おでん屋さんの鈴の音は復活の合図
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:佐藤ゆり(ライティング・ゼミ日曜コース)
ちりん ちりん ちりん♪
「あ! お母さん来たよ、来たよ!」
私は昭和生まれだ。子供の頃は、屋台を引いて色んなものが売りにきていた。
水飴、焼き芋、そしておでん。
鈴の音が合図だ。
遠くから鈴の音が近づいてくるのが聞こえると、慌てて二階に上がった。
そして、窓から顔を覗かせる。
「おかあさん、来たよ、来たよ!」
「まだ、早いわよ〜。必ず来るから大丈夫よ」
その鈴の音が聞こえてくると、とてもワクワクしたのを覚えている。
なんのことはない、ただのおでんなのに。
今考えると、どうしてそんなにワクワクしたのか分からない。
この感覚、例えるなら「大好きなTV番組が始まる前のワクワク」そんな感じだ。
伝わるだろうか。
平成生まれは、なんのことだか分からないだろう。
おでんなんて、コンビニに行けばいつでも食べられる。
スーパーでは、パウチされたおでんセットが売られていて、冷蔵庫にストックしておくことだってできる。
とても便利な世の中になったと思う。
その屋台のおでん屋さん、何曜日に来ていたのか全く覚えていない。
というかルーティンで来ていたのかも分からない。
好きな番組の予定だって、なかなか覚えられない私なので、
この神出鬼没な(と勝手に私は思っているが)おでん屋さんは昼間に来ていた。
としか記憶していない。
一人でお皿を抱えて道に買いに出ていたんだから、多分、小学校には通っているくらいの年頃にはなっていたのだろう。
私は体力はあったが、子供の頃からよく風邪をひいた。
矛盾しているように聞こえるが、マラソンや水泳等、長時間の運動には平均以上に強い。
だが、風邪にはめっぽう弱い。
シーズンに2〜3回は風邪を引く。自信を持って言える。よく風邪を引く。
子の看病と昼食の面倒、と言う負荷が母にかかる。
食欲が回復して来た頃、お腹に優しい食べ物として冬の温かいおでんは、
うってつけの食べ物だったのだった。
おでんの人気の具は、滲みしみ大根、たまご、こんにゃくの順だそうだ。
私の好物は、ちくわぶ、昆布、じゃが芋の順だ。
どれも、ベスト10にも入っていない。
じゃが芋は、おでん屋さんにも売っていない。
また、いつものおでん屋さんが来た。
ちりん ちりん ちりん♪
「お母さん、おでん屋さん来たよ!」
「しぃ〜! 今日はいいの!」
我が家は8人の大家族だった。
おでん屋さんにとっては上客だ。
だが、いくら安いと言っても全員の胃袋を満たすには、かなりの量が必要になる。
そうしょっちゅう、おでんを買うわけにはいかないのだ。
「えぇー。おでん……」
おでん屋さんは、いつもより長くうちの前で鈴を鳴らしてた。
ちりん ちりん ちりん♪
「ほらお嬢ちゃん来たよ! 早くおいで!」と私には聞こえた。
ちりん ちりん ちりん♪
心なしかいつもより大きく聞こえる。
誰も買いに出ない。
もう我が家からは買いに出てこないと悟ったのか、鈴の音はゆっくり遠のいていった。
ちりん ちりん ちりん♪
「早く来ないと、行っちゃうよー」と言ってるように聞こえた。
なんだか、とても申し訳ない気持ちになった。
別に約束もしてないのに。
いつの間にか、おでんはコンビニで買うのが世の主流になってた。
もうすっかり、屋台のおでん屋さんのことなんて忘れていた。
もちろん、おでんを見てもワクワクしなくなっていた。
私は結婚して、双子を産んで、ワンオペ育児で苦しんでいた。
寝る間もない育児と家事で、よく体を壊した。
母は、たびたび私と子供の面倒を見に来てくれ、
色々とご飯を作ってくれた。沢山の小言と共に。
その頃の私は、言いようのない闇の中を漂って生きてる気分だった。
頑張っても報われない、苦しくて、もがきながら、ただ生きる。
「なんとか子供を育てないと」
使命とも義務とも言える感覚。逃げ出したくても逃げられない苦しみ。
可愛い双子。だが、幸せを感じる余裕なんて、全くなかった。
ある冬の始まりの日に、私はまた倒れた。
母がいつものようにご飯を作りに来てくれた。
「今日はおでんにしましょ」
おでん?
鍋じゃなくて、おでん?!
大人になった私は、体を温めるには鍋が定番だと思うようになってた。
「おでんかぁ。スーパーのパウチでいいんだけどな」
文句を言おうものなら、母娘の戦いが勃発する。
母も表向きはとてもいい人だ。その実、腹のうちでは文句と愚痴が渦巻く人なのだ。
私は病み上がりなので、戦闘意欲は削がれていた。
大人しく見守ることにした。
「大根でしょ、こんにゃくでしょ、はんぺんに、昆布、じゃがいもでしょ」
「え?! じゃがいも?! それ、おでん?!」
いやいや、静観、静観。
昆布と追い鰹でしっかり出汁をとって、すごくいい香りがしてきた。
出来上がったのは、透明の出汁に、ガッツリ味を吸った具たちだ。
びっくりした!
心底びっくりした。
母の手作りのおでんを食べたのは、後にも先にもこの時が初めてだった。
コンビニのおでんより、パウチのおでんより、あの屋台のおでんより、
10倍美味しかった。
涙がでた。
あまりの美味しさのせいなのか、何の涙か分からないが、泣けた。
母の手料理は、張り詰めている心を緩ませる。
心も体も介抱されて、また頑張れた。
それから10年、私は相変わらず風邪を引いている。
そして布団から出られるようになったら、ごはんを作る。
「さて、そろそろおでんを作るかな」
何度となく試したが、母のあの味には程遠い。
子供が風邪を引いたら、「よし、おでんだ!」
私の作るおでんは、まだまだ母の味には届かない。
それでも、病み上がりの家族の胃袋を温める。
きっと、心も内側からそっと温めているだろう。
あの時の私が、味わったように。
今、鈴の音はしないけど、
あの頃、屋台のおでん屋さんにワクワクしたのは何故か気付いた。
元気が戻った子供の私は、外に出たくてうずうずした。
これからの自分の人生にワクワクした。
おでん屋さんの鈴の音は、復活の合図の音に聞こえてたのだ。
***
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