なんでも治す祖母の魔法の知恵袋
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記事:畑澤直希(ライティング・ゼミ日曜コース)
「あったかくして、揉めば治るよ」
それが祖母の口癖であった。
共働きの両親を持つ私は、幼稚園から高校まで祖母の家に預けられた。夜遅くになって帰ってくる両親。顔を合わせる時間は週末を除けば殆どなく、どうしても両親と関係性を深めることができなかった。毎晩家に連れて帰りたい両親と、祖母の家から離れたくない自分。帰りたくないと玄関で言うたびに、両親は哀しい顔をしていた。
そんなことは露知らず、祖母は孫の私を甘やかしてくれた。好きな食べ物を用意してくれたり、欲しいものを買ってくれた。なんでも叶えてくれる祖母に、私は絶対の信頼を置いていた。
子供の頃の私は、成長期に30センチも身長が伸びるくらい劇的に身体が進化した一方、辛い成長痛に悩まされた。夜な夜な痛みに苦しむ私を見て、祖母は「大丈夫、あったかくして揉めば治るよ」と言ってくれた。半信半疑でやってみると、効果を実感し、安心して眠ることができた。それから中学、高校までバドミントンをしていた私は、体が辛くなったらこの知恵袋を頼った。
ところが、高校3年生の時に事件が起きた。
その日、高校の体育の授業でマラソンをすることになった。年に一度のマラソン大会の本番に備えるため、指定のコースを5キロ走り、戻ってきた順に授業を終えていいという回であった。私は早く終えて残った時間を受験勉強に企てようと、全力で走り抜けた。その結果、クラス上位の成績でゴールした。そしてすぐに勉強に戻るため、クールダウンをせずに机につく。それが、悲劇の始まりであった。
「なんだこれは」
数日後、お尻に違和感を感じる。肛門に、何かがある。恐る恐る触ってみると、手の小指の先くらいの大きさの肉の塊ができていた。インターネットがあまり普及していなかった時代、足りない脳味噌をフル回転させて辿り着いた答えは、「痔」だった。
どうしよう。まさか自分が痔になるなんて。思春期真っ只中の私は、この悩みを誰にも相談できなかった。ただ、一人だけ話を聞いてくれそうな人がいると気づいた。そう、祖母だ。幼少の頃から知っている祖母なら話しても大丈夫だろう。
「おばあちゃん、なんか俺のお尻に痔っぽいのできちゃったんだよね」
すると祖母はこう答える。
「大丈夫、あったかくして揉めば治るよ」
そうか、あったかくして揉めば治るのか。答えが見つかったという安堵感を得た。
その夜、早速お風呂場で揉んでみることにした。痛い。素直に痛い。これ、触らない方がいいのでは? でも、ひょっとしたら血の塊かもしれないから血行を良くすれば萎むのではないか。心なしか小さくなってきているぞ、と、揉む手を止めなかった。一通り揉みしだいた後、風呂をでる。効果があるからこそジンジンしているのだろう。明日には治っていると、膨らむ期待と共に目を閉じた。
次の日、明らかにお尻が痛いことに気づく。恐る恐る手を伸ばし触ってみると、小指の先くらいの大きさだった「それ」は、中指の先くらいの大きさに進化していた。頭の中で何かが、崩れ落ちる音がした。
数日経つと、あまりに痛すぎて歩くことも億劫になっていた。学校を休みたい。でも、痔なので休みます、と言って通じるのか。もし学校に広まったら明日から生きていけない。
悩んでいる私の顔を見ている母が「どうしたの」と話しかけてくる。
「お母さん、俺もしかしたら痔かもしれない」
現実を直視できず、確実にそうなのに格好をつけて「かもしれない」と言ってしまった。顔から火が出そうなほど恥ずかしかったが、深刻そうな顔の私を見て、母は真剣に話を聞いてくれた。こんなくだらない相談を親身に聞いてくれて、持つべきものは両親だなと思った。ただ、なぜ悪化したのかを尋ねられた時に、お風呂場で必死に揉んだ話をしたら大笑いされた。誰に聞いたかは、祖母の名誉のために言わなかった。
そのまま、母は病院まで付き添ってくれた。ここからもまあまあの地獄だった。逆さまに体育座りをしろという謎の指示の元、人生で初めて他人に秘部を見られたこと。執刀医と看護師が女性だったこと。執刀後の翌日に便器が血の海に染まったこと。こうした辛いことが起きるたびに、こっそりと母に相談しては話を聞いてもらった。
誰かに話を聞いてもらい、笑ってもらうことで心が安らぐ。そしてこのやりとりの往復をきっかけに、母に心を開くことができた。長きにわたりお互いの間にあった隔たりが、徐々に萎んでいった。そして痔が治るにつれ、尻上がりに仲が良くなっていった。
長く生きてれば、何でも知っているわけではないことに気づく。どんなに長生きしても、素人は素人、祖母は祖母、母は母。子育ても共働きも痔も、経験したことがないことについて、正解を導き出すことは難しい。
子供の頃、大人は何でも知っていると思っていたが、案外そうでもなかった。それは大人になった今、自分にも当てはまることだ。初心者として、正解を想像して判断するしかない。大人だから正しいと期待を持ちすぎず、その人の行動や発言の意図を理解しなければ、物事はいい方向に進まない。
そして、悩みを打ち明ける勇気を持つことで仲が深まることを学ぶ。恥ずかしさで顔面から出そうになる火が、関係性を温める。ハタ迷惑なおばあちゃんの、大抵のことはあったかくして揉めば治るという知恵袋。痔は悪化したが、家族の仲を治してくれた。尻から流した血は、決して無駄ではなかった。
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