わが青春の記憶 ~五木寛之と現代小説への回帰録~
*この記事は、「リーディング・ライティング講座」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:森下暢子(リーディング・ライティングゼミ受講)
「よっしー、この本読んでみない?」
この言葉とともに、20年ぶりに、私はある本を思い出した。
大学時代、私は同じ学科の同級生と、時折本の貸し借りをしていたことがあった。
何がきっかけだったかは忘れてしまったが、多分趣味の話でもしていたのだろう。
たわいのない雑談の延長線から、いつの間にか、お互いの好きな本を紹介し合うことになった。
「これ、良かったら読んでみて」
「ありがとう」
こうして交わされた初めての一冊が、この「晴れた日には鏡を忘れて」だった。
小学生時代、私は全校で一番たくさん本を読んでいた。
1000人規模の学校で、毎年年度末には表彰状をもらえるのが嬉しくて、
休み時間に暇さえあれば図書室に通っていたのを覚えている。
椋鳩十氏、たくさんのふしぎ、ひみつシリーズは、中でも私のお気に入りだった。
そんな私は、中学に上がると途端に読書をするペースが遅くなった。
夏目漱石、川端康成、太宰治‥‥‥文豪と呼ばれる作家の本が、
教室や図書室の本棚に並んでいる。
かつて学校一の読書量を誇った自分は、「読まなくては……」という気持ちはある。
本が決して嫌いなわけでもない。
しかし、児童書に慣れていた自分は、挿絵のない文庫本が活字の厚い壁となって立ちはだかった。
江戸川乱歩の本だけは、きっちり全巻読み通したが、いつの間にか文庫の「小説」というものから、遠ざかっていく自分がいた。
高校からは、心理学、教育学‥‥‥など、実用書を手にすることが多くなった。
中のよい知人から、流行りの詩集やエッセイを借りることはあったが、
昔ながらの「小説」というものには、どうしても手を付けることができずにいた。
児童書の壁から、自分はなかなか抜けることができなかったのである。
さて、話を戻したい。
私に本を貸してくれた同級生は、どこか育ちの良さを感じさせる男子だった。
中学高校は、県内有数の私立の難関校を卒業し、
単発黒髪に色白の肌。ウサギやリスのように透き通った目、
芸能人でいえば沢村一樹のような、少し彫りの深い端正な顔立ちをしていた。
甘いマスクというのは、多分彼のような人のことを指すのだろう。
柔道もできて、ジャズも聴く。
本も好きで、誰に対しても物腰も柔らかい。
「文化的な香りがする」
そんな彼から少し緊張して受け取った本を、帰りのバスの中で読んでみた。
作者の五木寛之氏の名前は知っていた。
しかし、本を手にするのは初めてだった。
文学好きな母方の叔父の家の書斎にも、たくさん五木氏の本が並んでいたのを思い出し、
「社会的な題材の読み物が多そうだ」
「何だか難しそう」
「読むのは時間がかかりそうだ」
という先入観すらあった。
しかし、意外と読めるものだ。
「久しぶりの小説、悪くはないものだな‥‥‥」
とページをめくるうち、ある描写に目が留まった。
「太くて不潔な指」
「その指の関節に生えているくろぐろとした毛」
「のびた爪のあいだにたまったまっ黒い垢」
主人公の女性が勤めている旅館のバスの運転手の姿だ。
数ページ後、その運転手は主人公の女性のセーターへと手をかけた。
そして、その手は脚の内側にも伸びた。
「彼の指が露骨に動いた」
その一文の後、私は思わず顔をあげた。
決して官能小説ではない。
しかし、その一連の描写が、大学生になりたての私には、とても衝撃だったのだ。
同時に、自分がまだ幼いような気がしてならなかった。
男女の交わりがある話も、これまで読んだことはある。
しかし、官能的な表現がちりばめられているこの読み物を、
自分の同級生はどのような思いで読んでいるのか。
想像をしただけで、不思議な衝撃が頭から胸へと駆け巡った。
身近な人物が間接的に見聞きしている世界を体験することは、
これほどリアルなものなのだ。
五木氏の描写が、想像力を膨らませるのに拍車をかけたことは間違いないが、
私にとって五木氏との出会い、そして久しぶりの小説との出会いはここから始まった。
あらすじはまったく覚えていなかったが、「五木寛之」という人物に関心がわいたこと、
そして長らく超えることのできなかった児童書の壁を乗り越えて、
現代小説をたくさん読むようになったのは、この本の一番の思い出だ。
20年後の今、私は再びこの本を読みなおしている。
当時は、同級生がどんな気持ちでこのページをめくっていたのか、
そのことばかりが印象深かったが、
今は話の内容が追えるようになった。
生まれたときから顔の醜い女性が、外科医師の元で名前も姿も変えて、
誰もが目を止めてしまうような美しい人に生まれ変わる。
「自分が選んだ容貌をもって」生きてゆくことになった主人公。
「もしも仮に、容貌というものが気軽に貸し借りできるものだったら、わたしはどんなにうれしかっただろう」
「人間は自分より劣った相手を愛するものです。そうでなければ、手の届かないほどかけ離れた存在にあこがれます」
「外見に自信のある人間は、ゆったりと余裕をもって他に接することができます」
醜い顔と新しい顔、双方の生き方を体感した主人公の生き方から、
人は容貌で人生の方向性が決まるのではないか。
普段自分が生きている世界はなぜこのように作られているのか、
そのような気持ちにもなるように感じる。
「人は不平等」
物語の後半に出てくるこの言葉は、20年経った今、不思議と自分事のように、
現実味を帯びてくる一言だ。
***
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