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フィクションのはずなのに、私たちのかつての恋を追体験させるような恐ろしい本

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記事:東ゆか(リーディング・ライティング講座)
 
 
私にとっての極上恋愛小説を挙げるとするなら、谷崎潤一郎の『春琴抄』だと思う。自分がなし得ない愛情表現に、ずっと惹かれ続けている。
 
マイベスト恋愛ムービーを挙げるとすれば『ビフォア・サンライズ』だ。美男美女がヨーロッパの長距離列車の中で意気投合し、プラハの街で一晩を過ごし、半年後にこの地で再開する約束をして別れる。まさに映画の中でしか起こらないシチュエーションに夢を見てしまう。
 
人類は紀元前から恋愛コンテンツが大好きだ。恋というのは誰でも抱く感情だからこそ、映画や小説の中では、それがどんどんロマンチックに色付けされていく。シチュエーションの色付け。行動の色付け。人物の色付け。
 
今しがた一冊の恋愛小説を読み終えた私は、とんでもない虚脱感に襲われていて、この文章を苦しいぐらいの動悸の中で書いている。深呼吸してみたが、今度は体のこわばりが気になってしまった。文字を打つ手が少し震えている。
 
「とんでもない本を読んでしまった」
 
と読み終えて、本を閉じたときに思った。
 
「とんでもない」気配というのは小説が始まったときから漂っていた。
 
しかし「いやそんなはずはない」と言い聞かせた。
 
「だってこれは小説なのだ。みんなが好きな『恋愛』というものに、お砂糖やスパイスやいろんなものをほどこして、万人の理想にしたはずのものなのだから」
 
「本物とは違う。私の恋なんかじゃない」
 
そんなふうに言い聞かせながら読み進めていく。
 
『三度目の恋』(川上弘美・中央公論新社)は、梨子の恋の物語だ。自分の至高の存在でもあり、どんな女をも虜にする夫であるナーちゃんと、幼いときから安らぎを与えてくれる存在だった高岡。梨子はその二人と夢の中で恋をしていく。
 
夢の中、はてどんな夢か、というところは私が心の中で「キャー」と感激の悲鳴を上げたポイントなのであえて控えておきたい。日本の古典文学が好きな方は身をよじらせて喜ぶのではないだろうか。
 
梨子は幼い頃から父の友人であるナーちゃんに淡い恋心を抱いていた。すんなりとまるでそれが自然かのように初恋を実らせてナーちゃんと結婚することになる。なんともロマンチックな展開と、川上弘美さんの柔らかい文体が、恋物語にお砂糖とスパイスをかけている。「そうそう恋物語ってこういう現実離れした、ちょっと甘すぎるぐらいが嬉しいんだよね」なんて読み進めているのだが、ところどころ息を飲んでしまう箇所がある。お砂糖やスパイスではない、知っている味が紛れているからだ。お砂糖やスパイスがかかっていない、もっとリアルな味だ。
 
本文の柔らかく、もったりとした古風な文体はちょっと浮世離れしている感じがするのに、その中にふいに立ち上る梨子の生々しい感情には私にとって強烈に覚えのあるものだった。そうすると梨子の恋がまるで自分の恋のように思えてしまう。苦しいし、恥ずかしいのだ。
 
はじめは、透明で明るく、心地よい湿気を含んだ春先の空気のようだった梨子のナーちゃんへ対する感情も、ナーちゃんの裏切りを経験するごとにどんどん色を帯びていき、春先の空気とはまた違ったじっとりとした湿り気を帯びてくる。
 
清く淡い想いだった恋が、気がつくとそうではない、単に苦しく悲しいものになっていることは誰にでも経験があることだろう。あの日の私の恋と本の中での梨子の恋が重なってくるのだ。
 
そんな私と同じ体験を梨子も夢の中でする。夢の中で追体験をするうちに、これまで特別な存在だと思っていたナーちゃんと、高岡に対する思いにも変化が生まれてくる。そうするとまた読み手の私のかつての恋に対する思いも変わってくる。
 
本書の中で語られる梨子の感情が、私の中に入ってきて、私が現在やかつて持っていた感情を呼び覚まし、増幅させるのだ。
 
お砂糖とスパイスがかかっているはずの恋物語が、そんなことをするはずがないと思っていた私には戸惑いが生まれる。だから私は「とんでもない小説だ」とか「そんなはずはない」と思ったのだ。
 
本書は川上弘美さんが、本書に登場する歴史上のある人物がどのような人間だったかを掴めず、自分で理解するために書き始めたということだった。多少古典文学に興味のある人なら誰でも知っている彼が、実際にどんな人物だったかということに、私もとても興味があった。以前少しだけ調べてみたときに、その古典文学で描かれている彼のエピソードなどは史実と変わりがないということを知った。これが源氏物語のようなフィクションならいざ知らず、ほとんどが史実だとはと驚き、かえって彼がどんな人物だったのかが分からなくなってしまったことを覚えている。
 
梨子の抱く感情は、私が確かに知っている恋の感情でもあるように思える。ということは、梨子の夢の中の彼との恋も、現代に生きる私達と変わりのないものではないのだろうか。今まで著者同様に、人物像を思い描きれていなかった歴史上の彼の像が、たしかにはっきりと浮かんできた。
 
しかしそんなことは恋愛物語を読んだときの、ありきたりなつまらない感想に過ぎない。そんなことは分かっているのだけれど、川上弘美さんの浮世離れした雰囲気の文体の中で語られる、生々しい感情や感覚におおいに当てられてしまったのだ。
 
かつて大いに恋で胸を焦がした経験のある人。
そしてその経験を消化しきれずに今でも胸に抱えている人。
 
そんな人たち——ほとんど誰もがそんな経験があるのではないだろうか——に読んでいただきたい。そして、私のように苦しさでのたうち回って欲しい。
 
 
 
 
***
 
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2020-11-29 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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