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メディアグランプリ

作品には、毒がないと……


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:益田和則(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「作品には、毒がないと、美しいものが輝かない」
 
太宰治の作品などを読んでいると、つくづくそう感じるのです。代表作である『斜陽』においても、直治という登場人物を、現実の世界では到底まともに生きていけないダメ男として毒々しく描いてありますが、物語の終末で、ずっと想い続けている人妻へ向けた、直治の叶わぬ恋心が綴られています。登場人物のダークな面を徹底的に描くことで、『人生のはかなさ』と『純な恋心』が浮き彫りになり、独創性のある『美』が表現されていると思います。
 
この点に関し、実際に自分が文章を書く側の立場として、もう少し掘り下げてみたいと思います。例えば……
北川景子さんの顔を文章で描写しようとしても、実物の彼女の魅力を超える美を描くことはとても難しいと思います。また、男子100メートル走決勝の迫力をいくら描写しても、レースを目の当たりにした時の感動を凌駕するものを書くことは至難の業であると思います。私ごときの文章表現力をもってしては、とても叶わぬことと思うのです。
 
そこで、このように誰もが認める美しきもの、輝くものを描くときは、裏側から攻める方法があるのでは、と思えるのです。
 
美しい姿の裏に潜んでいる醜悪なもの、歪曲したものを捉えて描く。たくましい体躯と精神力の裏にある、弱くて臆病なものなどネガティブなものをすくい取る。このように暗くて淀んだものを背景として対象を描くことで、きらりと光る価値あるものが浮かび上がってくるように思うのです。
 
このアプローチをとる場合も、文章を書く技量は必要であると思いますが、着目点がより重要になってくると思います。対象をいろんな側面から注意深く観察し、描きたい側面の、対極にある側面を知ることが大事になってきます。
 
NHKドラマの「独眼竜正宗」の脚本を書いたジェームス三木さんが話していましたが、
「ある人物を描こうとしたとき、その人物が何に劣等感を持っていたかを知ると、その人が生き生きと描ける」
この言葉も、ここで取り上げていることに通じるものがあると思います。
 
なぜ、私がこういうことを長々と書いているかと言いますと、私は、前回のライティングゼミにおいて、作品を十作以上提出してきましたが、ここに至って行き詰まりを感じているからです。
 
今までは、美しいものを美しい、大事なものは大事、自分が思っていることを自分が思っているように、そのままストレートに書いてきました。家族への想い、趣味やスポーツに真摯に向き合う姿勢、人生観に至るまで、素直にその想いを綴ってきました。
 
確かに、まっすぐな気持ちで、書こうと思ったことを、そのまま表現豊かに表せば、読者は共感し、感動することもあると思います。よく書けている子供の読書感想文がその端的な例であると思います。
 
しかし、その方法で攻めていくと、書くものがなくなってくるのです。どの題材を書いても、代わり映えがしないものに見えてくる。また、作品としての出来栄え、芸術性という点から見ても、ある一定レベルから抜け出せず、頭打ちになっているように感じるのです。
 
最近では、自分が書いていることは、子供の読書感想文の延長に過ぎない。何の意外性も、斬新さもない、たいくつな自己満足の文章にすぎないと思えてくるのです。
 
私は、北川さんのことを観察できる立場にありませんから、彼女のことは書けません。しかし、自分のこと、自分の周りの人たち、自分が関わっている物事については、知ることができ、書くことができます。
 
しかし、今までは、これらの身近なものでさえ、ある一定の側面からしか見ていなかったように思います。これからは、自分や周りのことを書くにしても、できるだけいろいろな角度から対象物を眺め、書きたいものの背後から迫る試みをしてみたいと思っています。
 
と、ここまで書いてきて、もっと、大事なことに思い至りました。
 
作品だけでなく、自分の生き方自体においても、同様のことが言えるのではないか、という事です。
生き方が、画一的で、何事に対しても、正攻法で攻めているだけでなかったかと……
私の人生は、自己満足、自己肯定の人生ではなかったかと……
自分の良いところだけを見て、自分を肯定し、それを自分の長所として伸ばして生きてきたように思います。
 
それが決して悪いというわけではなく、良い子の生き方です。社会生活における推奨すべき基本的な行動規範であるとさえ言えると思います。おかげで、今まで楽しく生きてこられました。
 
しかしながら、今まで目を背けてきた、自分の中にある醜いもの、汚れたものを正視することにより、その奥の方に隠されている、今までに見たことのない美しいものが浮かび上がってくるのではないかと期待するわけです。
 
暗く淀んだ泥沼の底の、日の当たらない暗い場所で、ひっそりと美しい光を放っているものに、たどり着くためには、醜さの中を通り抜けなければならないと思うのです。
 
醜さと美しさが自分の中で表裏一体として存在することをしっかり認識することで、人間として深みが出てくると思います。そして、その人が書く文章においては、独特の色合いを発する芸術性の高いものへと昇華されるのではないか、と思ったりします。
 
本当の人生を味わうために、また、独自の趣を持った作品を創り上げるために、どうせ、どうせのこの人生、毒にまみれて生きてみるのもよいのではないか、と思ってみたりするのです。
 
 
 
 
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この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。 「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、WEB天狼院編集部のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。
 

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2019-11-08 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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