不良な友との思い出は、港町の潮風のようなものだ
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記事:大橋知穂(ライティング・ゼミ 日曜コース)
旅の途中で落ち着く場所は、自分の生まれ育ったところと似ているという。私にとっては、それが港町だ。
パキスタン最大の港町、カラチの空港に降り立つといつもその潮風にホッとしてしまう。だが、この潮風、実は全然さわやかではない、魚のすえた臭いがして、べったり肌にまとわりつく、おまけにぬるい。くさくて不快なのに、なぜかこの風、私の心の奥底に響いて、安心とエネルギーをくれる。そして私を子ども時代に連れ戻す。
港町には、いろんな人がやってくる。流れてくる。私が育った街もそんなところだ。戦後のドヤ街や赤線地区が、歓楽街になったところ、漁港、基地もある。だから、同級生には、貧乏な家庭の子、お母さんが愛人やっている子、暴力団の親を持つ子や、施設から引き取られた子などがいた。
下町にあった私の中学校はもともといい学校ではなかった。特に私の学年は「不良の予備軍」と先生たちにも前もって警戒されていたらしい。そして、同級生たちは、その期待通り(?)に、中学になるとメキメキといっぱしの不良になっていった。校内暴力でテレビ報道もされた。正義が通じない、力を持ったものが征する世界だった。一方で、そこから逃げる大人の世界も垣間見えて、それはそれで世間の無常を知るいい機会だった。
それでも、その後の人生で、私に人を信じてみようと思わせ、信じる幸せを体感させてくれたのもまた、こうした濃いキャラクターの不良の同級生たちだった。
Y君は小柄だけど感情がすぐ高ぶる男の子だった。小学生のころ、「学校で禁止されている地域」、いわゆる歓楽街で補導され、学校に通報された。先生は、「悪いことをしたY君の行動をみんなで考えよう」と学級会を開いたが、その結果は、Y君を寄ってたかってつるし上げる場となった。みんなにいろいろ非難されるのを、Y君は立たされたまま、下を向いて黙って聞いていた。
私はといえば、そんなに悪いことなのかなと思いつつ、「学級委員ポジション」の良い子であるゆえに何か話さなくては、とあせっていた。みんなと違う、良い意見を言わなければ、と。
「Y君が行った地域は、お父さんが危ないと言っていたところなので、行ってはいけないと思います」
それまで、何も反論せず、じっと下を向いていたY君だったが、私がそれを言ったとたん、顔を上げ、目にいっぱい涙をためてこちらを見た。
「僕の住んでる街を悪く言わないでください」 Y君の涙が止まらなくなった。
自分の顔が赤くなるのがわかった。一瞬で、自分のバカさを思い知らされた。自分がちょっといい子だと示したいためだけに、私はY君の生活やアイデンティも含めて貶めたんだと気が付いた。恥ずかしかった。自分の周りの人や暮らしを見下げるな、と訴えるY君の目は、私の中にズシンといつまでも残った。
もう一人、私に大切なことを教えてくれたのはO君だ。大柄で、教室のガラスを割り、先生や同級生を殴り、カツアゲし、とよく補導されていた。 中学を卒業した後会う機会もなかった彼と再会したのは、大学生の時、香港でだった。
バックパッカーの私に、いきなり道端で声をかけてきたO君。
「お前、何やっているの?」
「大学の春休みにバックパッカー」
「へぇーお前大学行ってんのかよ!すっげーなぁ。どこの大学だよ?」
「○○大学。知ってる?」
「知らねえ。でも大学だろ、すげーなーぁ」
「O君は何してんの?」
「今日は旅行。ちょっと前まで、香港で時計売ってたんだよ。じゃあな、お前頑張れよ」
と金ぴか腕時計をした左手を振りながら、笑顔で去っていった。
なんだかうれしかった。褒められたのもあるけれど、あんなふうに、他人の人生を素直に、温かくほめることができるO君に。
10代の頃は暴力一辺倒だったが、器のでかい人になったのだなぁ、と。仕事もあるみたいだし良かったなぁ、と。
後で日本に帰ってきてから、中学の友だちにO君はやくざになったと聞かされた。なるほど、だから香港で時計だったのかと、妙に納得した。それでも、私のO君に対する敬意は変わらなかった。彼みたいに損得勘定なしに他人の成功や幸せを素直に喜べる度量を、果たして自分が持っているとは思えなかったからだ。
そんな話を、大学の同級生たちに話した。でも反応は私の期待したものではなかった。「え? そんな人が友達なの? 自分には、そんな怖い友達はいない」と何人にも言われたのだ。なんだか、O君をバカにされているようで、腹が立った。
それから数十年。
港町のカラチの下町、スラムは流れ者の巣窟だ。治安はけっしてよくない。 そこにある、コミュニティの学校には、戸籍がなかったり、家族に麻薬中毒者がいたり、家計を助けるため働く、そんな子どもや若者がやってくる。仕事でそこに行く機会のある私は、ついつい教室の後ろのほうで、落ちつかない様子の男の子たちに目が行ってしまう。
夜7時から明け方4時までイカの加工工場で働いている男の子たち。眠い目をこすりつつ、茶髪の髪形をキメてくることは忘れない。時々ポケットから櫛を出して、髪を直す。「イカのワタを取るのは得意だけど、勉強はむずかしい」と、屈託なく笑う。
そんな時Y君やO君が、私の記憶からよみがえってくる。顔立ちや肌の色は違っても、どこか似ている。弱いけど強い。荒いけど、やさしい。だから、より一層頑張れって思ってしまう。
Y君、O君とも、もう30年以上会っていない。そんなに平坦な人生ではないことは想像できるので、会いたいような、そうでないような。 だけどいつか、「ありがとう。人生において清濁併せ呑むのあり方を教えてくれたのは、あなたです」と言いたい。「なんだそりゃ? お礼だけか?」とニヤニヤしながら言われそうだ。
***
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