瀬戸内タコ釣り格闘記
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:カズ(ライティング・ゼミ夏期集中コース)
ぬめりを取ろうと塩をまぶしたとたん、タコはタライから逃亡した。吸盤をステンレスの流し台に吸い付け、人間の手をかわし、素早く逃げる。足を天板から力づくで剥がしても、別の足が伸びてまたステンレスに吸い付く。そして隙間を目指して動く。流しの脇に置いてあるトースターの裏、さらにその横の炊飯器の裏へと逃げていく。祖母、父、母、僕、総出でも捕まえられそうになかった。
「これは足を切らんといかんね」
祖母は物騒なことを言ったが、確かにそれ以外手は無さそうだった。
このタコは、その日の朝から、父と僕でタコ釣りに行ってとってきたものだ。
船に乗り、瀬戸内海に浮かぶ興居島(ごごしま)という島のそばに船を浮かべて釣る。釣りといっても釣竿は使わない。糸を手で垂らして取るのである。
まだ小学生だった僕は、初めてのタコ釣りで興奮していた。早朝5時にかけられた目覚まし時計より早く目が覚めた。父の車で港まで行った。そして、瀬戸内海の汐の香りで満たされた、ふた部屋ぐらいの大きさの船に乗りこんだ。
父の会社の同僚の人たちも一緒だった。
僕もいっちょまえに大人と同じ糸の仕掛けを渡してもらった。見よう見まねで針に餌をつけ、船べりから糸を垂らした。大人たちは、垂らした糸をゆっくりと上下に動かしていたので、それを真似した。
大人たちの糸には、ポツリポツリと、タコがかかり始めた。
「大きいの、きたわい」
「こっちもきとるよ」
釣り上がるたびに歓声が上がった。
僕も絶対に釣ってやる、と思って、手を上下に激しく動かした。
「そんなに速く動かすとかからんぞ」
父親が見かねて言った。
僕は速く動かすのをやめた。
隣の人がすでに二匹ほど釣っていた。もしかすると、その人の下にタコがいっぱいいて、そばにいくと釣れるんじゃないかと思った。近くに寄って行った。
「あんまり他の人のそばにいくな。糸が絡まるぞ」
父親はまた僕に言った。
僕は慌てて元の位置に戻ったが、時すでに遅しだった。僕が近寄っていったその人の糸と僕の糸は、水面の下で絡まっていた。
「ほら、言っただろ!」
父親に怒られながら、僕は糸を引き上げた。
二人の絡まった糸をほどく作業が始まった。絡まった相手の大人の人が、15分程もかけて全部解いてくれた。その間、僕は申し訳ない気持ちで、ぼうっと立ったまま作業を眺めていた。
ようやく糸をほどき終わって、僕はもう一度海に糸を垂らした。しかし、今度は気分が悪くなってきた。この感覚は知っている。車の中でうっかり本を読んでしまった時になるやつ。きっとさっき、揺れる船の上で糸が解けるのをじっと見つめていたせいだ。
「気持ち悪い」
僕が父に言うと、
「横にならせてもらっとけ」
父はぶっきらぼうに、甲板の上のベンチを指差した。
タコは釣れないし、糸は絡まるし、気分は悪くなるし。
散々だ。
快晴の空とは対象的に、どんよりと沈んだ気持ちになりながら、船のベンチに横になった。寝不足のせいか、揺れる船のせいか、僕はそのまま少し眠ってしまった。
日差しが強くなり、そばでトントンとまな板の音がして、僕は目が覚めた。
そばでは、船長さんが包丁でタコを切っていた。
おもちゃみたいに小さなまな板の上で、胴体から切り離されたタコの足がくねくねと動いていた。船長さんは、動く足を押さえながら器用に薄造りにしていった。
「おい、ぼうず、食え。味見だ」
船長はごっつい手で、タコの薄切りの端っこを手づかみにして僕に差し出した。
「そのまま食ってみ。醤油はいらん」
言われるがまま僕は口にいれた。それは、恐ろしくうまかった。
海水の塩味が効いていた。
歯ごたえもあるが、柔らかかった。
とろけるようで、とろけない。
そして、まだ生きているかのように、口の中でピクっと動いた。
もともと刺身は好きだったが、これまで食べたどんな刺身とも違う。
僕の中の、うまいものランキングの頂点に、それは突然君臨した。
「うまいだろ」
「おいしいです!」
少し前のどんよりした気持ちは全部吹っ飛んだ。
お昼はタコの刺身とタコの天ぷら、どちらも今釣れたばかりのもの。そして、タコ飯と、磯の海藻で作った味噌汁。すべて、船長が船の上で料理したものだ。
とにかく天ぷら、これがまた極上。
素材はとれたて、天ぷらは揚げたて。
海風に吹かれ、まわりは水平線と島々の景色。
今考えても、うまくないはずがない。
タコはたくさん釣れていた。僕は船酔いも忘れて夢中でしこたま食った。
お昼ごはん後、少し釣る時間はあったけれど、結局僕は一匹も釣り上げられなかった。
でも、お昼があまりに美味しすぎたので、十分に満足だった。
午後、船が港に戻ってきて、残ったタコをみんなで分けた。船の中の一つのいけすに入っていたので、誰がどのタコを取っのか、もうわからなかった。でもみんなそんなことは気にしていないようだった。
僕らは大きめのタコを1匹、クーラーボックスに入れて持ち帰った。
そしてそのタコが、家族全員で、流し台で格闘したタコだった。
結局、逃げるタコの足を包丁で一本ずつ切ることにした。まあ、残酷だが仕方ない。全部切り終わったところでタコはようやくおとなしくなった。
タコとの格闘に、僕は今日何度目かの大興奮だった。
タコはその晩、刺身や酢の物になり夕食のテーブルに上った。
「昼もタコ料理やったけんね」
と、父親は食傷気味だったが、僕はすこぶる満足だった。
あれから、40年。
高校卒業後上京してから、瀬戸内海はゆるやかに遠くなっていった。
学生時代こそ時々戻っていたが、社会人になってからは帰省の頻度もゆるやかに下がった。
けれど、僕のうまいものランキングのトップには、今でも、あの、船の上のタコの薄造りと天ぷらが占めている。
どんなに高いお店に行っても、おそらくあれを超えるものはなかった。多分これからもない。一日で何度も興奮したあの日の格闘の記憶とともに、一生残り続けるだろう。
もしいつか、ゆっくり帰省できる日がきたら、また瀬戸内海に糸を垂らしてみたい。
***
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