恋を終わらせる口紅
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記事:もも(ライティング・ゼミ 集中コース)
「じゃあ、帰るね」
小さい紙袋ひとつを手にして、わたしは言った。紙袋の中身がかちゃかちゃと音を立てる。部屋着。歯ブラシ。メイク落とし。
「うん」
部屋の奥から聞こえた小さな返事は、ドアが閉まる音でかき消された。
今日、わたしは彼と別れた。
*****
2014年。あの頃わたしはまだ大学生だった。そんなわたしの心を打った広告のコピーがある。当時かなり話題になったので、知っている方も多いだろう。
「試着室で思い出したら本気の恋だと思う」
尾形真理子さんが書いたこのコピーは、わたしの心にガツンと響いた。なにが響いたのか。キャッチーなフレーズ。場面を一瞬にして想像させる言葉選び。そして何より、試着室で好きな人のことを思いながら鏡を覗き込む気持ちへの理解。大多数の人の日常を、日常のままドラマティックな物語に変えてしまった、そんな印象だった。
わたしは1年間だけ大学の寮に住んでいた。そこでは先輩と後輩が2人1部屋で暮らすルールで、当時わたしも先輩と1部屋を共有していた。先輩とは特別仲が良い訳ではなかった。どちらかというと、むしろ悪かったかもしれない。しかし、そんな先輩が唯一一緒に行こうと誘ってくれた個展があった。尾形さんの個展である。
個展から部屋に帰りついたわたしは興奮していた。自分の期待以上に素晴らしかったからだ。尾形さんが書き下ろしたコピーや詩は、どれもわたし好みだった。そして、展示の仕方、作品の見せ方も工夫がちりばめられていて、素敵だった。「わたしもいつかあんな言葉を選べたらいいな」なんて、夢見てしまうほどだった。しかし、こうも思った。「やっぱりどの言葉より、あのコピーが好きだな」と。そう、試着室のコピーだ。
あれ以来、わたしの癖になっていることがある。試着室に入る度に、あのコピーを頭に浮かべることだ。しかし、意識して浮かべているのではない。試着室に入ると、自然と言葉が浮かんでくるのだ。そして、コピーを浮かべた時、鏡に映る自分にはっとすることがある。そう、恋をしている時である。「これ着たらかわいいって言ってくれるかな?」そんな恥ずかしいほど乙女な自分がそこにいることに気付かされるのだ。
*****
実は今日、口紅を買った。彼と会うことが決まっていたからだ。昨日の段階で彼とは別れることになっていて、今日は彼の家に置き忘れた荷物を取りに行く予定だった。お互い嫌いになったから別れる訳ではない。過ごしていく中で、お互いが大事にしていることの違いに気付いただけだ。そして、度重なる努力を持ってしても、その違いを乗り越えることは難しいと判断したからだ。それだけに、わたしはとても苦しかった。こんなことは初めてで、なんだかよく分からなかった。別れ話をした日、彼も「仕方がないことだと思わないといけないのかな」などと、ぶつぶつと口にしていた。
なぜ別れることが決まっている彼のために口紅を買ったのか。それはきっと、わたしの心の中にある素直な気持ちがそうさせたのだと思う。「やっぱり考え直そう」その単純な言葉が欲しかったからなのだと思う。その証拠に、デパートへ向かう途中、「最後くらい綺麗だと思ってもらおう。やっぱり手放したくないと思ってもらおう」と、そればかりが心に浮かんでいた。
買った口紅をつけたとき、わたしの心には不安と期待があった。まるで付き合う前のデートのように、自分がどう見えるかが気になった。彼との初めてのデートの時、試着室で彼を思いながら買った服を着て、そわそわしながら待ち合わせ場所に行った時の気持ちと同じだった。
結果として、冒頭に戻ってしまう訳なのだが、わたしの思いはひとかけらも届かなかった。なぜか。彼は一度もこちらを見なかったからだ。部屋に入ってからわたしが荷物を掻き集める間、彼は眉間にしわを寄せて、なにも言わずただただ床を見つめていた。一度も目が合わなかった。そしてわたしも、彼の目を見たら部屋から出ていけない自信があった。だから、彼を見つめることすら出来なかったのだ。
「なにも気にしていませんよ」と言わんばかりにさっと彼の部屋を出たわたしは、涙を流さないまま家に帰り着いた。悲しいことがあったのだと、自分自身に気付かせたくなかったのかもしれない。しかし、家に帰りついて洗面所で鏡を覗きこんだ時、初めてわたしの目から涙がこぼれた。彼のために買った新しい口紅をつけたわたしと目が合ったからだ。涙を流して鏡の前に立っている、このわたしが等身大のわたしだ。口紅が、それに気づかせてくれた。
彼を思って買った服があるように、彼を思って買った口紅があってもいい。新しい恋にときめく可愛らしい乙女心があるように、恋を終わらせるための切ない乙女心があってもいい。今泣きながらパソコンに向かうわたしだけが言えること、「これは本気の恋だった」。
次に自分を着飾る時。誰かのことを思って何かを買う時。わたしは誰を思っているのだろう。その頃には、勢いだけで書き上げたこの文章を恥ずかしくも懐かしく思っているのだろうか。それとも、すっかり忘れているのだろうか。どちらにせよ、自分の心だけは着飾らずに、気持ちに素直なわたしでいたい。
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