JOKERと言語ゲーム
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記事:小林翔太(ライティング・ゼミ平日コース)
「これは言語ゲームの話だな」
先日、話題の映画「JOKER」を観た直後、浮かんできた感想である。ちょうど直前まで読んでいた橋爪大三郎さんの「はじめての言語ゲーム」に引っ張られる形で、見るものすべてがそれに見えていたのが理由だと思う。
「言語ゲームって何?」という反応が大方のところだろうと思うので、順番に説明をしていく。「JOKER」については、若干のネタバレを含んでしまうので、予告編以外は前情報を入れたくないという方は、ぜひ観終わってから読んでみてほしい。
ジョーカーは、ご存知DCコミックスに登場するヴィランである。アメコミファンの中では、1,2を争う人気キャラクターで、「ダークナイト」でヒース・レンジャーが演じたジョーカーは、まだ記憶に新しい方も多いだろう。今回映画「JOKER」で描かれたのは、そんなジョーカーの誕生の物語。監督曰く、他のDCコミックス映画とは独立した作品、ということだ。
舞台は1980年代のゴッサムシティ。格差社会で貧富の差が激しく、市民の不満はたまり続けている。その中で精神に障害を持つ主人公アーサーが、出会いや事件を通して、ジョーカーへと変貌していく様子が描かれている。
ここで少し「言語ゲーム」の説明もさせてほしい。「言語ゲーム」とは、哲学者ヴィトゲンシュタインが提唱した概念である。ここからの説明は、「はじめての言語ゲーム」を読んだだけの付け焼き刃のものなので、正確に知りたい方はそちらを読んでみてほしい。
「言語ゲーム」を説明するために、まずひとつ例として、「机」について考えてみたい。「机」とはなんだろう? 大辞林では、「1 本を読み、字を書き、また仕事をするために使う台。ふづくえ。2 飲食物を盛った器をのせる台。食卓。」と定義されている。
この辞書の定義を見て、「確かにそれは机だ!」と思っただろうか。例えば、ダンボールを机代わりにしていたらどうだろう。「机代わり」にしているわけだから、ダンボールは「机」ではない。でも机らしさはあるらしい。
何が言いたいのかというと、要するに「机」という身近な概念一つとっても、私たちはその実際の意味するところをわかっていない。実際には、私たちは「机」なるものを幼いころからたくさん見てきている。そしてそのたくさんの「机」を、他の人たちが「机」と呼ぶのを見て、「なるほど、これが机なのだな」と理解している。多くの人たちの振る舞いを見て、言語の意味することを学んでいく。これが大雑把に見た「言語ゲーム」の意味するところだ。
では、「JOKER」に話を戻そう。
この世界では、後にジョーカーとなる主人公アーサーは、世の中の不条理に耐え続けている。自身の持つ障害のせいでバスでは不審がられる。不良に襲われ、職場ではボスに怒鳴られる。
そしてアーサーは問いかける。
「狂っているのは世界なのか、自分なのか」と。
アーサーからすれば、世界のほうが狂っているのだ。
これはつまり、アーサーは彼の生きるゴッサムシティの「言語ゲーム」にうまく参加できていないことを意味する。正確には「参加しているのだけれど、そこに無理が生じている」というほうが適切かもしれない。ゴッサムシティの「言語ゲーム」では、貧しいもの、老いたもの、病めるものは、アーサーが言うように「道端で死んでいても踏みつけられる」存在であり、社会は富裕層のために回っている。
物語序盤、ふとしたきっかけでアーサーは銃を手にする。
この銃が、彼にとって「言語ゲーム」からの脱出の道具である。アーサーは銃を発泡するたびに、ジョーカーになっていく。アーサーとして生きてきた「言語ゲーム」から脱出を試みる。
普通私たちは、自分が生きている「言語ゲーム」のルールに自覚的になったところで、そこから出ることができない。例えば、私は「1万円札はただの紙切れである」と言うことはできる。しかし、今すぐ財布からお札を取り出して燃やすことはできないし、道行く人にあげることもできない。「紙切れ」が「お金」だということを認識しているが、そのルールから外には出ることができない。
しかしアーサーは、「善悪」のルールを悠々と壊していく。銃を片手に、ピエロの化粧をしながら、新しい「言語ゲーム」を作っていく。アーサーは市民を殺してしまう。そこには自分なりには理屈があったが、元々いた「言語ゲーム」では、それは悪だった。しかし、それを善と捉える社会と出会ってしまった。違うルールに気がついてしまったのだ。この瞬間に「殺人は悪いことだ」という言語ゲームのルールが、アーサーの中で書き換わる。そして彼は、ジョーカーになっていく。
ジョーカーへと変貌したあと、彼の言動は共感ができない。というより理解できない。彼自身もその点については自覚的だ。しかしそれは当たり前だ。彼と我々では、生きているゲームが違うのだから。
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