それでも私は、この町が嫌いだった
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:濱守栄子(ライティング・ゼミ夏期集中コース)
東北は岩手県の沿岸南部に、小さな小さな町がある。
その町は「大船渡市(おおふなとし)」と言って、人口3万5千人ほどの海辺の町。
新幹線の最寄り駅からは、車で1時間半ほどかかるし、バスは1時間に1本程度。車がないと生活できない。要するに単なる田舎町。そんな町で私は生まれた。
私が学生の頃は、まだ「大船渡線」という汽車が通っていた。電車ではなく、汽車である。通勤と通学の時間帯に2両編成となるその汽車は、それ以外の時間帯は1両のみ。お世辞でも、交通の便がいいとは言えない。
中でも私の実家のある「末崎町(まっさきちょう)」という町は、ただでさえ田舎の大船渡市の中でも、最南端に位置する町で、正直、これ以上田舎の町はないのではないだろうか? と思うほどのド田舎っぷりを発揮していた。
小学生の時は、毎日1時間かけて学校まで徒歩で通っていた。カモシカを横目に通学することも良くあることだった。中学生ぐらいになると45分くらいで通えるように成長した。
しかし部活で夜遅くなるので、同じ方向に家のある子達の両親が、ローテーションを組んで交互に学校まで車で迎えに来てくれることもあった。
高校生になり、私は大船渡市の真下にある「陸前高田市(りくぜんたかたし)」にある商業高校に進学した。自転車で最寄り駅まで約30分。全力でこぎ続け、3時間に1本しか通らない汽車に乗って通学していた。雨が降ると自転車で駅まで行けないため、バスを2本乗り継いで通学していた。
一度、「学校まで自転車でどれぐらい時間がかかるだろうか?」と、友達と自転車で学校まで通ってみたら、55分ほどで到着した。その話を、ドヤ顔で母親にしたところ「定期券があるのになんて勿体ないことをしたんだ!」と、予想外な回答の上に本気で怒られて、悔しい思いをしたのも良い思い出だ。
高校生にもなると、友達と遊びたいし、たまに夜遊びもしたくなるお年頃。友達だけで映画を見に行きたいし、全力で恋愛もしたい。部活帰りにクレープでも食べながら「キャッキャウフフ」とスキップで家に帰ってみたいものだった。
しかし、非常に交通アクセスが悪いこの町では、夜中にちょっと抜け出して誰かと遊ぶなんてできるわけがなかった。そもそも学校からの帰り道でクレープが買える場所もない時点で、それらは100%無理な話だった。
私は、この町が嫌いだった。
高校を卒業した私は、地元の金融機関に就職した。都会に憧れつつも、特にやりたいことも何もない、意志の弱い私は、親の言われるがままにこの町に残ることを選択した。
それなりに楽しかった。仕事は安定していて、給料もそれなりに貰えていた。高校時代にできなかった夜遊びや、友達だけで映画に行くことも、車の免許を取った私は、全て叶えることができていた。仕事の帰り道でクレープ屋に立ち寄り、クレープを食べながら帰るのも日課だった。そこそこの平凡な毎日を送っていた。
それでも私は、この町が嫌いだった。
この町はとても視野が狭いのだ。例えば病院に行ったり、遊びに行けば必ずと言っていいほど、知ってる人と顔を合わせた。人から流れてくるどうでもいい噂話に同調してしまう自分にもうんざりしていた。新しい友達と遊ぼうとすれば、昔からの友達が嫉妬する。職場では、上司とそりが合わない。くだらない飲み会は断れない。仕事を辞めればすぐ噂になる。欲しいものは近くに売ってない。遊びに行きたい町は、車で3時間はかかる……。
この世の中に、「強制的にやらされていることなんてない」はずなのに、何故か私は全て「この町」のせいにしていた。
何もない、こんな町。
もう、出ていきたい。
私は東京に行くことを決断した。
この町に残っていても、別に良いことなんてない。思い残すような義理もない。
東京に行って、もっと広い視点で自分を成長させたい。違う仕事がしてみたい。もっと勉強してみたい……。
そして、「この町」が「あの町」に変わった。
東京に行った私に待っていたのは、都会での沢山の誘惑だった。
東京とあの町の違いは一言で言うと「選択肢が沢山ある」ということ。
学校も沢山ある、病院も沢山ある、仕事も沢山ある、お店も沢山ある、人も沢山いる。
あの町では、学校は学区内で一番近いところに通うのが基本的ルール。病院も町に1つしかない。仕事も辞めたら、次の仕事に就けるほど求人がない。
選択肢がないから、我慢するしかない……。
ところが東京は便利過ぎた。病院は選び放題だし、仕事も沢山ある。人も沢山いる。上手くいかなくなったら全て他のものが選べる。
私はあの町で、我慢強さと、人や物を大切にする気持ちを手に入れていたことに気が付いた。
そして月日は流れ、東京に上京して3年経った3月11日。上野駅に居た私は、突然の大きな揺れを体験する。
近くの建物に避難すると、あの町が津波で流され「壊滅的な状況にある」とラジオから聞こえる緊迫した声が教えてくれた。
家に帰宅しテレビをつけると、そこには、見慣れたはずのあの町が、変わり果てた姿で映っていた。
あの町は、たった一瞬で無くなってしまった。
不覚にも、そこで始めて気が付いた。
失って初めて気が付いてしまった。
あの町には、沢山のものがあったのだ……と。
それを私は、見ようともしていなかったのだ。
あの町があることは、当たり前のことだと思っていたから。
私は、ただただ、後悔した。もう二度とあの町のあの風景を見ることができない。お世話になったあの人に会うことができない。もっと頻繁に帰っていれば良かった。もっと写真に残しておけば良かった。もっと向き合っていれば良かった。
私には、後悔しかなかった。
2011年4月30日、私は震災後、初めて故郷に降り立った。
この町が嫌いだと言えたのは
この町が絶対的な無償の愛で私を包んでいてくれていたからなのだ。
私がどんなに「嫌い」と言っても、この町は何も言わずに見守ってくれた。
私が帰ってくるのを、いつも待っていてくれた。
新鮮な魚や綺麗な空気、緑のコントラスト、そこに住んでいる人の温かさ……どれをとっても素晴らしいものだった。
今の私が私でいられるのは、この町に生まれたからだったのだ。
この町に生まれなければ、今の私はいないのだ。
近くにいると見えないこともある。
家族や恋人も、毎日顔を合わせると「うるさいな」「うざいな」と思う。
でもそれは、絶対的な安心感から言えることなのかもしれない。
あれから10年の月日が経過した。
あの町は、復興と呼ばれる方向に着実に向かっていて
もう、悲惨な姿ではなくなっている。
復興が進めば進むほど、元の姿とは違った町になっていく切なさもあるが
あの町が傷ついた姿ではないことが、心を安定させてくれた。
あの町は姿を変えても、無償の愛で私を迎え入れてくれる。
私は、あの町が大好きだ。
どんなに「嫌い」を並べても
たった一つの「好き」には敵わないようだ。
***
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