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自分は今までの人生で一度も暴力をふるったことがないと思っていたが、 ないどころか毎日のように暴力をふるっていたと知ってしまった件


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:村野友美(ライティングゼミ・平日コース)
 
 
暴力はいけない。
言うまでもないことだ。
 
人を殴ったりたたいたりしたことなんて一度もない。
息子が小さくてわけがわからないことを言った時だって、お尻さえたたいてない。
 
……と思っていた。
 
今わたしはヨガを習っている。
 
ヨガにはヤマ・ニヤマといって、やってはいけないことと、やるべきことが決められており、それがヨガの道の第一段階となっているのだが、このヤマというやってはいけないことの中に「非暴力(アーヒンサー)」がある。
 
暴力をふるってはいけない。
 
当たり前だ。お安い御用である。
しかし、物理的に暴力をふるうのはもちろん、想像の中でもいけないという。
まあ、なんだ、ちょっと自信がなくなる。
 
満員電車の中でリュックなんかが背中にぐいぐい食い込んでこようものなら、思いっきり押し返したくなるし、実際頭の中ではやってしまっているかも。
 
そう考えると暴力という言葉をどこまでの行為とするかによって、
暴力をふるっていないとはいいきれなってくる。
 
さらにヨガでいうところの暴力は言葉の暴力も含むのだそうだ。
 
白状しよう。
これは守れていないし、今後も守るためにはかなり自覚が必要だ。
ケンカした時に、相手を傷つけることを言ってしまったことは沢山ある。
 
あー、もう、全然「非暴力」できてない。
 
●物理的に暴力をふるってはいけない
●想像でもいけない
●言葉の暴力もいけない
 
これだけでももう、ギブアップである。
第一段階といっても、この非暴力を遂行するのは結構難しいことに気付いたのだが、
ヨガの先生によると、非暴力の対象行為はまだあるのだ。
 
自分に対する暴力
 
これもいけないのだという。
 
たとえば、人と比べて何かができないとする。
その時、自分を卑下してしまうこと、なんて自分はだめなんだろうと思うこと、
これも自分に対する暴力なのだそうだ。
 
子育て中の「子供」を自分と置き換えてみると良くわかる。
 
「●●君はあんなに上手に逆上がりができるのに、なぜあなたはできないの?」
 
……なんて、虐待じゃないか!
 
これを毎日のように何度も何度も繰り返して言ってしまってたとしたら、
子供は心を閉ざしてしまうだろう。
それくらい酷いことだ。まさに暴力だ。
 
それが自分に対してならどうだろう。
 
結構、もっとがんばらなきゃ、もっと、もっと。
と一見前向きな言葉に置き換えることでいいことのように思えていても、
自分のことをダメだ、ダメだと思いがちではないだろうか。
 
わたしの場合は、完全にこれに当てはまる。
できないのに完璧主義。
だからこそ、できる人とのギャップを埋めたくて、自分を否定しがちだ。
 
「さらに」
 
先生の説明は続く。
 
他人との比較だけでなく、未来の「理想の自分」と比較して、
今の自分にダメ出しすることも自分への暴力なのだそうだ。
 
ひえー。
 
もうぜんっぜん、できていない。
 
家事全般不得意なわたし。
誰からも責められていないのにもかかわらず、
自分の理想とする完璧な主婦像とのずれから、一人でダメ出ししては落ち込んでいる。
掃除の仕方が雑。
料理がヘタ。
洗濯もいまいち。
整理整頓できない。
 
なんでできないの? みんな軽くやっていることなのに!
じゃあなんでもっと努力しないの? と毎日のように自分に暴言をはいていた。
 
さらに、現在のことだけではなく、過去のことに対しても、
 
亡くなった母にもっとしてあげられることがあったはずなのに、
なぜできなかったんだろう。
子どもが小さいときにもっと抱きしめてあげればよかったのに、
なぜできなかったのだろう。
OL時代ももっともっと、できることがあったのに、
なぜ努力できなかったのだろう……
 
ちょっと客観的になってみると、頭の中は反省ではなく後悔という形で自分を責める言葉の暴力が渦巻いているではないか。
 
もう暴力の総合商社状態だ。
あらゆる角度からあらゆる時制から自分を傷つけてきたんだ。
 
この、「自分への頭の中での言葉の暴力」というのは、
先に述べたように一見ポジティブシンキングの中に身を隠していることがあるので、より発見が難しい。
 
できないことを認めて努力することはすばらしいことだ。
でも、できないことを責めるのは違う。
 
自分への暴力に気が付きにくいわたしのような人間は、そもそも自己肯定感が低い。
自己肯定感を高めたいと思っていても、そもそも自己肯定感が低い人間には自分をほめること自体が難しい。
 
いきなり、今この瞬間から、
「このままでいい。わたしはすばらしい! わたしは最高だ! わたしは自分が大好き!」
なんて宣言しても、なんか、嘘くさいのだ。
 
……ってなこといっちゃって、どしたの? 本当はそう思ってないんじゃないの?
というもう一人の自分が邪魔をする。落ち着かないのだ。
 
けれども、暴力をふるうことはいけないことだという考えは取り入れやすいと気づいた。
 
暴力はいけない。
想像でも暴力はいけない。
言葉での暴力もいけない。
人と比べてダメ出しするのも暴力だからいけない。
理想の自分と比べてダメ出しするのも暴力だからいけない。
 
こうして非暴力の角度から眺めてみると、
少し自分に優しくなれる気がするのだ。
 
なんてったって、暴力はいかん! という大義名分が立つではないか。
(自己肯定感が低い人間はめんどくせーなぁと自分でも思う。)
 
まぁ、そうやって、自分で自分をボコボコにしていたことに気付いたからには、
今後は大事にしていかなければ、ね。
 
特に、理想の自分と比べて卑下するのは、やりがちなので。
 
ありのままの、今の自分のままを見つめて、卑下せず、無理にがんばろうと力まず、
ゆっくりとヨガのアーサナ(ポーズ)で深い呼吸をして、自分の身体と心につぶやいてみた。
 
「いっぱい暴力ふるってごめんね。 めんどくさいやつだけど、これからもよろしくね」
 
 
 
 
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2019-11-28 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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