かに愚痴ってるときの自分を、思い出して欲しい。
頭の中で、嫌な奴の顔を思い浮かべて、嫌な状況を再現して、誰かに伝えている。嫌な状況を再現して、何度も自分の心を傷付けている。これでは、不満は増すばかりだ。
状況が変わらないなら、考え方を変えるしかない。
会社の先輩が、以前、こんな寓話を教えてくれた。
ある国の王様には、腹心の家来がいた。その家来はいつも「王様に起こることは全て、良いことでございます」と言うのだった。
ある日、王様は指に怪我をした。それでもその家来は「王様に起こることは全て良いことでございます」と言った。
怒った王様は、その家来を牢屋に閉じ込めて、狩りに出かけてしまった。
ところが王様は、首狩り族に捕まってしまう。首狩り族は王様を、神様への生贄に捧げようとした。だが、王様は指に怪我をしていたので、生贄を免れた。
帰国した王様は、腹心の家来を牢屋から出し、「怪我をしたのは良いことであった」と謝った。
腹心の家来は、こう答えた。
「私こそ、牢屋に入れられたことは良いことでした。なぜなら、王様の狩りに随行していたら、王様は怪我をしているので生贄を免れたでしょうが、怪我をしていない私は生贄にされていたはずです。私に起こることも全て、良いことでございます」
この寓話の解釈は、様々あると思う。
私は、『何ごとも、ある時点の状況だけで、または、ある一面だけを見て、良し悪しを判断しないほうがいい』と解釈した。
実際、本社に転勤になったあのとき、新しい職場で、いきなり即戦力を期待されたら、潰されていただろう。
通勤や職場に慣れるまでの、会社側の配慮だったのかもしれないと、今なら思える。
寓話の中の家来のように、〝何ごとも、自分に都合がいいことしか起こらない〟と、楽天的に構えていたほうがいいのかもしれない。
あれから二十年が経過した。
私は今でも時々、忘年会帰りに、私の愚痴を制止してくれたときの、増田さんの仕草を思い出す。
どこで何をしていても、不満はあるもので、私は今でも、愚痴りそうになる。
けれど、今は不満でも、それは〝良いこと〟への序章かもしれない。
だから、「なんだか愚痴が入ってきてるな」と感じたら、私はふっと身体の力を抜く。そうして、なるべく楽しい話に転換するように、心掛けている。
そうすれば、自分も楽しくなるし、きっと話し相手も楽しくなるはずだ。
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