御朱印帳は日にち薬
記事:和田清美(ライティング・ゼミ7月開講通信限定コース)
「今、書いているところですよ」
顔色を変えた宮司さんがそう言ったとたん、背筋がすっと寒くなった。
あ、怒らせた、と瞬時に分かったからだ。
急かした訳じゃないです、確認なんです、と言ったが時すでに遅し。言い訳にもならない虚しい言葉だった。
7年ほど前の11月、都内の神社で御朱印を頂いた時の出来事だ。
御朱印を書いて下さった宮司さんを怒らせてしまったのだ。
御朱印(ごしゅいん)は、神社やお寺などで、参拝やお参りの証として頂ける印のこと。寺社名や参拝日を墨書きし、朱印を押して頂くものだ。
筆跡や印が、神社仏閣によって異なり、見比べると大変興味深い。
神社仏閣巡りが好きな会社の先輩と、ひょんなことから話がまとまり、2人で都内神社の御朱印巡りに行こうということになったのだ。
秋晴れの風がさわやかな日だった。ピクニックに行くようなウキウキした気分で、待ち合わせに向かった。
件の神社は、都心のど真ん中にある、大きな神社だ。
由緒ある古い神社だが、参道や境内は綺麗に整備されており、多くの参拝者が訪れる近代的な造りになっていた。
参拝を済ませ、社務所に声をかけると、男性の宮司さんが応じてくれた。
気さくに色々話しかけてくれ、御朱印を書いている間、隣の宝物殿で待っているように言われた。
宝物殿はこじんまりしており、ゆっくり見てもそんなに時間はかからない。
そして、社務所と宝物殿がちょっと離れていた。
書き終わったら声を掛けるから、と言われたのだが、その声が聞こえるかどうか。閉鎖的な空間でちょっと不安な感じだった。
しばらく待った。
……いささか時間が経ち過ぎた気がする。
……遅い気がする。
……声を聞き逃したのかもしれない。
先輩と相談して、社務所に戻って声を掛けた。
そしたら、静かな声で言われたのだ。
「今、書いているところですよ」と。
急かすなんて失礼な、と怒られた。さっきまで親切にして頂いた分、恥ずかしい気持ちと情けない気持ちと、とにかく身の置き所がなかったが、言い訳しながら謝った。
「せっかく心を込めて書いていたのに」
「失礼だから、他ではそういうことしない方がいいですよ」
御朱印帳を手渡しながら、宮司さんは最後にそう言った。
御朱印巡りのスタートがこれである。
いたたまれない気持ちで、テンションが一気に下がってしまった。
それでも、2人で何とか気持ちを奮い立たせて、その後、3箇所の神社を巡った。
当時は、申し訳ない気持ち半分、悪気はなかったという気持ち半分だった。
正直、言葉足らずで誤解された、あんなに怒らなくても、と思っていた。
怒られて恐い思いをしたから、もうあの神社には行かない、と思ってさえもいた。
その後、件の神社には行っていない。
あれから7年経った。
御朱印帳を開いて、件の御朱印を見るたび、心がチクチクした。
後ろめたい気持ちがザワザワ湧き上がった。
だから、しばらく直視出来なかった。
ただ、年数が経つごとに、チクチクとザワザワが薄れてきた。
そして、少しずつ御朱印を見つめることが出来るようになった。
あの宮司さんが書いてくださった御朱印は、他の御朱印に比べて、とても丁寧で美しい。
やっぱり、この事件は100%私たちに非があった。
私は、この事件があった1年ほど前から御朱印を集め始めていた。
順調に増えていく御朱印が嬉しくて、本来の目的を見失いかけていた。
御朱印は、参拝やお参りをして、神様や仏様との繋がりが出来た証であり、一つ一つありがたく頂くものなのだ。
そもそも、御朱印巡りと言っている時点で勘違いをしていた。
もともと神社仏閣が好きだった私は、参拝マナーはちゃんとしている、と自分で思い込んでいた。
当時、「御朱印ガール」という言葉が流行り出した頃で、私はそれとは違う、と驕っていた。
何も違うことはない。マナーを知らないお嬢さんたちと何ら変わらなかった。
御朱印を書いて頂いている間は静かにする。
こんな風に書いて、と要求しない。
この大事なマナーが守れていなかったのだから。
今、心から思う。
大変失礼なことをした。
あの時、御朱印巡りのスタートで怒られたことに、とても意味があった。
ピクニック気分でキャッキャしながら行くものじゃないよ、と諭して下さったのだと思う。
宮司さんは、最後まで親切だった。怒って書くのを途中で辞めることも出来たのだから。
怒りながらも、やっぱり心を込めて書いて下さった、そう思える位あの御朱印は存在感を放っている。
御朱印帳を眺めると、当時を思い出し、その時の気持ちを思い出す。
繰り返し眺めていると、苦しくて直視できなかったものが、少しずつ見返せるようになり、気持ちに変化が出てきた。
時間が掛かったけれど、謝罪の気持ちと感謝の気持ちが浮かんできた。
時間が解決する、日にち薬の効能がある。そして戒めの効能も。
御朱印集めは、今でも細々と続けている。
あの時の気持ちを忘れずに、今度こそ失礼のないように。
謙虚な気持ちで、静かに待つように心掛けて、旅先など時間が無い時は、無理に頂こうとしない潔さも身に付けた。
まだ、件の神社には再参拝出来ていない。
勇気を出して、参拝に行けた時、私は本当に謝ったことになるのだ。
近々きっと行こうと思う。