母の字はニョロニョロしている
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記事:N(ライティング・ゼミ日曜コース)
「お母さん、わたし結婚することになったからここに署名してくれる?」
私はすこし久しぶりに実家に帰った。
お母さんに婚姻届けの証人欄に署名をしてもらう為だった。
「おめでとう」と言いながら、母は喜んで署名してくれた。
習字が好きで、条幅に字を書いて展覧会に出展している母。
昔は達筆だったその字は、いつの間にかニョロニョロしていた。
「あなたのお母さんを保護しています」
3年前、警察から私に着信があった。
「飲食店で大声をあげ厨房に入ろうとし、止めても言うことを聞かず迷惑行為を続けた為、店員さんが警察を呼びました。いま警察署まで保護してきたので、すぐに迎えに来てください」
私は耳を疑った。
そんな! まさか! 私のお母さんはそんな人じゃない!
私は会社を早退し、急いで警察署に向かった。
「実は先ほど警察官に暴行を加えられた為、いまは独房室に入ってもらっています」
母は一面真っ青の、分厚い壁でつくられた部屋にいた。
窓もなく、和式便座が仕切りもなく設置されている。
およそ二畳くらいの広さだ。
母は床に仰向けになり、なにかつぶやいていた。
「いま太陽の力を吸収している」
そう言って両手を上げ、祈るようなポーズを取っていた。
「お母さん」と声をかけても私に気付かなかった。
「いつもこんな感じですか?」
警察官は聞いてきた。
私は首を大きく横に振った。
「ちがいます! 母はこんな人ではありません!」
「このまま病院に入院するのが良いかと思います」
「ただ、その場合、保護入院と言って、本人の意思を無視した強制的な入院となります」
「娘さんがそれに同意するなら、このまま病院に搬送します」
「その場合は、ここにサインしてください」
同意書と書かれたその紙を見て、愕然とした。
母は父が他界してから約2年、一人暮らしをしていた。
私が生まれる前から心が弱く、薬を飲んで調整していた。
でも、私にとっては普通のお母さんだった。
少し過干渉でヒステリックな所はあるけれど、おしゃべり好きで明るい母だった。
私は母の病気を24歳の時に知った。
母は学生時代のいじめが原因で、心の病を患ったそうだ。
それからずっと心の薬を飲んでいる。
私はそんなこと、全然知らなかった。
それくらい私には愛情をもって接してくれていた。
「ドンドンドン!」
「出せ! ここから出せ!」
母は私が部屋を出て数分後、大声を上げだした。
「あのように大声を出されるので、はじめは待合にいてもらっていたのですが、会議室に移動してもらい、また移動中、警察官を突き飛ばしたりされたので独房室に入ってもらいました」
私が同意書のサインに躊躇していると、警察官がつづけざまに言った。
「精神病院もなかなか空きがない」
「いままで色んなケースを見てきたが、入院できる病院があるんだから、ちゃんと治療した方が良い」
「なにより、あなたはこの状態のお母さんと一緒に家に帰れますか?」
私は止む無く、同意書にサインした。
その後、母は担架に両手足を拘束された状態で、救急車に入れられた。
ちょっと近所の飲食店に行く、ぐらいの軽装でそのまま2ヶ月入院した。
日本の精神病の治療法は、重度の場合、「拘束」という方法がとられる。
一日中、ベッドに両手足を括りつけられる。
たまに様子を見に来る看護師に薬をもらったり、水を飲ませてもらう。
落ち着きを取り戻すまで、面会すらできない。
私は本当にこれで良かったのか、と何度も思った。
やっと面会できるようになり、母に会いに行くと、
「もう早く退院したい」
「親をこんなところに閉じ込めてあんたは親不孝者や!」といつも興奮状態だった。
訳の分からない事を言う時もあった。
「心の病気は、脳の病気」
重度のストレス等が原因で脳の一部が損傷し、人格まで破壊される。
「精神」ではなく「脳」が病気なのだ。
だから仕方ない。母が悪いんじゃない。そう言い聞かせないと我慢できない事もあった。
「お母さん、婚姻届けのここ、間違えてる」
「もう、何回も言ってるのに」
「もう一回書いて」
こんなことが気軽に言えるようになるまで、母は回復した。
「ごめん、もう一回書くわ」
そこには私のよく知っている穏やかな母がいる。
病院のお医者さんや看護師さん、また相談員さんなどの懸命な治療のおかげだ。
「あんたにまた、心配かけるから言ってないんやけどな」
「お母さん、よく転んだり、急に眠くなったりするねん」
「上手く書けんくてごめんな」
そう言われて初めて、達筆だった母の字が、ニョロニョロしていたことに気づいた。
母は薬が変わった影響で、手の震えが残ってしまった。
「いいよ、ここまで回復してくれてありがとう」
母は穏やかに笑って返事した。
私はこの何とも言えないニョロニョロの字が愛しく思えた。
この字には、私と母の紆余曲折が詰まっている。
きっと他の誰にも出せない、味のある字だ。
「おめでとう」
そう言って母は玄関まで見送ってくれた。
歩くのが遅くなった母は、体を左右に揺らしヨタヨタ歩く。
「ありがとう、またね」
私は寒くなった夜道をひとりで歩いて帰った。
「親孝行、したいときに親はなし」
そんな言葉が浮かんだ。
母と過ごせる時間はきっと多くはないだろう。
そう思うと、寒さからか胸がきゅっと抑えられるような切なさがこみ上げた。
私はまた、ちょくちょく実家に帰って母の顔を見に来よう、そう思った。
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