手をかければかけるほど……
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:菅恒弘(ライティング・ゼミ日曜コース)
腕時計のゼンマイを巻く。
ここ10年ほど続く、朝の日課の1つだ。
その腕時計は手巻き式で、電池がいらない代わりに、定期的にゼンマイを巻かないと止まってしまう。ゼンマイを目一杯巻いたとしても1日もたないので、翌朝には止まってしまっている。1日で数分進んでしまったり、ゼンマイを巻いているはずなのに、なぜか止まってしまっているということもしばしば起こる。
そう、かなり手がかかる代物なのだ。
とは言え、もうすっかり手がかかることに慣れてしまっているので苦痛ではない。逆にそのわずらわしさこそが愛着を増しているようにも感じる。ちゃんと自分が手をかけていないと止まってしまうというのは、なんだか自分を必要とされているような、そんな勘違い効果を生み出すようだ。
ここまでくると手間がかかることも、「もう、しょうがないなぁ」といった感じで、なんだかまんざらでもない心境になってくるのだ。
改めて考えると、身の回りにそういうものが多い。
すぐに色があせてきてしまう靴、表面がザラついしまうカバンや財布、すぐインクが切れてしまう万年筆、キーキーとチェーンの音が鳴り始める自転車……
どれも定期的に手をかけないと、様々な不具合が出始めてくる。
そのたびにわずらわしさを感じながらも、いつものようにせっせと手入れを始めるのである。
そういったものはどれも長年付き合ってきたものばかり。高級品ではないものの、それなりに手入れをしていれば長持ちもする。どれも10年以上の付き合いになるものばかりで、長年連れ添った相棒のような存在だ。
もちろん、時には自分の手ではどうしようもない不具合も発生する。そんな時は、プロの手を借りて修繕やメンテをするのだが、すでにその費用が、購入金額を超えてしまっているものある。そこまでくると、わざわざ古い物を使わずに新しいものに買い換えればとなるのだが、すっかり体や生活に馴染んでしまっているものは、そう簡単に変えることができない。
こうやって手のかかるものが増えてくると、日々、何かしら手入れを必要としてくるものが出てくる。毎朝の腕時計から始まり、そろそろ靴の手入れをしないと思っていると、自転車のチェーンがキーキーと鳴き始め、それらの手入れが終わる頃には、カバンの状態が気になり始める……そうやって日々、何かしら状態を気にしながら、手入れをしながらといった状況だ。
手入れをするのは面倒ではあるのだが、その時間はなかなか楽しい。
自分の手で手入れすることで、みるみる状態が良くなるのは単純に嬉しい。そして、その時間は作業を通じて色んな記憶が呼び覚まされる。
「このカバン、あの旅行に行く時に買ったんだよな」、「あ、この傷ってあの時つけたんだっけ」、といった感じでその頃の記憶が思い出されたりするのだ。
そう考えると、ちょっと昔を思い出したりしながら、手入れしている時間はなかなか贅沢な時間だ。日々の忙しさの中で、ついつい思い出すことも少なくなってしまったようなことも、ふと思い出されたりするのだから。
長年付き合ってきたものたちは、そんな埋もれてしまった記憶を保存してくれている外部記憶装置なのだ。そういったものに触れることで、まるで昔の記憶が自分にインストールされるように。
こういった経験ができるのは、自分で手間をかけて長年付き合ってきた道具たちだからこそ。
今では多くのものが低価格で簡単に購入できることができるようになった。そうすると、1つのものを使い続けるより、どこか傷んだり、流行に合わなくなるとすぐに買い換えるということも可能だ。そんなライフスタイルは、わざわざ自分で手入れをする必要もないので、わずらわしさもなく身軽だ。
ただ、身の回りのものが次々に入れ替わってしまうので、1つ1つに深い思い入れがこもるということもないので、外部記憶装置にはならないだろう。
もちろん身の回りのもの全てに時間をかけて手入れして長く使い続けるのは難しい。とは言え、簡単に買い換えてしまえるようなものばかりというのは、なんだかやっぱり寂しい。
だから身の回りにあるものの中でいくつかだけは、自分で手入れしながら長年付き合えるものがあるのがちょうど良さそうだ。日々の生活の中で、きっと安心感を与えてくれたり、心安らぐ時間を作り出してくれそうな気がするから。
そんなことを考えながら、そろそろ靴の痛みが気になってきた。でもその前に自転車のチェーンに注油もしないと。
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