メディアグランプリ

話を聴くことはデトックス


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記事:中村夏子(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
今年2月に父が亡くなった。大正14年生まれの94才。亡くなる2日前までお肉を食べ、梅酒を飲んでいたそうだ。こんなに急に亡くなるとは、母も私も想像しなかった。慌てて実家に駆け付けた。母と私と娘、3人という小さな家族葬で父を見送った。
 
それから9カ月。妻として、母として、毎日の暮らしと仕事が、いつものように慌ただしく過ぎていく。悲しむこと、足をとめることはできなかった。本当は、父が亡くなったことをどう受け止めていいのかわからず、そこのことと向き合ってこなかった。
 
私の父は、私に対してとても要求水準が高かった。小さな郵便局の郵便局長をしていた父は、私に文系なら弁護士、理系なら医者と職業も決めていた。すぐ人を歯ぎしりしながら怒鳴りつける人で、郵便局の局員さんも、私の母も、家族で行ったレストランの定員さんも、腹が立つと怒鳴り散らした。私は本当に怖くて、父に如何にしたら怒られないのかを最優先に考え、怯えた。人の顔色をうかがう子ども時代だった。
 
高校生になり、父に自分のこころを閉ざした。今となってみれば、父に対して、「私は私なんだ! 干渉しないで」と戦うこともできただろうが、私は消極的に、そして卑怯に、自分のこころを閉ざすという手を選んだ。誰にも私のこころの中だけには入ってこさせない、誰にも本心を話さない、と。
 
27才の時に「君の人生はいたるところで失敗してきた。人生をやり直すためにも、君の右の重たいまぶたを整形しなさい」と父から言われた。私は何年も浪人して、医学部ではない理系の普通の大学にやっと入学できた。薄々父は失望しているだろうと思っていたが、図星だった。父は勝手に東京の有名な美容整形に予約を入れ、私の右目の一重まぶたをぱっちりした二重まぶたにしてもらうように、すべて段取りしていた。私は、人生のすべてに失敗してきたのだ、と父に断言されたショックで、父の提案する美容整形に反対できなかった。なんと言って反論したらいいかも分からなかった。そして、朝起きれなくなった。
 
当時、京都で大学院生だった私は、朝起きれなくなり、昼から大学の研究室に行き、実験をしていた。ある日、助手の先生から「朝からやった方が、はかどるんじゃないの?」と声をかけられた。これはマズい、明日は朝から来よう。そう思い、目覚ましをかけても、翌朝、起きることはできなかった。1人暮らしのワンルームマンションのフローリングに座り込み、自分の朝起きれないことが、ただ事ではない、と感じた。
 
上京保健所に電話をし、電話口の女性に「朝起きれないんです」とすがるように尋ねた。すると「ああ、あなた、睡眠のバランスが崩れてるのね。いい先生がいるから、行ってごらんなさい」そう言って、鞍馬口にある精神科の電話番号を教えてくれた。そこの医師に今までの人生を話し、朝起きれないことを告げた。医師から「そりゃあ、鬱にもなるわ」と優しく言われた。
 
実家に帰省した時、精神科でもらっている薬がなくなり、地元で精神科に行こうとすると、「縁談にさわるから行くな」と父に言われた。父に、いかに私が生きづらいのか分かってもらうことは無理なのだ、と1人暮らしの京都に戻った。
 
これほど私の人格に影響を与えた存在が、この世から消えた。そして、死んでもまだ私の心の中には存在する。死は、ただの通過点にしか過ぎないのか。やはり、父と戦った方が良かったのか。胸に苦しい思いがこみ上げてくる。この感情をどう処理したらいいのだろう。
 
先日「怖れを手放す」という本を見つけた。AH(アティチューディナル・ヒーリング)を通じでこころの平和を実践する、というものだ。アティチューディナル・ヒーリングとは、こころの姿勢(attitude)を自ら選ぶことによる癒し(healing)なのだそうだ。怖れを手放したい、もうこれ以上人を恨み続けたくないという方にお勧め、というところに惹かれた。
 
そのワークショップに参加した。「聴くこと」に意識を集中する、開かれたこころで人の話を聴くこと、評価を下さずに人の話を聴き、自分の話をすることをグループで実践する。頭では分かるけど、実際は結構難しい。人の話を聴きながら、私は頭の中に浮かんでくる自分の考えを聞いている。
 
自分の話す番が来た。自分の人生と、父の死を受け止められないことを話す。みんながただ黙って聴いてくれる。不思議な気持ちになる。誰も私を評価したりしない。ただ集中して私の話を聴いてくれる。こんなみっともないこと話してもきっと誰も分かってくれない、こんなこと話す自分がみじめだ、という思いがこみ上げたとしても、私が「終わりです」と言わない限り、話し続けていい。私は初対面の人たちの前で、今ここにある私の胸の内を話し切った。
 
私は、父の話を聴いていたのだろうか。きっとこう思っているに違いない、と自分の解釈を聞いていたのではないか。私を苦しみ続けたのは、私自身の思考ということか。こころを閉ざす必要もなかったのか。誰にも私の本心を話さない、と頑なだったのは、誰の話も聴かなかった、ということか。
 
精神的にドッと疲れて、帰宅する。私はどんな心持ちになるのだろうか、と自分の気持ちを観察する。こころをせき止めていたロックを外したので、メルトダウンしてしまうのか、それともスッキリするのか。
 
夕食の支度をしながら何度も深呼吸を繰り返す。肩が軽くなった気がする。自分を見失うこともないみたいだ。私には、話を聴くことはデトックスだったようだ。
 
 
 
 
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2019-11-08 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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