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メディアグランプリ

今日の値引きとあの日の女装


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:三城 詩朗(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
私は焦っていた。いったい、どうやって話を切り出せばいいのか。
数メートル後ろで、妻が事の成り行きを見守っている。
 
私は嫌でたまらなかった。どうしてこんなことをやらなくてはならないのか。カウンターを挟んで私と向かい合っている相手は、黙ってキーボードを叩いている。
 
私は思いついた。そうだ、エビデンスだ。エビデンスが必要だ。
椅子に座っている私は、相手から見えないように膝の間でスマートフォンを操作する。しかし検索ワードが良くなかったのか、私が探すエアコンの通販価格はなかなか出てこない。
そうこうしているうちに、相手のキーボード操作が止まった。何も思いつかない。とにかく言ってみるしかない。
「あのう、お値引き的なものはしていただけたりするんでしょうか……?」
家電量販店の店員さんに、私は恐る恐る言った。
 
先日、私は妻と一緒に家電量販店に出かけた。エアコンを買うためだ。
安めの機種を選んだのだが、工事費なども含めるとそれなりの金額になることが分かった。店員さんが示した金額を見て、
「けっこう高いんですねえ」と私はつぶやいた。
「家電量販店って、お願いしたら値引きしてくれるみたいだよ」店員さんが外した隙に、妻が小声で言う。
「そうなんだ。じゃあお願いしてみてよ」
「えー、私はそういうの苦手だから」
「俺だって苦手だよ」と私は言い返した。こういう汚れ仕事を私に押し付けるのが、妻のずるいところだ。
「ちょっと安くなったら、その分のお金でおいしいごはんを食べに行けるね」
と、妻は独り言なのか私に話しかけているのかわからない調子で言う。巧みに人をその気にさせようとする。これも妻の常套手段だ。
そんなやり取りを経て、私はエアコンの値引きを打診するという任務を押し付けられ、レジの前に座っていたのだった。
 
ふと思った。会社でも、取引先に値引きを打診するのはよくあることだ。仕事では全く苦にならないのに、仕事ではない値引き交渉が苦手なのはどうしてなんだろう。
 
お金に汚いやつだと思われたくないのだろうか。ちまちま値切るよりも、定価でスパーンと買う方がたしかにカッコいい。
仕事では会社の看板を背負っている。いわば、社長の名代として値引きを要求しているわけだ。しかし、個人で買い物をするときに会社の看板はない。素の自分、一個人として値引きを求めなくてはならない。その心細さが、値引きを打診するハードルを上げているのだろうか。
クーポンの類なら、私は何のためらいもなく渡すことができる。クーポンは確実に値引きを保証するものだからだ。一方で、値引き交渉は断られてしまう可能性がある。
また、決してその通りだとは思わないが、「お客様は神様です」という言葉がある。値引きしてくださいと言った瞬間に、自分が神様ではなくなってしまう気がする。それが嫌なのかもしれない。
ここまで考えて私は思った。結局のところ見栄なのではないか。自分を「落とす」のが怖いだけなのだ。
 
思えば、私は昔から自分を落とすことが苦手だった。
 
高校生活最後の文化祭。私は女性ものの浴衣姿で、ステージの袖で出番を待っていた。
同じく女装している4人のクラスメイトと一緒だ。同じクラスの女子が化粧をしてくれた私のまぶたは、黄緑色に塗られていた。
 
私が通っていた高校の文化祭には、「Mr.レディ」なる名物イベントがあった。女装した男子生徒が歌って踊る催し物である。
ステージの袖に並んだ私たち男子5人の見た目は、控えめに言って気持ち悪かった。そして女装した男子たちがステージ裏に集合している様子は、アフリカあたりにいそうな極彩色の鳥たちがごちゃまぜに集められているような、目が痛くなりそうな光景だった。
私は嫌でたまらなかった。どうしてこんなことをやらなければならないのか。
ステージ前には大勢の生徒が集まっている。ステージに面した校舎の窓から、数えきれない顔がこちらを覗いていた。今から、この観衆の前で女装姿と踊りを披露するのだ。顔から火が出るとはこのことだった。
 
それまで私は、こういうイベントとは縁遠いキャラクターだった。
真面目でバカ騒ぎをせず、勉強もスポーツもそれなりにこなす。そんな自分はちょっとイケてるのではないかとひそかに自負していた。もっとも、一切モテたためしはなかったので、今思えば勘違いもはなはだしいのだが。
ともかく、3年間の高校生活で築いてきた真面目なキャラはまもなく崩壊しようとしていた。明日からどんな顔をして学校で過ごせばいいのだろう。クラスメイトの圧力に負けて「出るよ」と言ってしまった数ヶ月前の自分が恨めしかった。
 
司会の女子生徒に促され、私たち5人はステージの中央に移動して一礼した。
曲のイントロが流れ始める。ジッタリン・ジンの「夏祭り」だ。もうやるしかない。私たちは、家族の目を盗んでこっそり自宅で、あるいは校舎の空き教室で練習してきた踊りを全力で披露した。
 
約2分間の出番はあっという間に終わった。
私の心配をよそに、次の日からの高校生活は以前とさほど変わらなかった。クラスの女子の反応も悪くなかった。むしろそれまでよりもフレンドリーになった気がした。
ついでに、その時期私のクラスに教育実習に来ていたキレイな女子大生の先生も、「きみって実は面白い子だったんだね」と声をかけてくれた。悪くない気分だった。
なあんだ、と私は思った。やってみるもんだなあ、と。17歳の私は、自分を落として得られるものがあることを知った。そして、自分では落ちている気がしても、周りから見たら大して落ちていないこともあるということを。
 
文化祭での女装から20年近く経ったあと。
恐る恐るエアコンの値引きを打診した私に、店員さんは「お値引きですね。いいですよ」と事もなげに言った。私は拍子抜けした。
店員さんはポチポチとキーボードを叩き、「5千円お引きできますけどどうでしょう?」と言った。
思わず「はい、お願いします」と即答した。なあんだ、と私は思った。
 
5千円の値引きの一部は、デパ地下のお弁当に化けた。帰宅して弁当をほおばりながら、私は「おいしいね」と言った。
「値引きしてもらえてよかったね。とりあえず言ってみるもんだねえ」と妻。
人に押し付けておいてよく言うよ。私は思った。
でも、妻の言うとおりだ。私が勇気を出して得た今日の値引きは、あの日の女装と同じだった。自分を落とすようで気が進まないことを、とりあえずやってみるのも悪くない。
私はそう思いながら、妻につられてにっこりして「そうだね」と言った。
 
 
 
 
***

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2020-11-29 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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