父はりんごを送ってこない
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記事:鈴木果実(ライティング・ゼミ特講)
「クリスマスに何が欲しい?」20年ぶりに再会した父からのLINEに、私はなんとなく「福島のりんごがいいな」と返した。旬のりんごは美味しいし、生まれた土地の味を久しぶりに思い出したかった。今になって、もっともっとワガママを言って彼を困らせてあげればよかったと思うのだが、2年前の私は「りんごが欲しい」という自分に酔っていたのかもしれない。
父は養育費も払わず、東日本大震災後にも連絡一つくれなかったけれど、私は彼を恨んでいなかった。恨む必要がないくらい、私の生きている環境は恵まれていたし、記憶にも残っていない父を憎く思うほうが不自然だった。とはいえ、潜在意識にこびりついた「片親」である自分への不信感と、父の存在を肯定することで生じる母親への罪悪感を剥がしていくのは簡単ではなかった。当然、20年会っておらず顔も覚えていない40代後半の男と会うのは怖くもあった。だから、父と連絡を取り合えるようになってから、実際に会うまでに2年の時間がかかった。私は22歳で、秋の終わりだった。
駅で待ち合わせた父は、思ったより痩せていて、黒いハット帽を少し斜めにかぶった「イケオジ」だった。駅で私を認識した彼は、表情をほとんど変えなかった。それだけ彼は緊張していたのだと思う。一方の私は、驚くほど落ち着いていた。私の遺伝子の半分に影響を与えた人間の実体を確認できたことに満足し「父を知らない私」から「父を知っている私」に変わった瞬間だった。不思議な達成感があった。
何を話したか全部は覚えていないけれど、限られた時間のなかで、私たちはお互いに似ているところを探した。話している内容そのものよりも、同じ空間にいることに喜びを感じていたような気もする。会う前のメールのやり取りでは、小説かドラマの脚本かと錯覚するくらい饒舌な文章を書いてきたくせに、私の前に座っているのは口下手で不器用そうな男だった。頻繁には会えない距離にいるからこそ、特別な時間に感じられた。こんなにも記憶が美化されていると知ったら、父はびっくりするかもしれない。
別れ際に私たちは握手をした。私が差し出した手に触れて、彼の硬い表情が一瞬壊れた。けれど私はすでに次の予定のことを考えていて、最後に何と彼に言葉をかけたかは覚えていない。父はその場に立ってしばらく私を見送っていた。少し泣いているように見えて、私は嬉しかった。
一緒に過ごした数時間、私は彼のことをあえて名前に「さん」付けで呼んでいた。会う前に私は「お父さんとは呼ばないでおこう」と決めていた。会ったからといって、私のなかに「お父さん」を形成させることは難しいと感じていたし、20年間父親らしいことを何一つしていない人間を父と認めるのは、納得できないと意地を張っていた。許していたつもりなのに、私はまだまだ人間だった。もう会うことがないとわかっていたら、あの日「お父さん」と呼べばよかったと思う。
せめて1回だけでも「お父さん」と呼んでいたら、この心がキュッとなる瞬間を味わわずに済んだのかもしれない。りんごの季節になって、クリスマスが過ぎても、福島のりんごは送られてこなかった。なぜ送れなかったのか、忘れていただけなのか、理由はわからない。年末に「今、宮城の山奥にいるんだ」と雪山の写真が届いた。そこで彼は何をしていたのだろう。母の言う通り、父は不思議な人だった。またりんごを送るからと言っていた気がするけれど、りんごはもう届かない。
父の人生は人に褒められるようなものじゃないかもしれない。でも、人が普通にできることが上手にできなかっただけで、ちょっと変わった生き方になっただけのことだ。家庭でも仕事でも失敗して、家族や周囲の人に迷惑をかけながらも、たくさん愛されてこの世を去った。あんなに悪口を言っていた母も、今は良い思い出を語る。20年会っていなかった一人娘からも憎まれず「イケオジ」の綺麗で楽しい記憶だけ残して旅立った。同じように生きたいとは思わないけれど、そんな人生でもいいのだと父は私に語りかける。
彼の存在は、間違いなく、私の人生を楽にしてくれている。まだ「お父さんありがとう」とは言えない。けれど、慣れない仕事で疲れきったとき、ふと父はどうしているだろうかと考える。「死者が生きている」というのはこういうことなのか。りんごはもう送られてこないけれど仕方ない、今日の仕事終わりに買って帰ろう。もうすぐりんごが美味しい季節だ。
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