メディアグランプリ

自由へのパスポート


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:織巴まどか(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「……どうしよう」
 
2014年7月の深夜2時半。
私はひとりで、動揺していた。
 
結婚して、3年目。
正社員で働いていた会社を辞め、「セラピスト」として独立してからも3年目。
 
夫との暮らしは楽しかった。結婚するまで実家暮らしでろくに家事もしたことがなく、家族以外の他人と共同生活をする、という経験もなかった私。けれど、寛容な夫のおかげもあって、ささいな喧嘩はあれど大きなトラブルもなくやってこられた。
 
一方で、「好きなことを仕事にするんだ!」と息巻いてはじめたセラピストという「THE・自由業」は、お世辞にも順風満帆とはいっていなかった。今思えば、勢いだけで充分な準備も戦略もなしにはじめたので、当然だ。結婚後も生活費は折半していたので、貯金はみるみる底をついた。アルバイトをしながら、なんとか仕事としての体裁を保っていた。
それでも、やっぱり仕事は楽しかった。いつも集客に悩み、お金の不安を抱えてはいたけれど。
 
そろそろ子供がほしいね、
という気持ちは、お互い一致していた。
だから、もちろんそれは、望んだ妊娠だった。
 
なのに、私は深夜2時半に、自分でもびっくりするくらい、動揺していた。
 
とっくに布団に入っていびきをかいていた夫を無理矢理起こして、
「子供ができたと思う」
と伝えると、夫は寝ぼけたまま、素直によろこんでくれた。
そして私があまり浮かれていない様子なのに気付くと、どうしたの、と尋ねた。
私は上手く答えられなかった。動揺し、動揺してしまった自分にさらに動揺していた。
もちろん、うれしい。うれしい、はずだ。なのに。手放しで100%よろこべていない自分にショックを受けた。
 
ちゃんと子供を生んで育てることができるのか、自信がなかった。
「いいお母さん」になれる自信がなかった。
そして、正直に告白すると。
そのとき私が抱いたのは、「もうこれまでのように自由にはできない」「子供ができたらやりたいことができなくなってしまう」という不安だったのだと、思う。
 
それに気付いて、自分の身勝手さに自己嫌悪した。望んでも授かることができずに苦しんでいるひとたちだっているのに、と。
 
そんなわけで、負のスパイラルのように、私はヘコんでいた。
マタニティー・ブルーといえば、聞こえはいい。
これまで学んできたはずの、セラピストとしての「心のケア」の方法も、まるで通用しなかった。
あー、ほんと情けないなあ、と思いながら、月1でお世話になっているコンサルタントさんの元へ向かった。
 
なんとか仕事を軌道にのせたくて、私は数ヶ月前から、なけなしの資金から自己投資をして「ビジネスコンサル」というものを受けていた。共通の友人を通じて知り合ったコンサルタントさんは、とても不思議な人だった。
ビジネスコンサルなので、当然仕事上の相談に乗り、現状を整理し、有益なアドバイスをしてくれたり、具体的なアイディアを出してくれたりする。けれどそれだけでなく、彼女は私の「本音」を引き出すのが上手だった。「本当はさ、まどかさんはこう思っているんじゃない?」とか、「それ、本当にそうしたいと思ってる?」とか、投げかけられる言葉はいちいち的を射ていた。
 
私は妊娠したことと、なのでもう今までのプラン通りには仕事を進められないこと、子供はうれしいはずなのに今とても不安であること、などを伝えた。
 
彼女は満面の笑みで、
「わー、それはおめでとう!」
と言った。
 
そして、こう続けた。
「そしたらさ、いよいよこれで“本当にやりたいこと”しかできなくなるね」
 
「えっ?」
きょとんとしている私に
 
「だって、余計なことにエネルギー使ってる暇なくなるよ?本領発揮するしかないよ」
と、にっこり。
 
そっか。
そっか。
彼女の言葉がすとん、とお腹に落ちてきて、私は世界が180度回転したのを感じた気がした。
 
私は勝手に自分の枠とそこに入るだけのTODOを決めていて、出産・育児をすることでさらにプラスされてしまうであろうTODOを恐れていた。
これまでに抱えているものを全て持ったままで、さらに荷物を抱えなければならない、とパニックになっていた。
 
彼女が教えてくれたのは、自分で定めてしまった枠なんて幻想だということと、きちんと自分の世界をクリアに捉えるために、余白を空けること。つまり、荷物を降ろすこと。
 
そのためには、本当に持っていたいものともう手放してもいいものを、しっかりと見極めなければならない。人は意外と、追い詰められないとこのことに気が付かないのだと思った。それどころか、気が付けずに、我慢して全てを抱えたまま、溺れてしまうことだってあるかもしれない。
 
私にとって、子供は紛れもなく、なんとしても持っていたい、大事なものだった。
そして仕事も。
 
そこからの私は吹っ切れたように、出産までの期間を楽しんだ。コンサルタントさんからは、「こんなに妊婦らしからぬ妊婦はじめてみたよ」とお墨付きをもらった。
 
あれから5年。
今、私は念願叶って小さいながらも自分のお店を持ち、5年前とは少し肩書きは変わったけれど、「THE・自由業」を満喫している。
 
そして、4歳になった娘と家族を、手放しで100%愛している。
 
未だに仕事の方向性で悩んだり、資金繰りに苦しんだり、子育てにいらいらしたり、やっぱり育児は苦手だ、と思ったりもする。そういう意味では、相変わらずだ。
でも、根本的に揺らいだりぶれることは、なくなった。
 
結婚して、子供を生んで、仕事を続けることで、
私は以前よりもずっと自由になれたと思う。
 
私のように極端ではなかったとしても。
結婚したり、子供ができたり、親の介護をすることになったり。あるいは、人生における様々な転機によって。人はどこかで、「自分自身の人生を諦めなければ」だとか「自分を犠牲にしなければ」という感覚を無意識に抱え、生きづらくなっていってしまう場合も多いのではないだろうか。特に「家族のため」「子供のため」「仕事のため」だから、という呪縛は強力で、簡単に自分の自由を諦めさせてしまう。
 
でも、否応なしに人生が動くときこそ、チャンスだと私は思う。
荷物の抱えすぎで前が見えなくなっていないか、本当に持っていたいものはなにか、手放して良いものはなにか。
見極めることができたなら、それは自由へのパスポートになる。
 
ちなみに、私が真っ先に捨てた荷物は、「世間体」やら「一般常識」やら「他人の目を気にすること」やら「見栄を張ること」やら「惰性の人間関係」やらである。
 
小さな子供がいるのに母親が夜に外出なんてするべきじゃない!
なんて概念を手放せたおかげで、こうして天狼院のライティング・ゼミにも通うことができている。
 
そうして今、このゼミのおかげで、私はますます自由になれそうな予感がしている。
 
 
 
 
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2019-11-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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