メディアグランプリ

パンドラの箱を開けるとき


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記事:つちやなおこ(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「どうしますか、検査しますか?」
 
さらっと言われたこの言葉、ここから2週間の暗く悩ましい日々が始まった。
 
やっぱり2人目がほしいと思ったのは、初めての出産から3年くらい経った頃だろうか。始発終電、土曜も出勤の夫との子育てはまさにワンオペ、保育園送迎から早退、病院通いまですべて自分が担当だったので一人が限界と公言していた。それが、いわゆる「遺伝子に呼ばれて」本当に一人でいいのかと頭の中が騒ぎだした。
 
一人目が落ち着いてきていること、保育園で一人っ子は少数派だったこと、なにより夫がもう一人ほしがっていたことで、少しずつ、もう一人がんばってみようと思うようになってきていた。
 
そうは言っても、すぐに妊娠したわけではない。1年しても妊娠する気配はなく、やっぱりもう35歳を過ぎているしなと、病院で診てもらうようになった。不妊治療というようなたいしたことをしていたわけではなく、毎月1回、注射に通っていたくらい。その先へ進む気もなかった。できなかったらそれはしょうがない。ペットでも飼おうと思っていた。
 
それでも2年くらい続けていると毎月が憂鬱になる。こんなことに捕らわれているのがいやになってきた。そして、よく聞く話だが、病院に行くのをやめた翌月に妊娠した。
 
つわりも相変わらずきつくて、水分も入らず休職して入院した。一人目より大変だなと感じたのはきっと歳のせいだろう。だから、出産前診断について聞かれた時は、まあ高齢出産だしなとしか思わなかった。
 
どんな検査をするのか聞くと、ちょっとおなかに針をさして、羊水を取って調べるのよ。うちではできないから、もし必要なら紹介状を書くから言ってねと軽く言われた。
 
帰宅して、調べてみた。
今は血液検査によって染色体を調べる新型検査があるが、当時はお腹に直接針を刺して取り出した羊水を検査する羊水検査が主流だった。
検査自体はちょっと痛そうだが、出産に比べたらたいしたことないと思えた。
針を刺すということは事故も起こりうるということも理解できた。
 
そして、やっと一番重要なことに思いが巡り、気が付いた。
 
もし、陽性だった場合、どうするのか。
 
そんなもの、産むに決まっている。もう命だ。
じゃあ、検査する必要ないね。とはならなかった。
 
高齢出産だからやっぱり可能性は高いのかな?
もし、何か病気があるとわかった場合は?
そりゃあ、産むでしょう。
どんな生活になるの?
じゃあその後のその子の人生は?
親が亡くなった後はどうするの?
 
いきなり重たい未来の可能性がどかんと落ちてきてきた。
 
産むことは決めているのに、なぜ迷うのか。
それは詰まることころ、万が一、病気をもって生まれてきた子を背負っていく人生の覚悟がなかったのだ。起こるかもしれない現実を、丸ごと受け入れる覚悟がなかったのだ。
 
毎晩、考えて、話し合って、次の検診までの2週間、かなり疲弊した。
検査を勧める母、遺伝子の段階でわかるならするべきだが、検査をせずに生まれてきた場合は受け入れるという夫。検査なんてと一蹴するつもりだったのに、考えれば考えるほど答えが出なかった。
 
そして、余りに疲れて、ただでさえ、つわりでふらふらだったのに、そもそもおなかの子によくないと半ば強制的に考えるのをやめて、結局、検査も受けなった。
 
同じような体験が実はもう一つある。
発達診断だ。出生前診断を受けずに生まれてきた息子はいたって健康だったが、保育園で明らかに落ち着きがなかった。緊張度も高い。みんなと遊ぶより一人でふらふらしていることも多かった。保育園を巡回する臨床心理士の先生に3歳ごろ、グレーらしきことを言われた。年長になった頃、まだ気になるようなら検査しましょうと。
 
年長になってもたいして変化のない息子に、再度、検査を受けるかどうか声がかかる。
個人差じゃないか。もう少し待ってみようと話し合って、結局、検査は申し込まなかった。
 
入学してみると、その検査を受けて療育に通う子がいて、ほんの少しの特別な配慮がなされているようだった。その子と息子、外からみた印象はほぼ同じだ。同じように落ち着きがなく、同じように緊張度が高い。その子の母親は、授業参観中によそ見をするその子に何度も注意をしに行っていた。一方、私はあんまり気にならなかった。私の性格でも、もしはっきりしていたら放置できなかったかもしれない。
 
検査を受けなかったことが正しかったのかどうかは今もわからない。
ただ、我が家の場合は、少し成長の兆しの見える息子を見て、結果的にこれでよかったのだと今は思っている。
 
科学の進歩でこれまで知らなかったことを知ることができるようになった。でも、実際には、はっきりと白と黒にはならない。なぜなら100%ではないけれどという前置きがつくから。それでも、メリットがあると思うなら検査を受ければいいのだろうが、受けた方がよかったかどうかは、その後でないとわからない。
 
出産前診断や発達検査は、パンドラの箱だ。
その中入っているのが、絶望であろうがわずかな希望であろうが、一度、開いたら元にはもどせない。
 
科学の進歩で救われる命は確かにあるのだろう。
調べなくてはいけない事例ももちろんある。
 
ただ、人生の中で白黒はっきりしていることは実は少なくて、グレーでおいておけば、やがて白くなっていくことがあるのも真実だ。
 
科学の進歩がもたらしたパンドラの箱を開けるのか、やめておくのか、選択の余地がある限り、人は常に試されるだろう。
 
 
 
 
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2019-11-15 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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