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ないものねだりは走馬灯のように


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:深田 千晴(ライティング・ゼミ通信限定コース)
 
 
死を前にして思い出す光景は、いつのことだろう。
夜の街をひとり、自転車で走りながら、そんなことを考えた。
死が近づくと、走馬灯のように――走り抜ける光のように、人生でいちばんよかったときのことが、目に浮かぶのだという。
 
「おばあちゃん、あなたが小さかったころの夢を、よく見るらしいのよ」
このことは私の母から聞いた。祖母は齢80をすぎて一人暮らしに不安を抱えるようになり、数年前から老人ホームで生活している。
「きっと、そのころは体力もあって、孫の世話が生きがいで、幸せだったんでしょうね」
私はもう30歳になる。祖母は幸い、今でも穏やかに年を重ね、私の2人の息子の「ひいおばあちゃん」になってくれた。「子育てのお手伝いしたいわ」とよく声をかけてくれるが……元気な息子の世話を安心して頼めるとは、残念ながら言い難い。時間の流れとは、残酷なものだ。
 
その日、自転車でスーパーに行く私は、ひとりだった。いつもはどこにでも息子たちと一緒なのだが、夫が家にいるときは時々、例外がある。
すっかり自我が強くなった3歳の長男とは、つい毎日言い争ってしまう。自己嫌悪に陥り、1人になりたくて、暑さを理由に夕方から買い出しに向かうことにした。
子どもには危険な夜道を、自転車で駆け抜ける。
そういえば、この道を、以前もこうして通ったことがあった。
高校生の時、部活に毎日打ち込んでいたころ。
大学生の時、遅くまで続いた飲み会の帰りに。
独身の時、仕事の疲れと充実感を感じながら。
頭の隅にしまわれていた記憶が、次々に浮かんだ。
結婚して、実家の近くに移り住み、昔通った道をまた通るようになった。けれども、息子や夫と一緒の今では、同じ道でも、全く見え方が違う。
 
今の私には小さな夢がある。
家の近くの喫茶店で、時間を気にせず、過ごすことだ。
その喫茶店はビルの2階、細い階段を登った先にある。「珈琲」の文字と店名が書かれたランプは年代物で、時々豆を挽くいい香りがした。ベビーカーが通れないような狭い入口の先は、いつも暗く、外からではよく見えない。独身で、実家にいた頃から何年も気になっていたのに、ついに入る勇気が持てないまま、今に至っていた。
行ってみておけば、良かった。
家庭をもつことは自分の願ったことなので、後悔はしていない。ただ、子どものことを気にせず、自分の時間を楽しむことがこんなにも難しくなるなんて、あの時は分からなかった。それだけのことだ。
 
横断歩道で止まる。沢山の車が横切っていく。長男がいたら、飛び出さないようにぎゅっと手を握っているところだ。
もし、今この道に飛び出したら、私だって命が危ないだろう。
 
今、死ぬとしたら、思い出すのは何だろう。家族の笑顔だろうか。
子どもが生まれるまえなら、結婚式だろうか。
もっとまえなら?
 
いつかの自分と、今の自分は、地続きであるはずなのに、いつの間にか全く違う人間になっている。
あの時は、好きな人と結ばれて、毎日会える生活に、憧れていた。喫茶店なんて、行こうと思えばいつでも、どこでも行けた。
皮肉なものだ。
ないものねだりは、走馬灯のように、私の頭をめぐる。
すぐ脇の車道を走る車のライトが滲んだ。
赤、黄色、白、赤。ぼんやりながめる。道でぼんやりできるのも、ひとりだからだ。
 
このまま携帯の電源を切って、どこまでも自転車で走って行こうか。
自分の過去も現在もだれも知らないところを目指して。どこまでも――
 
一瞬、そんなことを考えたけれど、すぐにやめた。
いつかまた、今の生活を、走馬灯のように思い出す日も来るのだろうと思ったからだ。
 
「――ただいま」
「あ、ママだ! ママー」
家のドアをあけると、すぐに長男が出迎えてくれた。
「ママ遊ぼう。ぼくブロックしたいなあ」
「こらこら、まずはママにおかえりでしょ」
うしろから夫が出てきて、長男に声をかける。夫に抱かれている次男は、私と目があうと、ふわりと笑った。
「おかえり。――どうしたの、もう1時間も経ったから心配してた」
夫は私の顔を見て、いつもと違う様子を感じ取ったようだ。
私には帰る家があり、やるべき家事と家族のケアがある。その責任と充実感はひとりだったころの身軽さと引き換えに選び取ったものだ。
「いや、なんだか今死んでも私、幸せな人生だったと思うだろうな、って考えてたの」
健康で子煩悩な夫。3歳と1歳のかわいい盛りの息子たち。育児に苦労しながらも毎日元気でいられる若い自分。そんな日に、戻りたくても、戻れなくて、悔しがる日が来るのだろう。
生まれてからずっと家で一緒だった長男は幼稚園に通うようになった。
つい先月まではいはいしていた次男が、今では家の中を早歩きでうろうろしている。
時間の流れは、これからも止まらない。
今、この瞬間も、人生は移り変わっている。
 
 
 
 
***
 
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2020-08-22 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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