パニック障害の僕なりの克服法は「体外離脱」だった
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記事:安藤英裕(ライティング・ゼミ集中コース)
「なんで目つぶってるの? いい眺めだよ。ちゃんと見なきゃ」
「寝不足で眠いんだよね」
入社5年目、会社の慰労会。
同僚と、静岡県は久能山東照宮、
徳川家康公のお墓を目指して日本平ロープウェイに乗っていた時の会話だ。
寝不足といったのは僕。僕は、ウソをついた。
コワいのだ、ロープウェイが。たまらなくコワい!
なんとか心を落ち着かせて乗り込んだまではよかったが、
向かいから戻ってくるゴンドラを見て、一気に恐怖が全身を包んだ。
当たり前だが、ゴンドラはロープに引っ掛かるように移動する。
だから、ロープウェイ。
だからこそ、ゴンドラの床、ぼくの足の下、
何十センチかの鉄板の先は空中ということになる。
真下は空中……。
その当たり前すぎる事実を、向かいから来るゴンドラに改めて突き付けられ、
自分がパニック障害であることを呪った。
僕がパニック障害になったのは、入社2年目、夏も終わりかけた海での出来事だった。
中古で買った車で毎週末、海へ出かけていた頃だった。
「そんなに海に行くなら」と勧められたのが、ウィンドサーフィンだった。
風を帆で受け、ボードの上に立って水面を滑走するマリンスポーツ。
慣れてくるほどに強い風を求め、スピードを追求するようになる。
スルスルスルッ!
帆でしっかりと風をつかむとボードは海面から浮き、摩擦が極端に減る。
まるで氷がステンレス製キッチンの上を滑るような感じだ。
それが病みつきとなり、僕は毎週末になると一人で出かけて練習に打ち込んだ。
ある日、サーファーたちの声を耳にした。
「台風が近付いてるから、午後からいい風が吹くよ」
確かに天気予報でも同じことを言っていた。
まだ決してうまくなったワケでもないが、
そのいい風を試してみたいと、僕も午後、海に出た。
本当にいい風が吹いていた。というよりも、僕には強すぎた。
帆ごと身体を持っていかれるばかりで、何度となく海面に身体を叩きつけられた。
そして気付けば……、沖合にポツンと一人。
沖に浮かぶブイのロープにボードが絡みつき、岸へ戻れなくなっていた。
何時間、そうしていただろう。
夕暮れ近くになり、台風の影響か空には黒い雲が近付いて、どんどん暗くなった。
波も高くなり途方に暮れていた時、
双眼鏡で偶然、僕を見つけたライフセーバーに助けてもらった。
身体は無料で、ボードと帆は5000円を支払って。
「人以外は有料なんで」
当たり前のように言うライフセーバーにびしょ濡れのまま、5000円札を渡した。
しばらくは、笑い話にしていた。
5000円なんて! と勝手に腹が立つこともあった。
いつもと同じはずだった。
でも。
ある異変が起きていた。
あの日以来、なぜかエレベーターに乗るのがコワくなった。
仕事場はビルの4階にあったが、そこまでのエレベーターに耐えられなかった。
「この僕が……?」
信じられなかった。
なぜなら、学生時代、渋谷パルコでエレーベーターボーイのアルバイトをしていたから。
正しい表現かどうかは分からないが、僕は相当な「エレベーター乗り」で、
過酷なシフトの中、エレベーター酔いするほど乗り回していたから。
白い手袋に丸い菓子箱のような帽子をちょこんと頭に乗せ、
列車の車掌さんのような声で「上へ参ります」と気取っていたから……。
そんな僕が、コワくてコワくて乗ることができなくなっていた。
だから、同僚には「健康のために」とウソをついて階段で上り下りをした。
「狭い所や高い所に入ると、パニックになっちゃう」
当時は、まだ「パニック障害」という言葉を聞いたことがなくて、
自分がどういう状態なのかよく掴めなかった。
ただ、それまで毎年、北海道へのスキー旅行で乗っていた飛行機では息が荒くなり、
脂汗をかき、上空で扉を開けて外に飛び出したくなる衝動にかられた。
観覧車もロープウェイもダメ。
学生時代は、一緒に乗った友人がコワがる姿を笑っていたのに……。
大声を上げたくなるほどの恐怖が襲い、吐き気がした。
沖に浮かんでいた時、さほど死への恐怖を感じてはいないはずだったが、
どうやら心の奥底には、その恐怖が刻み込まれていた。
ついには「パニックになったらどうしよう」という恐怖心で
街を歩いている時でさえ、心臓の鼓動は高鳴り、脂汗をかき、
逃げ場を求めて目が泳ぐ始末だった。
さすがにこのままではヤバいと、自分でも分かってはいたが病院へは行けなかった。
もし、「精神に異常アリ」と診断されたら会社人生に支障をきたすのでは……。
そう思ってどこにも相談できなかった。
そんな状況が3年ほど続いただろうか。
そうした症状は、ひょんなきっかけで軽減した。
テレビで観たアメリカ・サンフランシスコに住むある人の体験談だった。
その人は、街に架かる大きな橋「ゴールデン・ゲート・ブリッジ」がコワくて
どうしても渡れなかった。
それでも渡れるようになりたいと、自分にある暗示をかけた。
「自分の死に際は、自分で決める」
橋を渡る時、「死ぬかもしれない」「落ちるかもしれない」そう思うから渡れないのだ。
だったら、自分の死ぬタイミングを自分で決めれば、そんな不安は解消されると。
結果、見事に橋を渡り切ることができたと言う話だった。
確かに自分もそうだった。
エレベーターに乗れば「停まって出られなくなってしまったらどうしよう」と考え、
飛行機や観覧車に乗れば「落ちてしまったらどうしよう」などと死を感じた。
ならば、橋を渡り切った人と同じように考えてやろう。
「自分の死に際は、自分で決める」そう言い聞かせることにした。
そしてもう一つ、あることも試してみた。
「体外離脱」
霊魂が身体を抜け出すというアレ。
もちろん、そんな技術は持ち合わせていないので、
そんな感じになるようにエレベーターでは全身の力を抜き、
さも魂が抜け出して自分自身を真上から見下ろすような感覚を持つことに努めた。
すると、当たり前のことに気付くのだ。
エレベーターや観覧車、飛行機の同乗者は、
脂汗をかかなければ、パニックであたふたする人なんて誰もいないことを。
むしろ、喜んで窓の外を楽しむ人がいるくらいだ。
冷静に周りを見回すことができると、これまでの精神状態はなんだったのだろうと、
いつしか鼓動の高鳴りも脂汗も引いていた。
以来、エレベーターも飛行機も大丈夫。
時折、不安になることはあるが、なんとか自分をコントロールできている。
それを知ってから、この自分流「体外離脱」を応用して使っている。
誰かとケンカした時、仕事で無理難題を押し付けられた時などなど。
俯瞰して自分自身を見下ろすと、
「そんなに怒ることだったのか」「さほど難しい仕事ではないかも」
そんな気付きにつながることがある。
「怪我の功名」とでも言うのだろうか。そうした視点に気付けたことは大きな収穫だった。
ただ。あれだけはダメだ。
ロープウェイ。
どうしても、床の鉄板数十センチ先の空中が頭に浮かぶから。
今だに脂汗が止まらない……。
***
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