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「ぺんきゅう」と言える勇気を ――元英会話講師が伝えたい「生きた」言語を話すコツ


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記事:あれぐり(ライティング・ゼミ5月開講通信限定コース)
 
 
ぺんきゅう!!
小学校高学年の背の高い彼は、笑顔で元気にそう言いはなった。Thank youと言ったのだった。
当時私は、地方の、ある英会話教室の担当をしていた。教室運営も英語指導も、ほどよく慣れた頃で、新たに入会してくる子の対応も「おまかせください」と言えるレベルにはなっていた。
その彼は、親の転勤で引っ越してきて、まだ右も左もわからないまま、私の教室へやってきた。見知らぬ土地で、初めての英会話クラス。最初はがちがちに緊張し、声も蚊の鳴くようだった彼だったが、帰宅の頃にはほがらかに解きほぐれ、のびのびと声を出せるようになっていたのはよしとして。
 
「ぺんきゅう」か。
とっさに、直してあげよう、と思った。周りの子たちに笑われて、自信をなくしちゃもったいない。だけどすぐさま考え直した。ぺんきゅう、多分、なかなか悪くない。だから、それを言えたことを褒め、いい耳していることを褒め、彼を批判できない雰囲気を作り上げた。
 
日本にいると「thank you」は、もう、自動的に「サンキュー」に変換される。だけど、ほんとはみんな知っている。いかに「サンキュー」がthank youじゃないか。
 
そもそも「ぺんきゅう」は本当にそんなにまずいのか。
「th」の音は、日本語にないからもとより結構難しい。それは日本人だけの問題じゃない。「t」音や「d」音になる人たちは、世界中にたくさんいる。だから世の中には、「たんきゅう」なthank youや「でぃす」なthisや、「だっと」なthatが散在している。それに、ネイティブのロンドンっ子たちなんて、「th」が「f」音や「v」音になったりする。thingだって「フィング」になるし。「よう、兄弟」って言うときの「brother」だってなまって短くなってbrov(ブロヴ)になるし。だから教科書通りの「正しい」発音じゃないけれど、むしろ「正しい」発音じゃないからこその、生きた英語はわんさかあるのだ。
 
ちなみに、「f」音になるのは、「f」か「ph」。「ph」音は、フィリピン人の発音の傾向では、「p」音ぽくなったり、「p」音になっちゃったりする。そう考えると、アジアの片すみで英語を学ぶ彼にとって、「th」と「p」がごっちゃになるのは、わりと道理にかなっている。ぺんきゅう、あながち悪くない。
 
それでも「ぺんきゅう」と口に出すには勇気がいる。そもそも音がかわいすぎる。その音の組み合わせを、大真面目に口から出すなんて、気恥ずかしくなるのが大人の常識。そこは、大人の階段登りはじめた小学校高学年だって同じはず。
 
だけど彼は、thank youという短いフレーズを、ただそのまま耳から聞いて、なんの偏見も持たないで、素直に聞こえた音をまねた。聞こえたままの、音の連なりを口から出したら「ぺんきゅう」になった。そこには、日本語の発音セットを飛び出した、聞こえたとおりの英語の音のエッセンスがあった。だから彼の「ぺんきゅう」は、生き生きとした英語に聞こえた。たぶんネイティブの人が聞いたら、するりとthank youに変換される、そんな音のかたまりだった。それを日本語の耳で聞いたら「ぺんきゅう」になる。ただそれだけのことだった。
 
大事なことは、彼がそれを言ったということ。その一言で、彼は住み慣れた日本語世界から一歩飛び出し、新しい音の世界に踏み出した。それは勇者のすることだ。
だから私は、勇者な彼を讃えて守った。勇者な彼と、守護神な私。するりと仲良くなることができた。そして、彼のぺんきゅうは、あっという間にthank youになった。
 
私たちには、常識がある。常識は、私たちが日々暮らすなか、どう動いて、どう話して、どう決めるのが妥当であるかを教えてくれる。常識は私たちを守ってくれる。
だけど、新しい言葉を学ぶ時、聞いたことない音を扱う時、常識はときにジャマになる。変な音は出すものじゃないし、変なことは言うものじゃない。突拍子もない間違いなんて、そんなことしたら恥ずかしい。笑われでもしたら、今まで築き上げてきた、「ちゃんとした人」感に傷がつく。気持ちがつぶれてしまったら、そのあとどんな顔をして、何を言ったらいいのだろう。
 
だけど、新しい言語に出会う時、常識というヨロイを置いて、あえて素肌で、素の耳で、初めて聞く音に触れてみる、そういう機会が大事と思う。知らない音に触れてみて、正しく出せるか分からない音を、聞こえているかも分からない音を、すべて受け止め、ただ真似をする。心配だけど、不安だけど、それを口から出してみる。それができたら、あなたは勇者だ。そして勇者は、生きた言語のエッセンスを、新しい機能をそなえた新しいヨロイを、きっと手に入れるだろう。
 
あなたがそんな勇者になりたいのなら、どこかの教室に通うなら、絶対あなたの努力を笑わず、そばに寄り添うと約束できる講師のもとで羽をひろげていただきたい。そんな講師がいない中、それでも一人でがんばるという、すごい勇者があなたなら、私があなたを讃えたい。私はあなたを笑わない。私はあなたのがんばりを、勇者のがんばりと知っている。
 
あなたの挑戦、すばらしいです。あなたの勇気を讃えます。ぜひともそれを続けてください。
ずっと応援しています。
 
 
 
 
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2020-08-01 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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