或る旗の話
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記事:月村あゆみ(ライティング・ゼミ 通信限定コース)
夜勤明け、疲れた体で帰宅すると、近くの幼稚園から賑やかな声が聞こえてきた。
その声に引っ張られるようにベランダに立つと、校庭に揺れる万国旗が見える。
日本。あ、アメリカ。カナダ。韓国もあるな。
あの旗はあるだろうか。
オーストラリア。イギリス。フランス。中国。
私の視線は旗を一つ一つ辿り始める。
黒、白、緑の3色に染め分けられ、左側から赤い三角形が右側に突き出した旗を探しているのだ。
大学を出てすぐに就職した会社が合わず、逃げるように辞めた私は、ワーホリビザを取ってアメリカに行った。
特に目的があったわけではない。ただ、日本に居たくなかっただけだった。
アメリカでは、6月14日はフラッグデーといって、国旗を掲揚することの多い日だ。
かつては強制的に掲揚させていたようだが、自由主義の国のこと、強制するのはふさわしくないとして止めたらしい。
とはいえ、今でも掲揚する人はとても多い。というか、私のいたあたりでは、ほとんどの人が掲揚していたように記憶している。
そんなフラッグデーを前にしたある日、友人たちと大学の図書館で宿題をしていた時のこと。
それぞれの出身国の国旗の話題になった。
「4つある小さな星の頂点は全部大きな星の中心に向いてるのよ。人民が共産党の下に団結するって意味なのよね」と中国人のグレースが言えば、
「スペインから独立したときに、先祖が流した血を俺たちは忘れない……だから国旗にも赤が入っているのさ」とコロンビア人のマヌエルが言う。
みんながそれぞれに自国の国旗のトリビアを披露する中、唯一のアメリカ人大学生、サマーはゆっくりと言った。
「今はまだ、パレスチナには国旗というものがないのよ。パレスチナの旗ならあるんだけどね」
放課後、政治学部キャンパス内の図書館、通称ポリサイ・ライブラリーに集まって語学学校の宿題をしている私たちに話しかけてきたのが、サマーだった。
トイレに行きたいからちょっと荷物を見ていてくれない? という一言から始まったと記憶している。
宿題のトピックがちょうど政治に関する内容だったから、政治学を学ぶ大学生だった彼女に、宿題の手助けをしてもらって、その後も何度かポリサイ・ライブラリーで顔を合わせるうち、いつの間にか友達になっていたのだ。
「私が7歳の時に、ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区を家族で出てきたの。難民としてアメリカにたどり着いた時には、もう9歳になってたわ」
そう言うと、彼女は驚いている私たちを見て少し笑った。
「言ったこと、なかったわね。アメリカで知り合った人はみんな私をサマーと呼ぶけれど、私の本当の名前はサマ。サマは空という意味の、アラビア語よ」
パレスチナ問題。
日本においてその単語は、深刻な、でもどこか他人事のような声音で、口にされることが多い。
1947年の国連パレスチナ分裂決議をきっかけとし、70万ものパレスチナ難民を生んだこの問題は、ものすごく複雑で根深いものだ。本当にごくごく浅くかいつまんで言うと、イスラム教、キリスト教、そしてユダヤ教の聖地であるエルサレムという土地を巡り、イスラム教徒の多いパレスチナと、8割近くがユダヤ教徒のイスラエルが、イギリスやアメリカ、旧ソ連、アラブ各国など、多くの国を巻き込み、あるいは代理紛争のような形で、争いを続けてきたのである。
パレスチナ問題を語る時、宗教対立だとか、何千年も前からの因縁などと言われるのは、このためだ。
そして、それこそが、宗教色の弱い私たち日本人が、この問題を他人事のように感じてしまう原因でもある。
「パレスチナを出たとき、家族は10人いたわ。でも、祖父母と母と姉2人は、アメリカにたどり着けなかった。私といちばん仲のよかった2番目の姉はね、母と一緒に水を汲みに行った帰りに、レイプされて殺されたの。同じパレスチナ人、同じ難民に、難民キャンプの中でね」
サマー、いや、サマは淡々と語った。
「自治区で生まれ育った私は、いわゆる難民二世。生まれたときから難民だったから、国籍を持っていなかったの。アメリカにたどり着いて初めて、国籍とパスポートを与えてもらったってわけ」
私たちは誰も何も言えずに固まっていた。うなずいていいのかさえわからない。
「だけど、たとえ持っているパスポートがアメリカのものでも、アメリカ国籍でも。それでも、私はパレスチナ人よ。そして、そのことに誇りを持っている」
日本では、第二次世界大戦の敗戦後、高度経済成長を経て、すっかり戦争は過去のものと思っている人も多いように思う。
テレビのニュースで、パレスチナ問題とか、和平合意の破棄、空爆、なんて単語を聞いても、羽田空港から飛行機でたった15時間程度のところで、今まさに行われている戦闘の話をしているのだということにすら、気づかない人が多いのではないだろうか。
でも、今、この瞬間にも、戦禍を避けるため、生き延びるために、生まれた国から着の身着のまま逃げ出すしかない人々がたくさんいるのだ。
「パレスチナの旗の色には、それぞれ意味があるの。赤は血。黒は解放。緑は実り。そして、真ん中の白は……」
あの時、サマはまるで祈っているかのような口調で言った。
「白は、平和」
園庭に翻る万国旗の群れの中に、目当ての旗は見つからない。
諦め悪く3回見渡してそれでも見つけられず、ようやく諦めた私は、一つ大きなあくびをして、部屋の中に戻った。
***
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