メディアグランプリ

インクが伝えるものは「ことば」だけではない。


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記事:棚橋 愛(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「インク沼」というワードがあるのをご存じだろうか。
これは、万年筆に使うインクの魅力に憑りつかれた人たちを指すものだ。
数年前から始まったインクのブームで、沼地にはまる人は増え続ける一方だ。
 
なぜ、万年筆インクには人の心を捉えて離さないのだろうか。
それは、伝えるものが「ことば」だけにとどまらないからだ。
 
ボールペンやサインペンといった筆記具と違い、万年筆のインクは色の濃淡が出やすい特性があるのでペンを持つ手の力加減や字を書くスピードがよく表れる。
同じ万年筆、同じインクを使っていても豪快な性格の人が書いた文字は濃くはっきりとした筆跡だが、繊細な心の持ち主が書いたときは淡くやわらかい線になる。また、同じ人でもその時の心理状態によって筆跡に違いが出ることもある。
このようにして、インクは「ことば」だけでなく「人の内面」を映す鏡のような役目も果たすこともある。
 
インクが表現するのは書く人の在りようだけにとどまらない。
天候や季節をインクで表すこともできるし、全国各地の文具店から発売されている「ご当地インク」なるものを使えば、その土地の特色をインクで伝えることも可能だ。
例えば、春の足音が聞こえてきたので桜の花をイメージして作られたインクで日記を書いてみたり、旅先の文具店で購入したご当地インクを使って旅の記録を残してみたり。万年筆インクなら、そんな楽しみ方もできるのだ。
 
万年筆愛好者である私も、万年筆と同じくらいインクのことを大切な相棒だと思って日頃から接している。
部屋はインク専用の引き出しがあり、そこには様々な色のインクが収められている。
その中で、私が一番大事にしているインクは、鮮やかな緑色のインクだ。
そのインク瓶には「私のお父さん」と書かれた手書きのラベルが貼られている。
なぜ、そのインクが大事なインクなのか。
 
理由は、2020年の初夏に起こったある出来事にある。
 
ある日、私は頻繁に足を運ぶ文具店のSNSで、自分だけのオリジナルインクを作ってくれるイベントが開催されることを知った。
非常に人気があるイベントで、抽選に当たらないと参加できないというのでダメもとで応募したところ、見事に当選した。
当選を知らせるメールを受け取った瞬間、すぐに思いついたのは亡き父を象徴するインクを作ってもらう、ということだった。
そのインクを使うことで、父親のことをいつでも思い出すことができるようにしたかったのだ。
そこから、父親をイメージする色をどう伝えるかを考え始めた。
 
いつも着ていたスーツ。
愛用していたカメラ。
いつも丁寧に扱っていたクラシック音楽のレコード……等々。
 
頭の中に浮かんできたものはどれも黒やグレー、濃紺のものばかりだった。
しかし、それらはもう既に市販されているインクで十分表現できるものばかりなので、オリジナルインクを作ってもらう意味がない。
他に何かないかな、とヒントを見つけるために父親の写真が残されているアルバムを開いたところ、夏山登山を楽しむ父親の笑顔が視界に飛び込んできた。
 
これだ!
父親が大好きだった山を連想させる、緑色のインクにしよう。
そう決めたのは、イベントの前日22時のことだった。
 
そして、私は文具店に出向き、インクブレンダーの肩書を持つ男性と対面した。
彼は日本を代表する万年筆メーカーの社員で、全国各地を回ってオリジナルインクを製作するイベントを開いており、これまでにおよそ2万色ものインクを世に生み出してきているのだという。
そんな百戦錬磨のブレンダーに、私は瑞々しい緑色をまとった夏の山を表現するインクを作ってほしいと申し出た。
「お任せください」と彼は自信たっぷりに答え、慣れた手つきで調色を始めた。その作業を経て出来上がったインクをペンに含ませ、私に試筆を促した。
紙の上に広がった緑色は、程よい鮮やかさがあるものの、深みもあって奥行きがある。父が愛した山を表すのに十分すぎるものだった。
若干の調整を経て完成したインクを指して、ブレンダーは私に「このインクに素敵な名前をつけませんか」と提案した。
少しだけ悩んだのち、私は父親が好きだったプッチーニのオペラの曲名を伝えた。
「私のお父さん」でお願いします、と。
 
こうして、ベタな名前を冠せられた緑色のインクが私のインク専用引き出しに仲間入りすることになった。
このインクを使うたびに山歩きを満喫して心から幸せそうな顔をしている父親の姿を万年筆が蘇らせてくれて、私も思わず笑顔になる。
 
もし、またオリジナルインクを作ってもらう機会があれば次はどんな色がいいだろうか。
ビールを飲み過ぎて、茹でダコのように真っ赤になった父親の顔の色をオーダーするのはどうだろうか。
これもまた、幸せそうな父親の姿を象徴するものだから。
「失礼だぞ」とあの世の父は文句を言うかもしれないが、苦笑いしながら許してくれそうな気もする。
 
また、イベントの抽選に当たりますように。
 
 
 
 
***
 
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2021-02-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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