30分滞在のとんかつ屋さんでのセンチメンタル
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:加藤具総(ライティンク・ゼミ7月開講通信限定コース)
「誠に勝手ながら諸般の事情により、8月31日をもちまして閉店する事となりました」
店内の壁の貼り紙には、お客様への感謝の言葉とともに閉店の挨拶が綴られていた。所用を済ませた流れのランチ。遠くない近所にあるとんかつ屋さん。
店の前を幾度となく通ったことはあったが、軒をくぐるのは今日が初めて。
奥の壁際のテーブルに促され、壁際に向かった際に貼り紙が目に入った。
「えっ、閉店?えっ、今日?」
何気なくランチの新規開拓くらいのつもりで入店。なんの心の準備もなくいきなりの閉店の文字に軽く狼狽した。
お店は小さな商店街の中に溶け込むように居並ぶ昔ながらのアットホームな雰囲気のとんかつ屋さん。老夫婦と言ってもいいご主人は厨房、女将さんは接客の役割。女将さんに水を入れてもらいながら、黙っていてもいいのだが、貼り紙を見かけた手前声をかけずにいられなかった。
「今日で閉店なんですね?」
読んだらわかるだろ? それ聞いてどうする? 自分で突っ込みを入れながらも私は女将さんにたずねてみた。
「そうなの。もう体力的にこれ以上は無理でね」
女将さんは一見(いちげん)客の私の身も蓋もない質問にも昔からの馴染みの客のように気さくで優しくも温かい口調で答えてくれた。女将さんより、「おかあさん」というのがしっくりくる。
そんなおかあさんの話しやすい雰囲気にランチメニューがあるのについついお勧めをたずねてみた。おかあさんは一瞬目をきらっとさせて間髪入れずに、
「そりゃあ、特ロースでしょ」と。
特ロースとは特上ロースカツ定食のこと。この店の看板メニューということは壁にかけられているメニュー板の位置でもわかった。特上ロースカツと特上ヒレカツは相撲の番付表で言う横綱のポジションだ。迷わず特ロースを注文。
「特ロースいち」のおかあさんの声に厨房のご主人が「あいよ!」と応えて調理が始まる。
特ロースを待っている間、タイミングよくおかあさんと話せた。
閉店する直接の理由は先にも書いたおかあさん体力の問題。
特に呼吸器がよくないそうで、その他にも悪いところいくつか聞いた。
確かに声出すのも辛そうだ。
お店の歴史は29年。
「30年はしたかったけど無理だったね……この体調じゃあね……」
この日初めて会ったおかあさんだが、前々から知っている人のような気がして
そんな切ない表情を見て、無念だろうなと、私もこの瞬間は寂しさがグッとこみ上げて来た。
閉店には少なからず新型コロナの影響があったこと。おかあさんは、
「閉店の告知も行き届いてなくてね。来た人びっくりしちゃうかも」
近隣は大学や企業のオフィスもあるがテレワークで職員さんや会社員の方が来なくなったことを意味する。
「給付金や補助金も対象にならなかったりね」
と続けるのは皮肉にも常連さん中心に来店が途切れず売上も壊滅的にはなってはおらず給付金、補助金の対象にはならなかったよう。でも確実に来店は減っている。それが一層じわじわと経営にのしかかっていったことは言葉の端々から伝わった。重い話だが、もうそれは終わった話として軽く流れていった。
「特ロース」が運ばれて来た。おかあさんの配膳も心なしか弱々しく感じたが、膳は特上ロースのとんかつ、ごはん、味噌汁、サラダ、漬物で埋め尽くされ立派なもの。特ロースカツを一口食べると柔らかい肉と繊細にさくっと揚がっている衣との一体感が素晴らし過ぎて感動。これは美味い! 柔かめに炊かれているご飯との相性も抜群。これが29年磨かれてきた看板メニューなんだと感慨深くなってしまった。
おかあさんに「美味しいです!」と言うと、
「よかったー」とニコッと笑顔。
おかあさんからしたら美味いのは当たり前だと思うが、私は一見(いちげん)客。
勧めた手前、反応も気にしてくれていたのかも知れない。
同時に私は「お店終わるのがもったいないなあ」と言ってしまっていた。
おかあさんは「本当にね」と。
もったいないは、おかあさんが一番にそう思っているかも知れない。
私が滞在している間にも常連客らしき人がお店に来ていつものように注文をしている。おかあさんの体調が悪いのは皆さん知っているようで、何も言わず自分でお水を取りにいったり、おかあさんに「大丈夫?息苦しそうだよ」と体調を気遣う常連さんも。
またある常連さんは、財布忘れて「あとで現金もってくるけどいい?」って訊ねて奥の厨房のご主人から「いいよ!後で持ってきて」なんてやりとりからお客さんとの得難い関係性も垣間見られ、こんな温かい素敵な雰囲気のお店が今日閉店することがにわかに信じられなかった。
会計時におかあさんに「どうぞお元気で」と伝え店を出た。
おかあさんは一言にこやかに「ありがとう」と。
次に店の前を通るとそのお店はもうない。たった30分の滞在は、柔らかい特ロースの味わいの余韻と29年のお店の歴史の最後の一瞬に立ち会えたセンチメンタルをもたらしてくれた。どうもご馳走様でした。ご主人、おかあさん、29年間お疲れ様でした。たまたまの偶然でお店に入った自分はとてもラッキーだったかも知れない。
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