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泥の海 台風19号床上浸水


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:谷中田 千恵(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
10月13日午前1時半。
 
私は、後悔をしていた。
 
先ほどまで、台風のため、近くの小学校に避難をしていた。
しかし、一人暮らしの平屋の浸水が心配で、朝を待つことができず、自宅に向けて車を出発させたのだ。
 
雨と風は、すっかり止んでいた。
それでも、駐車場となっていた校庭を出ると、道路は、いまだ冠水したままだった。
流れも強く、川のようだ。
 
「早まったかもしれない」
 
避難所へ引き返すことも考えた。
あの冷たい体育館の床の上で、心配をしながら朝まで過ごすことは、不可能だと思った。
 
「ひとまず、行けるところまで」
 
車がザブザブと水をかき分ける。
さながら水陸両用車のようだった。
 
平常時、小学校から自宅までは、車で5分もかからない。
しかし、最短ルートでは、アンダーと呼ばれる高速道路下のトンネルをくぐらなくてはならなかった。
アンダーは、地面をえぐったように地盤が低いトンネルだ。
この様子では、かなりの浸水にちがいない。
車を自宅とは、反対方向へ向かわせる。
 
大きな月のおかげで視界は良好だったが、水のせいで、道路の境界がわからない。
少しでも、見誤ると水田や、水路に落ちてしまいそうだ。
 
それに加え、こちらに越してきて1年あまり。土地勘が、薄い。
遠回りして、自宅を目指しているのだが、正しいルートなのか判断がつかない。
 
徐々に道が細くなる。
道路の水はなくなったが、現在地が把握できず不安だった。
 
それでも、アクセルをいつも以上に強く踏んでいた。
一刻でも早く自宅の状況を確認したかった。
水がきたのか、こなかったのか。
 
車一台がやっと通れる細い道を、10分程度走ると、大きな水たまりにぶつかった。
車を降りて、深さを確認しようと足を入れた。長靴が沈むほどの深さのようだ。
これ以上は進めない。
 
かといって、Uターンをする場所など見当たらなかった。
このまま、バックで戻るのか。
戻ると言っても、最後の交差点はどこだったか、はっきりと思い出せない。
この細い道をどこまでバックで走るのだろう。
 
意を決して、ギアをバックに入れた。
ハンドルを持つ手に、力が入らない。
呼吸が浅くなっているのを感じた。
 
「大丈夫、大丈夫」
 
意識もなく、口に出していた。
大きく息を吐く。
 
幸い、交差点には100mほどで到着した。
しかし、手の力は、戻らなかった。
 
小学校から20分以上をかけ、自宅の近くにたどり着くと、現れたのは、赤いビニルテープだった。
道路の端と端に結ばれ、とうせんぼをしていた。
 
ビニルテープの先、道路はたっぷりの水に沈んでいた。
その水の色の濃さから、他の道路の冠水など比にならないほど、深いことがみてとれた。
 
自宅は、すでに目前だ。
この水の量では、自宅はどうなっているのだろう。
 
来た道を引き返し、自宅の裏手へと迂回する。
庭に水はないようだ。
道に車を止めて、懐中電灯の明かりとともに敷地の中に足を踏み入れた。
 
ズブッと、長靴がくるぶしまでめり込む。
はっきりとは見えないが、庭一面が柔らかい泥に包まれているようだった。
 
足元に気をつけながら、玄関に向かう。
 
その間も、家の中が気になった。
避難所に向かう前の家の様子を、思い出す。
どうか、あのままで。
 
玄関前に到着し、扉のガラスに懐中電灯を当てる。
何か、大きな黒い塊が、横たわっている。
心臓が、ぎゅっと握られた気がした。
 
鍵を開け、扉を引く。
 
黒い塊の正体は、倒れた下足入れだった。
 
その周り、見える範囲、全て泥、泥。
泥の海だ。
 
泥は、チョコレート色をしていた。
水分をたっぷり含んでいるのか、ブラインドの隙間から入る月明かりで、つやつやと光っている。
 
全身に力が入る。
長靴のまま、部屋に上がり、懐中電灯の心もとない明かりで、扉を開けて回った。
玄関から一番遠い浴室まで、泥に飲み込まれていた。
 
「ダメだった」
 
一通りの確認が終わり、少し、体の力が抜けた。
頭がうまく働かず、これからどうすればいいか、ちっとも検討がつかない。
それでも、浸水したか、していないか、もう気をもむ必要はなかった。
 
庭から覗くと、近所の家には、明かりがついていた。
「漏電火災」の言葉が、頭をかすめながらも、落としてあった電気のブレーカーをあげた。
電気に異常はないようだ。
照明は無事につき、TVの電源も入ったし、トイレも流れた。
 
明るい中で改めて見る室内は、ひどいさまだった。
ゴミ箱から、本や服に、机まで、床に置いてあったものが全て倒れ、泥に飲み込まれていた。
 
唯一、被害が少なかったのは、和室だった。
軽い畳だったので、水に浮いたのだろう。
畳の端が浮き上がり、隙間から水が染み出した跡はあるものの、泥に飲み込まれてはいなかった。
 
長靴を脱いで、畳に上がる。
隅に置いてあったTVを付け、和室のソファに腰掛けた。
時刻は、2時半を回っていた。
 
両親も、彼氏も寝ているに違いなかった。
朝になってから、連絡したほうがいいか、すぐに連絡すべきか。
頭の中に、白い霧がかかったようで考えがまとまらない。
 
濡れた足が、気持ち悪い。
湿った靴下を脱ぎ捨てた。
ソファに横になり、かけてあった毛布にくるまる。
 
台風への警告を続けていたTVが、続々と届く被害状況を伝え始めていた。
 
「畑の様子を見にいった、60代男性の行方が分からなくなっています」
見慣れた男性アナウンサーの厳しい表情を、ぼんやりと眺める。
 
次の映像に画面が切り替わる頃、私は、毛布の端を力一杯にぎっていた。
 
行方が分からなくなった男性は、私だ。
 
自宅が気になり、避難所を飛び出した私と、手塩にかけた畑が気になり、出かけた彼に、違いなどない。
 
今この瞬間、ここに、いや、この世に、私が存在しない可能性を想像していた。
 
相変わらず、頭はうまく働かない。
明日着る服すら、泥の中だ。
体だって、すっかり冷え切ってしまった。
 
それでも、薄い毛布の中で、安堵のあたたかさが、胸に小さくともるのを感じていた。
 
 
 
 
***
 
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2019-11-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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