ひとり旅という舞台で役者になる
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記事:もやし(ライティング・ゼミ平日コース)
「こんにちは。学生さんですか。就活の帰りかしら」
私は役者。ただ、劇場や映画などの舞台では演じていない。
私が演じるのはひとり旅という舞台だけだ。
私の母はいつも周りの目を気にしており、急に発狂することもしばしばあった。私は物心つく頃からそんな母をみていたため「わたしの友達もわたしのことをそんなふうに思っているのかも」と怯えるようになった。小学校に上がってからも、怖くて自分から話しかけることができず、いつも席で教科書を見ているか、校庭の誰もいない場所に一人で隠れていた。友達ができたとしても、その子が他のクラスメイトと話している姿をみて「わたしといるのが嫌だからそれを他の子に話しているんだ」と思い込んでしまっていた。
そんな引っ込み思案の私を変えたのは大学3年生のときだった。
当時の私は司馬遼太郎の作品が大好きで、とくに吉田松陰・高杉晋作を主人公とした「世に棲む日日」が一番のお気に入りだった。夏休みに彼らの生地である山口県萩市に行こうと思ったが、そこに興味のある人はまず私の周りにはいなかった。
「ひとりで行ってみよう」
はじめてのひとり旅を決意した。
萩は海と山に挟まれていて、当時の城下町がまだ面影を残している。東萩駅を降りて少し歩けば潮の香りが身体を包み、港と海が目の前に広がっている。東京にはない景色・街並みに心が喜んだ。
橋を渡り海に向かって路地に入るとその日の宿に到着した。玄関の引き戸を開けると玄関口から奥まで廊下が見えたが、電気がついていなくて薄暗かった。
「おかしいな。誰もいないのかな」
ごめんくださいと口をあけようとすると玄関口近くにあるふすまが勢いよく開いた。顔を出してきたのは60近くの男性だった。おそらく宿のご主人だろう。いきなり出てきたのもあり私は驚いてすぐに言葉が出なかった。
「なんだ、挨拶もないのか。宿泊か」
「はい」の一言しか言えなかった。
この宿は学生さんも合宿で利用するところで食事は10畳近くの和室が用意されている。脚の短い長いテーブルが縦に2つ、2列になって座布団が敷かれていた。この日の宿泊客は3人と聞いていたので、長いテーブル1つまるまる使える状況だった。ところが夕食の時間に部屋に入ると、1つのテーブルに3人分の食事が敷き詰められていた。最初に入ってきた私は表情を曇らせた。それを見た宿のご主人がやはり愛想のない声で言ってきた。
「今日のお客さんはみんな一人で来ているから、一緒に食べるほうがいいだろう」
私が席に着くと間もなくして40代のおじさん、20代の若い男性が入ってきた。
「ちょっと待って、女子ならともかく二人とも男の人じゃない。それに初めて来た場所で、全然知らない人に何話せって言うのよ」
私はあまり目を合わせず亀のように丸くなった。下を向いている私にご主人は炊き立てのご飯を入れた温かいおひつをテーブルにもってきた。
「なんだ、初めて会うんだからお互い何も知らないだろう。自己紹介でもすればいい」
この言葉を聞いて私は顔をあげた。
いま私の目の前にいる2人は私のことを何も知らない人達だ。だから私が話すのが苦手で暗い性格だということも知らない。
男性2人が席に座ったとき、私は丸くなった背中をピンと立てた。そして二人の目をみて自分から話し始めた。
「はじめまして!わたし司馬遼太郎が好きで、今回ここに始めてきたんです。明日市内を観光するのですが、お二人も観光で来られているのですか」
夕食は18時からだったが、気付けば20時頃まで話し込んでいた。
翌日からは萩城跡や博物館、幕末時代に活躍した長州藩士の生家を回っていた。ここではすれ違うだけでもみんな挨拶をしてくれた。最初は会釈だけだった私も、お昼頃には「こんにちは」と自分から挨拶をしていた。観光に来ている人たちも萩に興味のある人や同じ司馬遼太郎が好きという人もいたので、初対面でも自然に話せるようになっていた。
普段は人目を気にして何もせず黙っていた私だったが、ここには私を知っている人はいない。だから好きなように自分から話せるし振る舞うこともできる。まるで役者の気分だった。
最終日、宿のご主人が駅まで送ると車を出してくれた。最初の印象もあったのでしばらく沈黙が続いたが、駅についたときに私は「とても楽しかったです。また来ますね!」と笑顔いっぱいに伝えた。
私のはじめてのひとり旅をとても楽しい時間にしてくれたこと、そして何より普段と違う自分を魅せることができた感謝を伝えたかった。
ご主人は相変わらず仏頂面だったが「気をつけて帰りなさい」と言った声は優しかった気がした。
その後も私は毎年ひとりで旅するようになった。今日はどんな人に会えるだろう。こんな風に話したらどんな反応をするだろう。毎回違う舞台に立つたびに私はわくわくした。
今日も私はひとり旅の舞台にいる。場所はとある駅のホーム。登場人物は私と若い青年が一人。彼の横には大きなスーツケースがあり衣装カバーがぶら下がっていた。おそらくスーツだろう、ずっと携帯をいじっている。私はすこし緊張しつつも最初のセリフを言った。
「こんにちは。学生さんですか。就活の帰りかしら」
***
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