開かない瞼
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:澤村 貴子(ライティング・ゼミ 日曜コース)
私はひとりっ子のせいか、一人で過ごすことが好きな方だと思う。あまり、淋しがりでもないと思う。十二分に大人になってからではあるが、一人暮らしをしていた時も、一度もホームシックにもかからず、いいのか悪いのか、気ままな一人暮らしを何年たっても楽しめるタイプだった。
父もひとりっ子で、私は父方の祖母にとって1人孫だった。そのせいか、祖母には小さい頃からとても可愛がってもらった。祖母に頼んで、ダメだと言われることはなかった気がするし、実際、なんでも叶えてくれるので子供ながらに遠慮していたくらいの無限の愛情だった。愛情だけでなく、大きくなってからは、ピアノを買う、歯列矯正をする、成人式の着物などのまとまったお金が必要な時は、喜んで出資もしてくれた。このピアノはおばあちゃんが買ってくれたのよと母から言われた時の、満足げな表情の祖母の顔を覚えている。
祖母は大正末期の生まれで、女手1人で、今で言う臨時労働者、便利屋のような仕事をして、父を育て上げた。高知の山奥の集落で90歳まで1人暮らしをしていた。大病もせず、世話好きだった祖母は80代でも、周りのご老人の身の回りの心配をし、お世話をしていた。一度だけ誘われて行ったデイサービスは、あんな子供騙しのような遊びのためにお金を払うなんて信じられないと言っていた。今まで色々な人のお世話をしてきた自分が、誰かのお世話になるなど、89歳でも考えられなかったのだと思う。
そんな祖母が90を超えると急に、淋しいと言い、近所に住む親族を夜中に呼び出すようになった。父が15歳で家を出てから、50年以上一人暮らしをしてきた祖母が、だ。今まで淋しい気持ちや不安を訴えたことはなく、そもそも弱音を吐く事も一度もなかったので、180度振り切った突然の変化に周りが戸惑った。
だが、その後も真夜中ですら、そばにいて欲しいと発狂に近い形で言い出す事が何度かあり、これ以上対応できかねると親族が連絡をしてきた。
急いで父は駆けつけ、親族と話した結果、そのまま祖母を京都の家に連れて帰る事になった。これで1人にならずに済むと、祖母は喜んで京都にやって来た。故郷の集落と自分の家を、1週間も離れたことがなかったのに。
しばらく、我家にいたのだが、夜中だけでなく、昼間も1人に耐えられず、24時間そばについていなければならなくなり、働く両親が側にいることは限界になった。結局、色々な人たちも含めた話し合いの末、介護付きの施設に入ることになった。この時も祖母は、これで1人にならずにすむのならと喜んで入っていった。
だが、1人部屋の施設で目が覚めるとまた淋しい、眠れないと言い、施設の人を困らせ、父はよく呼び出されていた。そんなやりとりを何度も、何年もした後、祖母の希望もあり、睡眠導入剤入りの安定剤が処方されるようになった。
それからの祖母は、驚くほど眠るようになった。いつ訪ねても眠っていて、昼間なので起こすと寝ぼけているせいか、まともな会話ができなくなっていった。話せたとしても、故郷の自分の家に帰りたい、最後に一度だけでもいいから帰りたいと言っていたが、片道10時間以上の長旅に耐えられる体力はもう祖母にはなくなっていた。
やがて、トイレに行こうとして転んで骨折をし、歩けなくなり、インフルエンザにかかり、体重が30キロくらいになった。少しずつ、ほんの少しずつ、生活の全てに介護が必要になっていった。ご飯は口から食べていたが、目を瞑って食べさせてもらっていた。どれだけ呼びかけても、いつも寝ていて、それこそ瞼を引っ張っても、絶対目を開けてくれなくなった。まるで、故郷から連れ出した私達を拒むかのように、祖母は目を開けてくれなかった。見えるはずの目を、頑なに閉じた生活が、数年続き、令和になったすぐの6月、祖母が息を引き取ったと施設から電話が入った。老衰だった。100年近い生涯で手術をした事は白内障の一度だけ、例の睡眠導入剤以外は、軽い血圧の薬しか飲んでいなかった。
健康に気をつけ、しっかり働き、生活に困らないお金を残し、住み慣れた土地で親族と仲良く暮らした。それでも、想定外の事態は、いくつになっても起こり得る。人は決して自分1人では、生きることも死ぬこともできないと、これから1人で生きていくことになろう私に、時間をかけて祖母は教えてくれた。
明けない夜はないと言われるが、祖母は最期まで瞼を閉じた暗闇の中にいた。開かない瞼は、最後に思い通りにいかない人生を過ごすことになった悔しさだったのかもしれない。
でも、本当は、どんな深い教えより、最後にもう一度だけでいいから、目を見て喋りたかった。私に無限の愛を注いでくれたあの優しい瞳の祖母の目が見たかった。
***
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
お問い合わせ
■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム
■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。
■天狼院書店「東京天狼院」
〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
TEL:03-6914-3618/FAX:03-6914-0168
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
*定休日:木曜日(イベント時臨時営業)
■天狼院書店「福岡天狼院」
〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
■天狼院書店「京都天狼院」
〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00
■天狼院書店「Esola池袋店 STYLE for Biz」
〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-12-1 Esola池袋2F
営業時間:10:30〜21:30
TEL:03-6914-0167/FAX:03-6914-0168
■天狼院書店「プレイアトレ土浦店」
〒300-0035 茨城県土浦市有明町1-30 プレイアトレ土浦2F
営業時間:9:00~22:00
TEL:029-897-3325
■天狼院書店「シアターカフェ天狼院」
〒170-0013 東京都豊島区東池袋1丁目8-1 WACCA池袋 4F
営業時間:
平日 11:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
電話:03−6812−1984