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記事:芝田エル(ライティングゼミ平日コース)
 
「これお前の母さんのだから、持っていけ」
いとこの紘一兄ちゃんから白黒の写真を2枚、手渡された。
写真には母と赤ん坊が写っている。赤ん坊は私の姉。母にとっては最初の子供。
時代は昭和30年代半ば、生き生きとした表情の母が写っている。
もう一枚は屋内アンテナのテレビがある茶の間。
母と子供二人が食卓を囲んでいる。
茶碗に盛ったごはんとおかずが何品か。
父が撮ったのだろうか。
裏を返して見たが何も書いてない。
 
伯母の訃報が届き、急遽O市に行くことになった。
電車で2時間半のO市は「朝の連続テレビ小説」で舞台になった場所である。
母方の親せきが何軒か住んでいたため、子供のころは年に1度は遊びに来たことがある。
今でもいとこが何人か所帯を構えているが、葬儀以外ではほとんど会ったことがない。
両親が他界してからは、年賀状のやりとりだけになってしまった。
「こんなときしか会えないものよね」
「だんだんそうなるよね。結婚式も今は人を呼ばなくなったし」
JRの切符をポケットに入れて、私は姉とつぶやいた。
 
紘一兄ちゃんから電話で一報を受けたとき、兄ちゃんは悲しみの最中というよりは、少しほっとしたような空気をまとっていた。
認知症を患っていた伯母は、自転車で遠くまで出かけて帰れなくなることがあり、警察のやっかいになったことが一度や二度ではなかった。
お財布を持たずに店に買い物に行き、万引きと間違われて混乱し、大騒ぎになったこともあったそうだ。
家で介護することに限界を感じた紘一兄ちゃんは、伯母を施設に預けることにした。
施設では穏やかに暮らし、以前のようなことはだんだんなくなっていった。
そんなある日、伯母さんはご飯を喉に詰まらせて病院に運ばれ、誤嚥性肺炎で入院することになった。
 
病院では肺炎がよくなるまで食事は食べられない。
点滴と抗生剤でしばらく様子を見ますと主治医から説明を受けた。
それからひと月間、伯母は回復しないまま旅立っていった。
最期の一週間、紘一兄ちゃんと奥さんは交代で付き添った。
夢と現実、昔と今が混在する伯母の世界に合わせて、一緒に揺らぐ一週間だったという。
そうして最期の時を家族で見守り、悔いのない看取りだったそうだ。
「やること全部やったな、って思ったんだ」
紘一兄ちゃんは清々しく、そう言った。
 
通夜が終わり、親族だけの席で紘一兄ちゃんは挨拶し、集まった皆に深々と頭を下げた。
みんなそれとなく苦労はわかっていたので、労いながら酒を酌み交わした。
そして奥から大きな菓子の缶を二つとアルバムを何冊か持ってきた。
菓子の缶には日付もなにもわからない、古い白黒写真がたくさん入っていた。
「こういう時じゃないと、写真なんて見ないからさ、欲しいのがあったら持っていってよ」
写真を真ん中に車座になって、わいわい言いながらみんなで見やった。
 
そのうちの2枚を手渡され
「お前、母さんそっくりだな」と言われて気恥ずかしかった。
昔から、母に似ていると言われることが多いのだが、どうしてか素直にうれしいとは思えない。かといって「似てない」と言われるのも面白くないものである。
「なに言ってんの、紘一兄ちゃんだって亡くなったおじさんにそっくりだわ」と言い返して笑った。
 
通夜には母のいとこたちも来ていた。
二人とも80歳前後になっているはずだが、健啖家でよくしゃべり、お元気である。
どちらも未亡人で一人暮らしなので、たまに安否確認の電話をかける程度にはつながっていた。
私は紘一兄ちゃんにもらった写真をおばさんたちにみせた。
「ああ、これはA市にいた頃だね。結婚して子供が生まれて、一番いいときの写真だ」
「あんたたちのお母さんは戦争で苦労したんだ」
と口々に言った。
私の両親は昭和ひとケタ世代に生まれ、戦中戦後の話を一切しない人だった。
家では戦争の話はタブーになっていた。
話したくない嫌な思い出なんだなと、子供心に理解していた。
しかし亡くなってしまうと「親戚」と呼ばれる人々と、どういう関係性なのかがわからない自分がいた。
久しぶりに会ったおばたちに、そのことを一度聞いてみたかった。
 
戦争孤児になった母は日本に引き揚げてから親せきをたらいまわしになった。
裕福な家などなかったから、女中として働かされてろくに食べ物も与えられない暮らしも味わったそうだ。最後に暮らした伯父の家では、逆に実子よりもかわいがられた。
一時私もそのおじいちゃんたちと暮らしたことがあり、本当の祖父母だと思っていたのだが、実は大伯父だとわかって驚いた。
 
通夜が終わってホテルに着いた私は、備え付けのメモ用紙にさっき聞いた話を急いで書きつけた。
家系図と、母の生きてきた軌跡。
書けば書いたでますますわからないことが出てくる。
翌日告別式でまた二人のおばに会い、ゆうべ書いたメモを見てもらった。
おばたちも記憶を喚起されたらしく、さらに知らない話が出てきて尽きなかった。
「私らが生きているうちに、また聞きに来なさい。待ってるから」
私は大きくうなづいた。
 
 
 
 
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2019-12-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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