母の献身
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:東友彦(ライティング・ゼミ特講)
「明日の午前4時に死ぬよ。暴力団に家が見つかったから、もうすぐ殺しにやって来る。あんたも起きて死ぬ準備して!」
目を覚ますと母はそばに座ってこちらをじっと見つめて、普段よりも低い声で迷いなくそう言った。最悪の目覚めに頭痛がした。
母が幻聴を聞いているとわかってから1週間。幻聴の相手は40歳過ぎの警察官らしい。その彼が言うには、僕の義姉の借金が数千万円あり、取り立てに暴力団がやって来るそうだ。「警察のネットワークを使って調べてくれたから間違いない!」「お兄ちゃんたちには自己破産するように言ってある。だから暴力団は私たちに所に来る。逃げても仕方ないから死ぬ。あんたも一緒に死んで!」
どうしていいかわからない僕は嫌がる母をなんとか病院に連れていき、精神科の医師に経緯を話し相談した。「妄想性障害」との診察を受けたが、母は「大丈夫です病気じゃありません」の一点張りで医師の話を聞こうとはしない。医師は「本当は入院させて薬を打って、意識をドロドロにしてゼロから立て直すしかないけど、どうするかはご家族で相談して決めてください」と僕にだけこっそり告げた。診察後、母からは「なんでこんなとこに連れてきたんよ! 自分の心の中のことを人に話すなんて嫌や!」と泣きそうな顔だった。「しまった!」母にこんな顔をさせてしまったことをひどく後悔した。「意識をドロドロになんてさせてたまるか!」僕の中で入院と言う選択肢はあり得なかった。「自分が母の側にいる!」そう心に決めた。
母が死ぬと決めた翌朝の午前4時になり、警官が迎えにきてくれる予定のポイントに一緒に出向いた。警官が誰にも見つからない海岸まで送ってくれるから、その海岸で飛び降りると言う。警官が自殺を手助けするという筋書きがおかしいのだが、そんなことはお構いなしだ。しかし、待てども待てども警官は現れない。そりゃそうだ。次第に母の幻聴に対する不信感が見え始め、自殺騒動は一旦落ち着いた。
父が早くに亡くなり、母1人で2人の子育てと祖父母4人の介護をして、順番に見送り、ようやく落ち着いて1人になった矢先に母は幻聴を聞くようになった。人のために生きてきた明るい母が、ふと自分の存在感を感じられなくなったのだろう。
仕事を辞め、母と共に暮らすことに決めた僕は、会社にその旨を伝えた。
上司からは「このまま幻聴が聞こえていることがお母さんにとって幸せなのか? 薬で治療した方がいい」「お母さんのために君の人生を犠牲にするな」と説得されたが、僕の意志は固かった。
「そうだ。今までこういう常識的な意見に流されてきたんだ!」
ずっと医療分野で研究を続けてきたが、仕事に意味を感じなくなっており、人の健康のためにもっと違う関わり方があるんじゃないか? と悶々としていた時期だった。でも「これがやりたい!」と上司を説得できなければ会社を辞められない、具体的なビジネスモデルが明確になっていなければ食っていけない、そんな言い訳ばかりで自分の足で立つことから逃げていた弱さに気がついた。母の幻聴は自分自身の叫びだったんじゃないか? 自分の人生を自力で切り開けない情けない息子のために、母が命を削って後押ししてくれたんじゃないか?
そう確信したからこそ、「何が正解かはわかりませんが、今は母の側にいたいので会社を辞めさせてもらいます」と上司にはっきり告げることができた。不思議と清々しい気分だったことを覚えている。母のおかげで不確実な未来に飛び込む覚悟を手に入れられたのだと深く感謝した。
その後も母は幻聴に支配され、ベッドの上で声の言う通りグルグルと回り続けたり、体を床に何度も打ちつけたり、とエクソシストのような世界が繰り広げられもうダメかと思うこともしばしばあったが、時間とともに幻聴の声が少しずつ小さくなっていき、以前のような明るさが母に戻ってきた。
母と共に暮らし、母との関係性を今一度見直すことで、母が回復した。このプロセスを経験できたことで、「存在を贈る」と言うことが最も尊い医療行為に思えた。自分が求めていたのはこれだったんだ! と言う確信があった。
薬や入院治療ではなく、人との関係性を編み直すことで人は癒えていく。
そんな関わり方を仕事にしていきたいと考えていたら、知人を介して、「やまと茶房」という就労継続支援B型作業所にご縁をいただいた。スタッフの皆さんに母の話をしたら、「最善の対処をされましたね」と共感してもらえ、仲間として受け入れてもらえた。現場で出会う障がい当事者たちが抱える生きづらさは、人間関係、特に家族との関係性に拠っていることが多かった。しかしその問題は家族だけでは解決できない。捻れた家族関係を揉みほぐし、解いて、結び直す取り組みをライフワークにしていく。これが母の献身に対する僕の答えだ。
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