メディアグランプリ

メトロ自由下車


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【12月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:柴田清克(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
神保町の古本まつりに偶然遭遇した。
多くの人が、靖国通り沿いに並ぶ青空古本市を矯めつ眇めつそぞろ歩き、棚に並んだ背表紙に目を留めると、指をかけて引き抜き、ペラリめくって文字を追っていた。
知識を求めているのか、目的があって決まった本を探しているのか、私のようにあてどなく巡っているだけなのか、本とその知識を求める人の波が、夕暮れの電球に照らされ流れていく。
ただはっきり言えるのは、誰もが何かしらの本を探している、ということだけだ。
 
一冊の本に気を取られた。
「ファウスト」と書かれた茶色の背表紙の本で、出版されたのは明治時代だった。
表紙を開きゲーテの戯曲世界に身を浸してみる。
天使たちが序曲奏で幕を開けると、次の第一部で悪魔メフィストフェレスが、空虚に生きてきた人間ファウストに言う。
「人生を一から始めてみないか、その気があるなら満足させてやる」
その見返りとして魂を頂くと言うメフィストフェレス。
さらにその見返りに対して以下の条件を付けるファウスト。
やり直した人生が最上の時を迎え「時よ止まれお前は美しい」と口にしたら、魂をくれてやる。そんな条件を付け悪魔と契約を結び、人の深き欲望をめぐるドラマは始まっていく。
 
もちろん明治の文語体をスラスラと読めるわけもなく、前に読んだ昭和に発刊された現代版に訳しながら読んでいたが、もとより、本を読むのがそう早くないので、飛び飛びにページをめくり、おおよその部分をかいつまんでみただけだ。
そうして、閉じ、ファウストを元あった位置に置き、隣に並ぶ本棚に移る。
一つずつ、時には一つ跳ねに通りを進み、人の並ぶ本棚を後ろから覗き、背表紙にパっと目をやり、本を手に取り、めくっては、先に行く。
なんのことはない。立ち読みの豪華版だ。それも超がつくほどの豪華版。ここに何冊あるのか数える気もないが、きっと本という形をとったあらゆる人類の知識が、今ここに集まっていることだけははっきりしている、そんな思いが浮かんでくると、どんな人がどんな本を手に取るのか、気になってきた。
 
傍にあった本棚に並んでみる。
隣には70代だろうか、グレイヘアで厚い眼鏡をかけ、肌寒くなってきた秋初旬の夜気を避けるため、粗い目の毛糸で織られた長い緑のカーディガンを羽織っている女性が立っていた。
私は、この女性が、何かしらの本を手に取ることを願った。その本がどのような種類で、どのような系統の知識が書かれているのか、そして、彼女がどういう本に興味を持つのかが知りたかったからだ。
 
まるで、混雑してるメトロで、たまたま運良く座席に座れた時に、隣の人が本を読んでいて、その開いていた本をチラリと盗み見る時のような気持ちが湧いてくる。私はその瞬間を待った。
だが、ただ待つだけでは。
そう思い、私も何かしら手に取ろうと、背表紙に目を向ける。最近映画化された「マチネの終わりに」が並んでいた。どちらかというと、私より、彼女の前に並んでいる本だったが、それを手に取ろうと手を伸ばしかけたその時、彼女の手が、一冊の本に向かう。
 
出しかけた手を引き止め、私は、その手の行方を眺める。
皺の入った指の節、だが、甲にはふっくらとした肉感があり、あまり年を感じさせない作りの手だ。人差し指をちょっとだけ伸ばし気味にして、一直線に本棚に伸びていく、オレンジ色の裸電球に照らされ、下段に並べられた本に、その腕の影がすっと伸び、背表紙に手がかかった。
「秘門蟷螂拳入門実践中国拳法」
 
驚きと同時に、意外性を探し当てたという喜びが胸に広がった。
名も知らぬ老女の手にある、蟷螂拳の入門書。熱心に目を走らせる様子に、人の知識欲や好奇心の着地点を知ることが、こんなにも心躍らせるものだったのかと、今まで知ることのなかった気持ちが湧いてきた。
彼女は、その本を10分ほど立ち読みし、名残惜しそうに本棚に戻し、左を向くと、知識を、本を、求める人々の雑踏へまた歩き出そうとした。だが、大勢の人が反対側から塊となってやってきたタイミングと重なり、彼女は、そこで、足止めを食ってしまった。ほんの10秒か20秒くらいだったと思う。流れの切れ間があり、そうして、彼女は雑踏へと消えていった。
 
私は、その流れに乗る後姿を見て、まるで、満員のメトロに乗り込むようだと思った。
膨大に集められた知識のトンネルの中を進むたくさんの人達。
だが、それは、明確な目的や終着駅を探すためではなく、目を向けた本の世界から、自らの興味をひいた場所で、好きなように降り、新たな知識によって世界が開ける実感を味わうことなのではないかと、老女の背中から感じた。
 
この世界に生まれたからには、多くの知識を得て、幸せに暮らしたいと誰もが思っているだろう。人と衝突を避け、豊かに穏やかに過ごせることができ、争いや諍いの無い世の中になって欲しいと願う人も多いだろう。
 
そのヒントは、過去に上梓された本の数々に収められている言葉の中に、あるのかもしれない。
私は、そう思い、来た道を引き返した。
ファウストをもう一度読んでみよう。
あの、古い薄汚れていながら、人の欲望の愚かさを硬質に書き切った本に、もう一度触れてみようと思い。
 
ヒントは無数にある。
もしかしたら、ここに並ぶ本棚よりももっと多く。
知ろう。ためらうことなく。
 
 
 
 
***
 
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2019-11-08 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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