メディアグランプリ

電車の座席と試金石


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記事:神谷玲衣(ライティング・ゼミ 夏期集中コース)
 
 
電車の車体についている番号を、何度も何度も見返した。
私達が乗るはずの車両は10号車なのに、これから乗ろうとしている電車の最後尾には「9」という番号がついているのだった。
おかしい……。
 
プラットフォームを間違えたのだろうか? いや、そんなはずはない。駅の電光掲示板も確認したし、さっき通りかかった駅員にも聞いたじゃないか。いや、待てよ。あの駅員、かなりテキトーっぽかったし、もしかしたらいい加減なことを教えられたのかもしれない。
 
チケットはちゃんとインターネットで購入して、プリントアウトもしてある。手元のチケットの番号と、車両の番号を、何度も何度も見返して確認する。そうこうしているうちに、どんどん発車時刻が迫ってくる。ダメだ、これ以上モタモタしていたら、乗りそこねる!
 
駅員に「このきっぷには10号車と書いてあるのに、あの電車は9号車までしかないんだけど、どうしてでしょう?」と聞いたら、「大丈夫、あの電車で間違いないから、とにかく乗れ!」と言われたじゃないか。
 
え〜い、もう仕方がない。夫とともに、電車の数段ある階段を、当時まだ小さかった娘が乗ったバギーを持ち上げて、やっとのことで車内に乗り込んだ。乗ったと思ったら案の定ほんの少しして、なんの前ぶれもなく背後で扉が締まり、電車が走り出した。
 
背中にびっしょりかいた汗で、Tシャツが気持ち悪くねっとりと貼り付いている。乱れた息を整えつつ、目は座席の上の番号を追っている。目当ての10号車ではなく9号車なのだから、座席番号を探しても意味が無いのはわかっていたが、つい電車に乗ったときの癖で、自動的に席を探してしまう。
 
もちろん、私達の席の番号には誰かが座っていた。席はそこそこ人で埋まっていたが、真ん中あたりの4人がけに、男性が一人で座っているだけの場所があった。
 
バギーをたたんで入り口近くの荷物置き場に収納し、娘や荷物をえっちらおっちら運びながら、その席まで進んだ。初老の男性に「すみません、ここ座ってもいいですか?」と声をかけると、読んでいた本から面倒くさそうに、ほんの少しだけ目を上げて、愛想のない顔でうなずいた。
 
やっとのことで席に座り、娘を膝の上に座らせてから荷物を片付ける。座ったはいいものの、自分たちの席ではないと思うとなんとなく落ち着かない。
 
そうこうするうちに、8号車との境のドアが開き、車掌が検札に回ってきたのが見えた。心臓がドキッとした。横を見ると、夫がチケットを固く握りしめている手が目に飛び込んでくる。
 
車掌が私達の席までくるのにどれくらいかかっただろうか?私は頭の中でなんと言おうかと、何度も言葉を反芻していた。
 
「Buongiorno!」立派な口ひげの下から言葉が飛び出した。
 
私は知りうる限りのイタリア語で車掌に、「私達はイタリア国鉄のホームページでチケットを買って、こうしてプリントアウトして持っている。このチケットには私達の席は10号車だと書いてあるのに、この電車は9号車までしかない。駅で聞いたけれども、この電車に乗れと言われた。どうしたら良いのか?」と、一生懸命説明した。
 
車掌は私の下手なイタリア語を辛抱強く聞いてくれ、鼻歌まじりの気楽な様子で夫の手からチケットを引き抜き、しげしげとそれを眺めていた。
 
私達が固唾を飲んで車掌を見上げていると、彼は一言こう言った。
 
「Non che problema!」(ノープロブレム!)
 
えっ?
 
一瞬言葉を失ったが、車掌は続けてこう言った。
 
「お前たちはそこにそうして座っているじゃないか。何が問題なんだ?電車はこうしてローマから発車しているし、ちゃんとナポリに向かっている。そしてお前たちには席もある。完璧じゃないか!」、と。
 
そして、車掌がそう言い終わると、近くの席のイタリア人のおばちゃんたちから拍手がわいた。みんな口々に「そうだそうだ、問題ないよ!」と笑顔で私達に向かって声をかける。
 
さっきまでの緊張が音を立てて崩れ去り、体から力が抜けた。
 
目の前の愛想の悪いおじさんまで、にこにこしている。最初は、「こいつらチケットも無さそうなへんな東洋人だな」と思っていたのかもしれないが、事情がわかって気を許してくれたのかもしれない。
 
みんなの拍手を受けていると、さっきの緊張はどこへやら、私達まで「そうだそうだ、なんの問題があるんだ?」という気になってくるから不思議だ。
 
その後、車内はより一層にぎやかになった。おばちゃんたちの早口のイタリア語に四苦八苦しながらも楽しく過ごすうちに、電車はかなり遅れてナポリに着いた。最初はどうなることかと思ったイタリア国鉄の旅は、最高の楽しい思い出となったのだった。
 
電車はなかなか時間通りに来ないし、ストライキは多いし、来たと思ったら電車の号車数は合ってないし、駅員はずっこけるほどテキトーだ。5分おきに新幹線が遅れもせずに到着し、乗客もおとなしく自分の席にきちんと座っている日本とは大違いだ。
 
だがしかし、なぜ人々はこんなにも生き生きとして楽しそうなのだろうか?と思いながら、自分のものではなかったはずの座席をぼんやり見つめていた私はハッとした。
 
そうだ! 大切なのは、どこに座るか? じゃない。そこにどんな気分で座るかが重要なんだ。人生のポジションだって電車の座席だって。
 
テキトーに座った電車の座席は、私の人生の試金石だったのだ。
 
 
 
 
***
 
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2020-08-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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