メディアグランプリ

なかったはずの思い出が、私を救う


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記事:オノミチコ(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
私の学生時代は、黒歴史だ。
だから、きらきらした学生生活を描いた映画やドラマはちょっと苦手だ。
 
中高時代。陰キャとまではいかないが、とにかくパッとしなかった。
パッとしないどころか、中学ではイジメにあって不登校を経験したし(当時は登校拒否児童と呼ばれた)、高校でもうまく友達がつくれず、とにかく孤独な高校生活だった。
 
そのくせ小さいころから華やかな人や雰囲気へのあこがれだけは強かった。
大学に入れば誰もがきらきらした学生生活を送れると思っていたけれど、それは自動的に手に入るものではなかった。
ようするに、大学デビューに失敗した。
構内ですれちがう人たちがまぶしくて、気後れした私はバイトばかりして、大学にはほとんど通っていなかった。
 
いま思えば、両親には本当に申し訳ないことをしたと思う。
高い学費を払って買ってもらった「大学生活」という時間を、安い時給で切り売りしていた。
バイトをして稼いでいるんだからいいじゃないか、と当時は思っていたけれど、とんだ思い上がりだ。
家庭教師と飲食店のほか、単発のバイトをいくつか掛け持ちして得ていたバイト代はそれなりの金額だったけれど、親が払ってくれていた金額を考えれば、それは「高く仕入れて安く売る」というバカげたこと以外の何物でもなかった。
 
そんな学生生活だったから、私には思い出と言える思い出がない。
友達と言える友達がいない。
 
授業のあと友達と寄り道をしたり、プリクラを撮って交換したり、好きな人の名前を打ち明けあったり、恋人と手をつないで帰ったり、はたまた部活に青春のすべてを捧げたり。
そんな「きらきらした学生生活」とは無縁だった。
 
無縁、だった?
 
中学も高校も大学も、どれも大した思い出がないように感じるけれど、こうして書いてみると、なんだか「無縁だった」とは断言できないような気がしてくる。
 
うっすらとした記憶が目の奥をたたく。耳の脇をくすぐる。
 
今も両膝に残っている大きな傷。
中学3年のときの運動会、クラス対抗のムカデ競争で転んでできた傷。
練習では一度も転んだことがなかった私たちのクラスは、本番で転んでなかなか立ち上がることができなかった。
血だらけになりながら、それでも必死に声を出して励ましあってゴールした。
 
高校時代、生活指導の先生の目を盗んでスカートを短くしては追いかけられた。
駅で靴下を履き替えて、リップを塗って、カラオケに繰り出した。
気になる男子のことを、こっそりと目で追った。
中間テストや期末テストをいつも徹夜で乗り切った。
夏休みは朝から晩まで部活に明け暮れ、腕と足にはくっきりと半袖と靴下の形の日焼け跡がついた。
 
あれ?
なんだか青春っぽい?
 
高校の文化祭で巨大な空き缶タペストリーをクラスで作ったこともあった。
前例がない、落ちたら危険、と反対する学校側を先生が説得してくれて、昼休みと放課後に欲しい色の空き缶を求めて校内中をさまよって、空き缶のために飲みたくもない缶ジュースを飲んだ。
少しずつ出来上がっていく巨大なミッキーマウスに歓声を上げた。
次の年からは、毎年どこかのクラスが空き缶タペストリーを作るようになった。
テレビか何かで見て、「やりたい」と最初に言い出したのは私だった。
 
大学の授業にはあまり行っていなかったけれど、サークルのたまり場は居心地がよかった。
男子がお弁当を作ってくれて、グランドでピクニックをした。
サークルのみんなで大学野球を観戦して、試合のあとはビアガーデンに繰り出した。
高校時代に知り合った別の学校の子と夜遊びもした。
誰もいない深夜の都庁前の大通りで、ギターを片手に大声で歌い続けた。
 
これって、まぎれもなく青春なのでは?
 
3年ほど前、私が勤める会社に高校の同級生が入社してきた。
といっても、私は同級生だとは知らず、彼女に打ち明けられて初めて知った。
 
「同じクラスになったことはないし、話したこともないから知らないと思うけど」
 
私が通っていた高校は、当時1学年13クラス。
選択授業で一緒になったことも、隣のクラスになったことさえない。
なのに、なぜ彼女は私のことを知っていたのか。
 
「あなたは有名だったよ。バトン部はいつもキラキラしてた」
 
耳を疑った。
 
私が所属していたバトン部は、派手な子が多かったし、かわいい子も多かった。
彼女たちの仲間に入りたかった。
けれど、そこには飛び越えられない溝があった。
今でいうスクールカーストは、高校生の私にとっては絶対的なもので、トップに君臨する彼女たちのことを羨ましく、ときに妬ましくさえ思っていた。
 
そんな私が、キラキラしていた?
 
「有名」だったかどうかはさておき、少なくとも彼女の目には、高校時代の私は「キラキラした同級生」として映っていたらしい。
 
一般的に「思い出は美化される」というけれど、その逆もあるのかもしれない。
実際よりも悪いことのように記憶を書き換えて、勝手にコンプレックスにしていること、それをどう表現するのかわからないけれど、ほかにもいくつか思い当たる。
 
もしかしたら高校時代の私は、今の私が思うよりも実はちゃんと「青春していた」のではないだろうか。
 
学生生活、とひとくくりにしてしまうと、決して自信を持つことはできないけれど、こうしてひとつひとつ思い出してみると、なんだか気分が明るくなる。
全体じゃなくてもいい。
ほんのちょっとのことでいいから、自分が封印してしまっている思い出を、たまには取り出して磨いてみるのもいいかもしれない。
 
 
 
 
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2019-11-01 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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