メディアグランプリ

箱の中の、「小宇宙」


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記事:toko(ライティング・ゼミ通信限定コース)
 
 
その箱を開けたとき、私はいつも「宇宙」を感じる。
一面に詰め込まれた、色、色、色。
グラデーションはなく、無秩序に見えるその並び。
それだけでは役に立たないのに、丁寧にしまわれているそれら。
宇宙のように限りなく、奥深く。
 
箱の中に整然と収まった、刺繍糸。
 
私の趣味のひとつに、刺繍がある。
針と糸を使って、布に絵や柄を刺していくその手しごとは、私の心を落ち着けてくれる大切な趣味だ。
集中して図案を布の上に再現している間、私の心は無心になる。
 
刺繍との付き合いは長い。
小学生の頃、海外に住んでいた私は、言葉の壁が高くなかなか自分の気持ちを想うように伝えられず、もどかしい日々を送っていた。人より一歩後ろで過ごす毎日の中、クラブ活動で刺繍に出会い、自分も周囲と遜色なくできることがあるのだと初めて実感することができた。
(ちなみに、私は大の運動音痴で、スポーツでは他のクラスメイトと比べて遜色ありまくりだった)
それ以来、離れていた時期もあったけれど、刺繍は私の人生の大部分を一緒に過ごしてきた、相棒のような趣味になった。
 
例えば、転勤で知り合いの一人もいない福岡に引っ越したとき。
予定の無い休日の長い時間を埋めてくれたのは、ドラマや映画を見ながら刺繍をする時間だった。
 
自分の手の中から、美しいものが生まれていく。
その喜びは、たとえ自分一人きりの小さなものであっても温かく、一人ぼっちで知らぬ土地に戦う自分を肯定してくれるものだった。
 
その後、その趣味は人にも喜んでもらえるものになる。
結婚式のウェルカムボードや結婚記念日を刺繍したメモリープレート、赤ちゃんの誕生時間や身長体重を記録したバースアナウンスメントなど。
自分だけの小さな達成感が、人に喜んでもらえるものになる。それは大げさに言うと自分で道を切り開いたような、自分の幸せを見つけたような、そんな自信になるものだった。
 
さて、その刺繍に不可欠なものの一つが、刺繍糸である。
 
様々な図案に挑戦していくうちに、手元にある刺繍糸の種類はどんどん増えていった。
世の中に存在する色の数を数えきれないのと同じように、刺繍糸の数もシーズンごとに新しいものが発表され、どんどん増えていく。
そのうちのごく一部とはいえ、手元にある刺繍糸の色数は、優に100は超えているだろう。
 
私の使う25番刺繍糸は、6本の細い糸がより合わさって1本の長い長い糸となって売られている。
一つの作品で使い切ることはごく稀なので、他の図案でまた同じ色を使う日まで保管しておくことになる。
使い差しの刺繍糸を、私は専用の糸巻きのような形をした厚紙にくるくると巻き付けて、保管している。
刺繍糸を買ってきたら、まずテレビなどを見ながら糸を巻くのだ。
実はこれも私の好きな時間である。
もはや私にとって「テレビだけを見る」時間は苦痛になりつつあり、何か他にもう一つ手を動かしていたいのだ。それは食事であったり、刺繍であったり、糸を厚紙に巻く時間でもある。
そのように時間を過ごすと、なんとなく上手く時間を使えたような気になる。
立派な「ながら」族の一員、だ。
 
そうして厚紙に巻き付けた刺繍糸は、これまた専用のプラスチック製ケースに立てて収納している。
その際、刺繍糸それぞれの色に付けられた番号順に並べて保管しているのだが、不思議なことに色番号は色そのものとは無頓着に振られているようだ。
つまり、順番通りに収納しても、見た目の色はバラバラで、グラデーションでも何でもない。
少し、居心地の悪さを感じる箱になる。
 
新しい作品にとりかかるとき、私は図案の指示する色番号の刺繍糸を最初に箱から出してしまう。
そしてその作品が完成するまで別の巾着袋に入れて保管している。
私は出先のカフェでも、出張中の新幹線の中でも、暇さえあれば刺繍をするので、持ち歩きやすいように糸切りばさみや予備の針と一緒に刺繍糸もひとまとめにしているのだ。
 
そのため、実は刺繍糸の箱を開ける機会はそう多くない。
 
私の刺繍欲には波があり、毎晩遅くまで没頭してしまうほどのめり込むこともあれば、数週間一度も布を手に取らないこともある。
趣味なので、毎日取り組まなくてももちろん良いのだが、しばらく針と糸を手にしないとなぜだか罪悪感が沸いてくる。
 
そんなとき、私の刺繍欲を刺激してくれるのが、普段はあまり出番のない刺繍糸の箱なのだ。
 
その箱を開けると、思わずため息が出てしまう。
これまで少しずつ集めてきた、数々の色たち。
決して綺麗に整わず、バラバラに並べられた色。
その無秩序さ、面としての色の集合体、それだけでは役に立たないのに圧倒的な存在感。
そのどれもが、私に「宇宙」を感じさせる。
奥行きがあり、深さがあり、底知れなさを感じるのだ。
 
この箱を埋める糸たちで、私はどんなものをも描くことができる。
この箱に押し込められた色たちを、私はどれだけ時間を使っても見切れないのではないか。
この糸たちはほぐされて、針に通され、布の上を這っていくことで初めて存在価値が見いだされるのに、どうしてこんなに自信満々に収まっているのか。
 
「刺繍」という行動にとってただのツールでしかない刺繍糸に、ここまで思いを馳せてしまうのは、やはり私が刺繍好きだからなのだろうか。
人は好きなものについて話すときはつい、熱を込めてしまうようだ。
皆さんの「熱」がこもるエピソードは何があるだろう。
「宇宙」を感じるほど熱がこもるエピソード、機会があればぜひ、教えて頂きたい。
 
 
 
 
***
 
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2020-08-08 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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